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個人的な最近の俳句②:今いる場所を感じる、そして「つくる」

なかなか外に行って俳句を作ったり
句会に行くのが難しいこの頃です。

とくに題材や季語探しが難しい、ということも。
新鮮に感じるもの、季節感のあるもの。
そんな風景やエピソード。
それらを見つけたり体験するのは
変化の少ない日々では厳しい。

でも、こんな日々になってからこそ
「アイデアは自分の近く、
 または自分の中にある」
という思いが強くなってきました。

以前からそういう気持ちはあったし
そういうスタンスで生まれた句は多い。
でも、今ほど自分の生活や周囲を
「感じよう」という意識はなかった気がします。
その意識を自覚してから
見える風景や生まれる作品は
それまでのものと似ているようで
また少し違ってきている手応えがあります。

個人的にそんな意識にさせてくれたのが、
(そんなに大したものはつくれませんが)
「料理」。ここ最近は料理や台所から生まれる俳句が多いです。
食材に触ったり、匂いや味を感じるなど
五感に与える影響がダイレクトだからかもしれません。

たとえば、最近はまっている「蕪」。
冬の季語でもある蕪は、火が通れば優しく透明になり
葉を刻めば音は打楽器のようで楽しい。

あるいはこちらも冬の季語の「白菜」。
一枚ずつ剥がせば羽のよう。
煮込んだスープは光を集めた流れのよう。

身体を温めてくれる「生姜」。
季語では秋だけど、冬は特に毎日重宝。
味噌汁に生姜焼きに紅茶に
なんでもいれちゃう活躍ぶり。
剝いたとき、擦ったときの香り。
金色に細かく散れば綺麗で、
食材の味にアクセントをつけてくれる。

帰宅すればタイマーのご飯が炊ける甘い匂い。
味噌汁に広がる和布が連れてくる海の匂い。

料理をしていると、その中にいろいろな土地が見えてくる。
それは一種のささやかな「冒険」ともいえるかもしれない。
そうした過程が体と心に浸透していく。
その隙間に

「あ」

感じたこと、見えたことが
17音に集約していく。

変化や帰結はドラマティックには起こらない。
ある日、自然にそれが来ていることに気づく。

料理をしているうちに心が自然と穏やかになったり、何だか気持ちが清められていることがある。

俳句、いや創作もそれと同じで、時間とともに自然と成熟していく。

結論は急がずに。今いる場所から。

今日も始めたいと思います。

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