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キュートなはにかみ:津髙里永子句集『寸法直し』

暮らしの中で意外に心に長く残るのは、
大きなエピソードよりも小さなことだ。
あの人に言われた一言がいつまでも引っかかったり、
安く良い食材が手に入って嬉しかったり、
仕事の時間にふと目にした花が美しくて
なんだか今日は良い日だった、と心豊かな気分になったり。
すぐに忘れてしまう事柄もあるだろう。
でも、そんな些細なことどもが無意識に心に蓄積され、気がつけば自分の物の見方、感じ方というものは形成されてゆく。

作家はそんなささやかな生活の一瞬を大事にして、その繰り返しの中に自身を、そして生きる世界を見つめてきたのではないか。本句集からはそんな印象を受ける。

各章より感銘句を二句ずつ。

切株に母のせておく野焼かな
先に寝る男に梨を食はせけり

噴水のこちら側にて生きてゐる
確保せし職と男とくぢら肉

鳳を載せて晴れゆく山車の空
話すことあつて満月大きくて

妹の家となりけりミモザ咲く
コピーしてゆがむ音符も師走かな

地にすれすれの紫陽花母はまだ歩ける
名月を介して清き同衾者

最終章は海外詠。
小鳥来るジャンヌ・ダルクと呟けば
物売の母子船にて素足にて


海外詠は地名と季語のマッチングに
腐心して終る危険性もあるけれど、
掲句以外の作品も言葉と季語が自然に使われていて、違和感なく読者に届く。

確かな写生で描かれた世界のいずれにも
作家独自のユーモアとまなざしが宿る。
常に対象と距離を保ちながら、自分を取り巻くことどもを面白がっている。
だから、17音を構成する季語と言葉は常に風通しがよく、瑞々しさがある。そして、どこかはにかんだ表情をしている。

気に入らぬ内輪やシール貼つてやろ
たんぽぽの絮よわが夢何だつけ
春に囁く食器の裏も洗つてね

口語調の俳句も散見されるが、いずれも思わずクスリとしてしまう。
まさに「キュート」。17音に言葉を入れるとハイク・ハイクしてしまって
臨場感や親近感が薄れてしまうこともままあるが、作家の手にかかると
季語や言葉、情景は普段着の姿のまま読者の近くに座ってくれる。
少しそっぽを向きながらの優しさで。

寸法直しせずやしぐるるわが裾野

表題句。
普段着の俳句は、自分を人生を生活を寸法直しせず、等身大のまなざしで見つめてきた作家の自画像なのかもしれない。
本句集の章は「衿」にはじまり、服飾の用語がつけられているが、
表題句は「裾」ではなく「裾野」となっている点にダブルミーニングとともに捻りがあると思う。
裾から伸びて広がる「わが裾野」。
そこを基点に、これから作家はまた新たな歩を進めるのかもしれない。
着実に、でも大胆に。

「未来図」を経て、高野ムツオ氏が主宰する「小熊座」同人である作家。
池田澄子氏に私淑しているともあとがきにある。
正調な詠みぶり、そして句材や対象へのアプローチが豊富な点は、さまざまな表現法の俳句作家たちから得た影響とも無関係ではないだろう。

読み返したい大切な一冊と出会えて嬉しい。ご恵贈、感謝いたします。


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