月を仰ぐことを忘れない人:杉山久子句集『栞』
句会でも思うけど、俳句作品がまとまって掲載された句集を読むたびに思うことがある。
「どうして同じ17音なのに、作家によって言葉や型の表情が全然違うのだろう」
「作者が違うのだから当たり前だ」と言われればその通りなのだけれども、それでもたった17音しかなくて、季語を使って、ある程度同じ条件の縛りの中で詠んでいるのに。
実際に完成した作品を目にすると、似ているようで全然違う17音がそこここに屹立しており、句集を読むたびに作家の世界観は読者である私の感覚を揺らしながらいつも遠くへ連れて行く。
本句集の印象は「何気ない、でも豊かな世界と時間」だった。
一句ごとに久子さんの息遣いというか、気配が感じられて、そこに読者である私の日常や心が自然と交錯していった。
そうやって、句集を読み進めているうちに個人的な過去や思いなどをなぜか思い出してしまい、読み終わる頃には懐かしく愛しい一冊になっていた。
感銘句を全7章より二句ずつ。
(本当は好きな句は他にもたくさんあるのですが、実際に読んでいただきたく絞りました。)
春の灯に卵茹でつつ今日終はる
冬萌の日差しに並べ読む楽譜
無月なり家族の茶碗重ねつつ
風花も汽笛も猫をとほりすぎ
亀鳴くや死の話のち湯の話
冬天へひらく投網のひかりかな
眼鏡拭く朝の桜を映しつつ
終電に開ける予祝の缶麦酒
蟻の餌となりもがきつつ光りつつ
昼寝より覚め匿名のひしめく世
蜜蜂の眠りを暗き雲過ぎる
眠さうに馬曳かれゆく秋祭
いちめんの雪いちめんの若き星
遺りたる指紋も失せて桐は実に
清澄なしらべに鋭い観察眼が光る俳句作品たち。
かといえば、下記のようなキュートな句やユーモアのある句も。
ジブリアニメのヒロインのごと冬木立つ
冬の葉を落とした木の姿をジブリの世界のヒロインと見立てるとは。
言われてみれば、ジブリの世界の女性たちのもつ率直さと芯の強さに「冬木」の季語はピッタリ。
(大好きな「ハウルの動く城」のソフィーが思い浮かびました😊)
三鬼忌のハズキルーペをかけなほし
思わず吹き出してしまった。でも、「三鬼忌」という季語にハズキルーペの取り合わせがこんなに合うなんて。
かといえば、下記のような凛々しい句も。
(個人的に、現時点ではこの句が一番好きかも)
革命前夜たてがみにふりつもる雪
桂信子の「雪たのしわれにたてがみあればなほ」の姉妹句のよう。
たてがみの雪を振り落として、明日の革命で何を勝ち取らんとしているのだろう。極寒の最中の一途な情熱が伝わってくる。
また、本句集には「舟」の句がしばしばみられるのも特徴的だ。
冬星につなぎとめたき小舟あり
伏せてある舟に鳥立つ桜東風
水面にゆらゆら漂う舟は、生きる人の心の揺らぎそのもののようにも見えてくる。小さく儚き身で、われわれは世をどうわたってゆくのか、そして何処へ流れてゆくのか。
そんな思いが自然と読み手の裡に沸いてくる。
表題句
三日月を栞としたるこの世かな
句集本体にも紫の三日月を描いた上品な栞が挟まれている。
日々、姿を変えていく月。
消えては現われ、また消えての繰り返しの中、月を見ることさえ時に忘れてしまっている地上の私たち。
「何をそんなに忙しがっているのか」
月から見ると人間とその世界はそんな印象かもしれない。
でも、久子さんは月(高み)を仰ぐことを忘れない人なんだと思う。
だからこそ、俳句を詠み続けているのだろう。
どんなに疲れていたり、悔しいことややるせないことがあっても、綺麗なものを、心を探すことを忘れない、芯の強さの持ち主なんだろう。
お会いしたことがないから勝手な想像で恐縮なのだけれども、でもそう思うのです。
心に沁みる素敵な句集です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
ご恵贈、どうもありがとうございました☺
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