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【小説】決別のかたち

 ここ数週間、わたしは図書館にあるアーカイブを読み漁っていた。そのほとんどが睡眠に関するもので、残りは魔術世界における英霊の位置づけについてだ。
 とはいえ、前者は「結局睡眠ってよくわかんないね」という結論に落ち着き、後者はバックボーンが違いすぎてほぼ理解できなかった。

「サボってきたツケかぁ」

 お世辞にも、わたしはマスターとしての責任を果たしているとは言いづらい。特異点解消のためのレイシフトが詰め込まれ、それ以外の時間は報告書の作成に明け暮れる。とてもとは言えないが、通常の聖杯戦争のマスターや魔術師と比べれば、魔術の知識は皆無に等しい。
 わたしは結局、どういう存在なのかわからないひとたちを相手取っていたということだ。
 人間だって、どういう存在なのか完全に理解しているとは言い難いし、その点はサーヴァント相手でも人間相手でも、魔術師相手でも変わらないかもしれないけれど。
 わたしは書架の間隙に、なんとなく視線を向ける。肩が凝って仕方がないから姿勢を正したのだが、思わぬ人物と目が合ってしまった。
 その人物はギョッとしたようにわたしを見つめている。わたしは見なかったことにした方が良いのだろうかと考えていた。

「…とりあえず、座る?」

 躊躇ったわたしは一呼吸置いてから、彼女に向かい側に座るように促した。彼女は山積みの新聞紙を抱えたまま、ビクリと体を硬直させる。そして少し躊躇ってから、わたしの腰掛けているテーブルへ向かって歩き始めた。新聞をにぎる手には少し力がこもっているのか、新聞紙にシワが出来てしまっている。

「ご、ごめん……なんか、びっくりしちゃって……」

 着席しながらしどろもどろに彼女は言った。

「普段はわたし、図書館には居ないもんねぇ」

 そりゃびっくりするよ、とわたしが笑うと、彼女は少し安堵したようだ。血色の悪くなっていた唇に少しだけ色が戻った。

「寝なくて大丈夫なんですか?」

 彼女は遠慮がちにわたしに尋ねる。

「まあ、たまにはね」

 時刻は夜の11時を回ったくらい。カルデアでの生活はある程度規則正しいため、普段はちょうど眠りにつくくらいの時間だ。
 彼女はそうですか、と言って、まだ少し躊躇いの残る手付きで新聞を広げ始める。
 わたしは勝手に英国かどこかの新聞だと思いこんでいたので、『関東大震災』という見慣れた縦書きの言語を認識して驚く。

「ちなみに、なんで日本の新聞を?」

 わたしは興味本位で尋ねる。彼女は汎人類史出身の英霊ではないし、ましてや日本とは縁もゆかりもない。現代の新聞ならいざ知らず、100年近く前の新聞を読んでいることが意外だった。

「その…、写真があるかなって」
「写真?」
「昔の日本の町並みがどんなものだったのか、知りたいなーって!思っただけです」

 わたしは首を傾げた。

「でもそれ、すっごい大きい地震の直後の新聞だよ?倒壊した建物しか載ってないと思うけど…」
「え!?……あ、ほんとだ!?」

 彼女は目を丸くして声を上げた。うんうん、図書館では静かにしようね、と言いたいところではあったが、深夜に差し迫る時間である。わたしは何も言わないことにした。

 「もう少し後の新聞にしたら?」、と声をかけるか迷っていると、彼女の口がごにょごにょと動くのを目にしてしまう。…あいにく、読唇術には長けていないので、なんと言っているのかはわからなかったけれど。

「現代の新聞じゃダメなの?」

 わたしは言葉を巧みにすり替えて尋ねる。

「ま、まぁ、ダメってわけじゃないけど、こっちの方がいいかなって…」
「ふーん?」

 彼女はあまり言及されたくないのか、口籠る。やっぱり、何かあるんだ。わたしはそう思って、「なんで?」とシンプルな疑問をぶつける。すると彼女は押し黙ってしまった。気まずそうに、目線をわたしから逸して、ぐるぐると考え込んでいる。
 どうやら思っていた以上に口を挟まれたくないデリケートな話題だったようだ。
 わたしは話題を変える。

「そういえばさ、サーヴァントって夢を見るの?」

 彼女はまたビクッと反応した。

「よくさ、サーヴァントは夢を見ないって言うけど、あれってどういう理屈なのかなって。アルトリアはどう?」

 彼女…アルトリアは考え込んでから、丁寧に返事をしてくれる。

「多分だけど、サーヴァントっていう存在自体がその英霊の生前の記憶の写し身みたいなものなんだと思う」

 「だから、サーヴァントはずっと夢を見ているのと同じなんじゃないかな」、とアルトリアは続けた。そして先程のわたしと同じように、なんで?と非常にシンプルな問いを投げかけた。

「よく夢を見るから」

 わたしは慎重に言葉を選んだ。アルトリアは目を丸くする。

「え、立香も?…あ、そっか。サーヴァントの記憶の夢。」

 アルトリアは新聞紙を机の上にそっと置く。わたしは肯定の意を込めて頷く。

「生前の記憶が多いけど、最近だと…、誰かが後悔している夢に迷い込んじゃったりとか。」
「後悔かぁ。」

 アルトリアは何気なく相槌を打った。詳しい内容が知りたいわけではないのだろう、目線は半分新聞紙に向けられたままだ。

「…アルトリアも夢を見るの?」

 アルトリアは躊躇いながら、うん、と返事をする。どんな夢だった?と尋ねると、アルトリアは曖昧な笑顔を浮かべた。まるで、今から話すことは取り留めのない、覚えておく必要もないような話題だとでも言いたげだった。

「レイシフトする夢を見たんだ。」

 砕けた口調から、マスターとしてのわたしではなく、藤丸立香としてのわたしに向かって話しているのだと理解した。

「どこに行ったの?」

 アルトリアはそっと新聞紙を指差す。
 あぁ、なるほど。アルトリアはどこかへレイシフトする夢を見たが、それが何処かわからなかったため、日本家屋が載っていそうなアーカイブを見ていた。こんなところだろうか。

「でも変だと思ったんだよね。最初は大きい樹の下で休憩してる場面だった。そこから移動してノリッジみたいな城壁をくぐったんだ。そしたら城壁の中はこんな感じの建物が続いてて。」

 アルトリアは新聞の一面をなぞる。

「倒壊してた?」
「うーん、それがよくわからなくて。夢だから、あんまりちゃんと覚えてないのかも…。」

 わたしは唸った。

「他に誰かいたの?」
「誰かって?」
「同行者のこと」

 あぁ、とアルトリアは頷く。いたよ、と言ったあと、慌てて、「具体的に誰だったかは覚えてないんだけど、立香は一緒にいたと思う」、と続ける。
 なるほど、と今度はわたしが唸った。

 丁度、人嫌いのサーヴァントが一人通りかかったので、軽く挨拶を交わした。その間に彼女は新しい新聞を取りに行ったようだ。

 わたしは椅子をこいで高い天井を見上げる。

 ノリッジみたいな城壁の内側に日本風の家屋。確かに不思議な夢だ。というより、現実にそんな場所は存在するかどうか怪しい。実際聞いただけでは想像もつかないし。
 わたしが一緒にいた、というのは、アルトリアが脳内補完したわたしだったのだろうか。もしかしたら、本当にわたしも同じ夢を見ていて、忘れているだけなのかも。
 …あり得なくはない。もう少し詳しく聞いたら思い出すかな、そう思ったところで、

「危ないですよ、立香」

 後ろからアルトリアに注意される。わたしは体勢を戻した。

「おかえり、アルトリア」

 アルトリアは手ぶらのまま椅子を引いて着席する。何やら神妙な面持ちだ。

「………。」

 沈黙が漂う。時間が少し空いてしまったからだろうか、なんとなく、さっきの夢の話を続けづらかった。それはアルトリアも同じようだ。
 アルトリアは何気ない会話の話題として持ち出しただけであり、わたしがそんなに真剣に聞いているとは思っていないだろう。

「…それで、立香はどんな夢を?」

 先に口を開いたのはアルトリアだった。先ほどとは打って変わってわたしの話に好奇心を抱いている彼女に対して、とてもではないが、「秘密」だなんて言えそうにもなかった。

 「ここで話すのは迷惑になるから、わたしの部屋に行こう」、とアルトリアに声をかける。実際にこちらを迷惑そうに顔をしかめて見ていた人嫌いのサーヴァントに、軽く頭を下げて席を立った。



「……アルトリアはわたしのこと、どう思ってる?」
「え!?」

 てっきりわたしが夢の話をすると思っていたであろうアルトリアは、予想外のわたしの言葉に素っ頓狂な声を上げた。うん、ちょっと言葉選びを間違えたかもしれないな。

「そりゃ、す、すきですけど?な、なんで…?」

 少し間を開けてアルトリアはしどろもどろに返答した。

「じゃあさ、」

 アルトリアが暴走特急になる前に、わたしはすかさず口を挟む。

「わたしに望みはある?」
「……え、」

 こうしてほしい、とか、どんな風になってほしい、とか。こんな事をして欲しいとか、こんな事を一緒にしたい、とか。望みの形は様々だ。彼女は一体どういう返事をするのだろう。

 わたしの期待とは裏腹に、彼女は目を見開いてフリーズした。「どうしたの?」、と尋ねると、「夢でも立香に同じ質問をされました」、と返ってきた。わたしも予想外の返答に頭が高速回転を始め、やがてプシューと音を立てて停止してしまった。

「それは…、すごい偶然だね?」

 なんとか口を開いたものの、お互いに沈黙したまま数十秒が経過する。その間わたしは何も考えられなかった。

「…夢ではなんて答えたの?……あ、でも2回目になるし、聞かないほうがいいかな?」

 悪いことはしていないはずなのに、なぜか後ろめたくなる。アルトリアは、「考えさせて」って答えました、と教えてくれる。

「ま、まさかこんなに早く、もう一回聞かれるとは思ってなかったけど…」

 アルトリアは、あはは…、と力なく笑った。これは本気で何も思いつかないときの顔だ。

「あ、でも違うか。私が聞かれたのって…」

 アルトリアはごにょごにょと口籠る。あんまり教えたくないのだろうか。

「えっと、なんでそんな質問を?」

 質問を質問の質問で返されてしまう。

「うーん、何から話せばいいかなぁ。そうだなぁ、」

 わたしはふと頭を過ぎった言葉に取り憑かれる。それ以外、適切な文言が思いつかないくらい、それが最善手であるような気がしてしまう。
 わたしは諦めてその言葉を口にした。

「アルトリアは、わたしが汎人類史に帰れると思う?」
「………え」

 彼女の顔が一気に暗くなった。
 言ってはいけない言葉だと頭では理解できていた。わたしに似合わない言葉だということも。

「あ、もちろん帰りたいとは思ってるし、そのためには目の前のことをやるしかないってわかってるんだけどね?でも、たまに、ほんの少しは考えるから」

 彼女が唇を噛んで悔しそうな顔をするのを見て、わたしは―――、わたし、は。

 『唇が荒れちゃうよ』
 『それって色んなことがきみにとって』
 『わたしはいつも彼女にこんな顔をさせて』……。

 ―――絶句した。どことなく感じていたデジャブを、はっきりと自覚したのは二度目だ。

「立香、」
「ねえ」

 わたしは彼女の顔色がどんどん悪くなっていくのを見て、確認を省く。もう答え合わせはしたも同然だ。

 わたしとアルトリアは同じ夢を見ていたのだろう。時期は違えど、アルトリアが見ていたわたしは、ほぼ間違いなくわたしだ。わたしが見ていたアルトリアも、間違いなく彼女本人だ。相変わらずどういう理屈かは見当すらつかないが、夢が繋がることは何度もあったので不可思議ではなかった。

 一方でアルトリアに対しては何て続ければいいのかわからなかった。
 ねえ、なんて言ってはみたものの、ここで強がることが虚しい結果を招くかもしれない。「驚かせてごめんね」、なんて軽はずみに撤回しようものなら、自分の発言と、心情を最後まで吐露する責任から逃れることになる。

「頑張って頑張って、そのまま擦り切れて死んじゃっても」

 …だから何も言わないわけにはいかないのだ。きちんと告げておくべきなのだ。もう二度と、後悔しないために。

「わたしの望みが叶わなくても、わたしのこと、後悔しないでほしい」
「それは、無理だよ」

 わたしの力んだ言葉を聞いたアルトリアは反射的に答えた。

「私はあなたに憧れた。あなたが幸せな未来を迎えることを、私がどれほど望んでいるか。だから、後悔しないなんて無理です。」

 面と向かってハッキリと言われて、わたしの視界がぼんやりと歪んだ。

 ずっとわたしは、彼女は『カルデアのサーヴァント』だと思っていた。サーヴァントを私物みたいに、『わたしのため』の願いを抱かせることは、いけないことだと思っていた。
 だから、彼ら、彼女らの願いを叶えるために奔走していたのに。…あぁ、こんな最後の最後で、こんな柔らかい愛情を知ってしまっては。自分の今までの頑なな態度をそっとほどくような温かさを与えられてしまったら。

 「立香の幸せな未来を願っている」なんて言われて嬉しくないわけがなかった。実際に力になってくれて本当に嬉しいけれど。わたしの幸せを心から願ってくれて、胸の奥がじんじんするくらい嬉しいのに。

 ——切なかった。わたし一人の存在が、アルトリアの『その後』に大きく影響することが。わたしが帰れなかったとき、彼女らが深く後悔し、それをどうすることもできずに星の終わりまで引きずることが。

「じゃあさ、」

 —なのに。なのに、どうしようもなく、やっぱり嬉しかった。本来はもう二度と会えないはずのアルトリア。わたしのために召喚に応じてくれた彼女。わたしが思っていたよりもずっと、そう、彼女が、「後悔する」と言ってくれるほどにわたしのことを…。

「忘れないでいて。わたしのこと、いくら恨んでもいいからさ。どんな結末を迎えたとしても、『しょうがなかったんだ』なんて思わないでいて。」

 そうしたら、アルトリアはわたしのことを。
 一生懸命でひたむきで、わたしの傍を走り抜けて行ってしまった彼女が。寂しそうに後ろを振り返ることもなかった、強がりな彼女が…。

 ――わたしのことを、心置きなく、ずっと大切にできるから。

 アルトリアはぽろぽろと滑り落ちていく涙を拭いながらわたしを抱きしめる。

「絶対に後悔はするけど、絶対に『もう一度』なんて願わないから…!マスターの人生を、ずっと守るから…!だから、立香、あなたも『しょうがなかったんだ』なんて絶対に思わないでいて。私達の存在を…、拒絶しないでいて」

 涙がこぼれ落ちてはまた、瞼からあふれる。
 星の内海で、大切な、短い短い春の記憶を抱きしめて、あたたかい花たちに囲まれて眠る彼女を、わたしは想像した。
 わたしが彼女に告げるべきだった言葉は、「後悔しないでいて」ではなく、「後悔してほしい」だった。わたしに「こうなってほしかったのに」と、後から願望を抱くことを容認することだった。
 そして、わたしが受け入れるべきだったのは、彼女たちの抱くわたしへの願望だったのだ。「みんなから認められている自分のままでいたい。」——そんな気持ちになる前に一度立ち止まって、自分のこのお終いへの恐怖をそのまま打ち明けるべきだった。わたしはもっと、みんなのことを信用するべきだったのだ。

「また、必ず会いに行くから」

 アルトリアがわたしの背中で泣きじゃくっているのを聞きながら、わたしは静かに彼女の背中をさすっていた。
 先の見えない廊下の様な結末を迎えたとしても、わたしはきっと穏やかな気持ちでいられるだろう。もう、後悔しないのだから。

「ありがとう」


前回

業務上における過失|nado

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