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プロフェッショナル仕事の流儀 答えは、子どもの中に〜数学教師・井本陽久〜

圧倒されました。動画というのは、本で見るより観て取れますね。井本先生がお話されていたことをまとめておきたいと思います。

その前に、宣伝しておきますね。

□ 学力を上げようとは思いません

のっけから、このフレーズ。

井本先生(イモニイ)が生徒からちょっかいを出され、ちょっかいをかける姿。

Q 成績は上がるんですか?
A いや、知りません。 そこはたいして大事と思ってないので、勉強なんか別にできてもできてなくてもいいので、全然いい、全然いいです。幸せには関係ないです。
ダメって思われているところが、実は学びで、決定的な要素なんです。
(保護者)息子のいいところをいろいろ拾ってくれて、伸ばしてくれているような気がするんです。変な先生だとは思いましたよ 笑
(塾の生徒)井本先生の授業が面白いから来ている。学力を上げようと思って来てるわけじゃない。

そんな井本先生の1日に密着していました。

□ モーニングルーティン

学校に到着すると、職員室に行って、授業などの準備をして、教室に向かう…のではありませんでした。

朝ってたまんないですよね。もうすぐ生徒に会えるじゃないですか。

生徒たちのもとにいき、何かと絡んでいくんです。生徒も義務感からの挨拶ではないことが分かります。そして遊ぶ、遊ぶ、話す。職員朝礼にも遅れてしまうこともあったそうです。

この時点で、頭おかしい(最大の褒め言葉です)人だと思いますよね。もちろん、批判もあると思いますが…。

実際、私も様々な研究授業や他都道府県の研究を参観させていただいたことがあります。しかし、授業を公開しているだけで、先生が児童生徒一人一人にどのように接して、人間関係をどのように作ってきたかを見ることはありません。隣の先生を見て学ぶ…ことができればいいですが、そんな余裕がない先生もいるでしょう。きっと、教育書やインターネットに落ちている実践を検索して、常に模索している先生も見えますよね。

最近、巷で噂の初任研があります。仕事をしつつ、YouTubeやnoteで発信することは、素晴らしい取り組みです。後に続いてみたいものです。

□ 井本先生の授業

移動中に学校紹介が入ります。中高一貫の超進学校。同時に、教室に向かう井本先生は、すれ違う生徒にちょっかいをかけていきます。

と、ここで教師的な目線で観ると、井本先生が教室に入る瞬間、生徒たちの規律が正されていることも分かります。これは風土なのか、指導の賜物なのか、邪推な想像をしてしまいます。

いよいよ授業が始まります。

(ナレーション) いきなり、不思議な図形を書き始めた。
(井本先生)問題ね。この円とこの円とこの直線に接する円をすべて書いて。

板書や発問が大事だと教わって来た方には衝撃的なんじゃないでしょうか。井本先生は、この授業、あとは生徒のようすを観察して、話して、火をつけていく。それだけです。

ここでも、教師的な視点で観てみましょう。授業に限らず「指示、発問、説明」の技術を磨くことが大事だとされています。「児童生徒が考えることのできる発問」がある授業が、いい授業ということをよく耳にしました。その点、井本先生は発問…というよりも、「明確な指示」を出されていることが分かります。

授業の内容は、録画を確認するなり、再放送をご覧になってください。

(井本先生)
ぷるっとさせる
びっくりさせたい、喜ばせたい。それこそ、ぷるっとさせるって感じですかね。
その問題に向き合っているときに、僕がいるのが全然気付かないくらい、夢中になっちゃうみたいな…分かった!みたいな、ここはこうだ!みたいな…言ってることは全然違っていても、その子はやった!みたいなほとばしっているみたいな、なんかそういうのを作りたい。
とにかく目の前の子どもたちをぷるぷるさせたいってだけなので。
正解か不正解か
そこで評価するのは、あんまり意味がないという風に思うんですよね。学校でつける評価っていうのは、求めた答えを出せるかどうかってことなので、それを正確に再現する力はつくかもしれないけれど、別の壁がポンと立ちはだかったときに、自分でどうにかするってことはできないですよね。なぜかって試行錯誤を知らなければ。

「試行錯誤を知らなければ」という部分に、井本先生の授業が詰まっていると感じました。試行錯誤は「する」もの…と考えたとき、知らなかったら確かにできない、自分が今していることは、本当の試行錯誤なのか分からなくなりました。奇しくも、自分の授業で大切にしていたものとして「トライアンドエラーを繰り返す」でした。

Q 何を学ぶ授業だったんですか?
A いや、そんなこと考えてないですね。むしろどんな題材でもいいから、そこでどういう思考が行われるかってことですよね。
Q 不思議な授業を見た気がしました。
A 不思議なんですかね。
Q だって、先生が書いたのって、丸2つと横線1本ですよ?
A そうですね。でもあんなに考えるんですよね。僕が教える人になっていたら、自分で自由に考えてないと思います。なぜかって言ったら、先生のところに答えがあるわけだから。答えがあるのに、自分が何か言ったら違ったら嫌じゃないですか。だから僕は答えを出す人じゃないですね。
Q 教える人じゃなければ、何する人なんですか。
A 何なんだろう、深い質問ですね。…ああ、深い。僕は何なんだろう。でも生徒たちは目いっぱい考えているでしょ、それでいいんですよ。

西川純教授の提唱する『学び合い』という考え方があります。授業のスタイルとして、似ていると直感しました。多数の本が出版されているので、興味のある方はよければ。ただし、『学び合い』は「考え方」であり、「技術」ではありません。

□井本先生のこだわり

実はアドリブに見える授業…準備の賜物だったんです。生徒の答案チェックには、驚くほど時間をかけるそうです。休日にも関わらず、学校に来て8時間ぶっ通しでチェックしていたようです。

時間がかかるのには、わけがあります。年間300万枚以上作るオリジナルプリントは、生徒の誤答からできているんです。

宝です、誤答は宝ですね。ナイス誤答っていうのは、みんなこれなんで誤答なのか、パッと考えたら分かんないっていうような誤答があるんです。それをポッと出したら、「え?なんでこれ違うの?」「ああ、そうか」みたいな。

冒頭にもあった「ダメってところが実は学び」という考え方ですね。そんなナイス誤答の授業の一部も紹介されます。

でも実は、井本先生の一番大切にしていることは、生徒にちょっかいを出すことです。そして、生徒と関わる中で些細な言動を認めていく。

用があって何かするって、なんかちょっと遠いじゃないですか。でも用がないのに、訳の分からないことをするっていうのが、純粋にその子に興味をもっているっていうことですよね。多分興味をもっているっていうのを、好き好きっていうのをペタペタペタって貼りたいっていうのが、僕の根底にあるんだと思います。
好き好きってペタペタ貼っていると、もっと好きになる
年頃の子じゃないですか。キモっていいながら、イモニイとかキモニイとかって呼ばれたりするけど、そう言われながら、僕の中ではそんなに嬉しいんだって、僕も幸せですよね。おめでたいやつですよね。

頭を撫でたり、軽く叩いたりする姿が、実況板では少し違和感を覚える人もいたようです。確かにご時世ってのがあります。実はこの後もそうなんですが…なんだか子どもたちと関係性ができている部分も、見て取れるんですよね。

□放課後のお話

実は井本先生は、学校だけ教えているわけではなかったんです。学習塾で週3回、超進学校とは関係ない子たちにも、授業を行なっていたんです。

様々な学校の様々な学年の子が、進学校に通ってる子から学校に馴染めない子まで。

僕が考えて、ふっとなるのは、学校でうまくやれていない子っていうんですかね。そのことがずっと気になっていて、多分そういう子たちって、僕らから行かないと出会えないんですよね。
学校とか世間っていう評価軸とかを取っ払っちゃえば、魅力たくさんあるんですよね。特に自信のない子ほど、周りの評価軸を気にするじゃないですか。だから子どもにとっての大人の意味って、何かやっていて、ふっと大人の顔を見たときに、ほほ笑んでもらえることだと思います。子どもがふっと見たときに、ほほ笑み返せる、返すこと。あの瞬間ってめちゃめちゃ大きいですよ。

そのままでダメなはずがない

こういう力が必要だっていうところを目的においてするのが教育だとすれば、子どもは見えなくなるんですよ。それ(目的)を見て、この子見てたら、これ(こういう力)が足りているか足りていないかっていうことしか見えない。その子自身は見えないんですよね。
社会ってのが先にあるんじゃなくて、将来、彼ら自身が社会じゃないですか。社会がこうだから、彼らを(社会に)って、めっちゃあべこべじゃないですか?息苦しくないですか、それ。社会なんて見なくていいと思います。社会は彼らが作るものだから。こちらが先に規定するものじゃないんです。

井本先生は、児童養護施設にも足を運びます。22年間から通い、勉強を見てきたそうです。今は、教え子に中高生が勉強を見てくれること多く、少し手持ち無沙汰だそうです。でも時間いっぱい、子どもたちに触れて回るんだそうです。

大人を独占するって経験が少ないじゃないですか。でもお互い大事にされて嬉しいって感じじゃないですか。僕も結局そうなんで。

子どもたちと談笑する井本先生。すごく楽しそうで、子どもたちも楽しそうなんです。

これは、井本先生自身の後悔から、子どもたちから学んだことなんです。

□井本先生の原点と過去の出来事

生い立ちや過去の出来事から、

教師としての責任感が入っちゃうとダメなんですよ。
こうじゃなきゃいけないみたいなものは、どんどん子どもを通じて捨てさせてもらったので、本当に子どもたちを通してって感じですよね。僕は、完全に。
そのままでいい、そのままがいい。
そのままで、ダメなはずがない。

□ 先生の役目は何だと思いますか

一言じゃいえないですよね。ただ教える人、教わる人って関係じゃないですよね。

今でも、学校や世間の評価軸を押し付けようとする自分が沸いてくる。

彼らを信じるってこと一つだと思いますけど。信じるは重いな。信じるじゃなくて…ダメな子なんていないんですよ。そんな感じですかね。
これ、いいですよね。数少ない講義をしているときでも、全く無視っていう最高ですね。もうだから先生のいうことなんて別にいい、考えるのに夢中。
我々がありのままを認めていけば、子どもたちが将来必要になることなんて、身につくと思うんですよ。伸びるというか伸びていく。勝手に子どもたちが伸びていく。どこに行くか分からないけど。どの方向に行くかは、誰にもわからないし、彼らにもわからない。それを信頼して、見守っていく。
子どもって全然信用していいんですよね。本当に信じて、彼らの考えるようにやったら、こんな生き生きするんですもん。

信じていい

今の君もこれまでの君の人生も全部、OK!大丈夫。って心から思ってあげられること。

□井本先生から学ぶ

いかがでしょうか。きっと賛否両論あると思います。きっとあるだろうなとも思います。でもその評価軸はどこにありますか?

そんなことを考えてはじめて、子どもと向き合うことができるのではないでしょうか。

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