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8月31日

8月31日の夜に書いて、下書きのまま投稿し損なってしまったもの。
10日遅れだけど。

【2020年8月31日】
今朝はいくらか涼しいかと思ったのだけれど、朝とはいえ、外を歩くと汗が滴る。

2年前の8月31日、私は病床の父に会うべく西に向かっていた。

あの日も本当に暑くて、
もう9月の声を聴こうというのに陽射しは容赦なくて、
新幹線を降り、最寄りの駅から妹と病院に向かって歩く道すがら何度も何度も汗をぬぐった。

病院に到着するとすぐにICUに通された。
父は人工呼吸器をつけ、不規則な荒い息でいかにも苦し気だったが、私達が駆け寄り「お父さん」と声をかけるとハッとしたように大きく息を吸い込み声を上げ、そしてそのまま逝ってしまった。まるで私たちが到着するのを待っていたかのような、本当にあっという間の出来事だった。

ご臨終ですという声を聞いても、まだ父はそこにいるようだった。
これは本当になんと説明すればよいかわからないのだけれど、気配というか何というか…
本当に父はまだそこにいたと思うのだ。

私は撮ってきた息子の動画を父にみせ、もっと早く来られなくてごめんね、と心の中で呟いていた。

もっと早く意識のあるうちに来ていたら
その前に、もっと頻繁に父の元を訪れていたら
もっとたくさんいろんな話をしていたら、もっともっともっと・・・と、
後悔ばかりが押し寄せてくる。しかしそんな私の気持ちにはお構いなく目の前では粛々といろんな手続きが執り行われ、そしてあれよあれよと言う間に父は焼かれて骨になってしまった。

初めて骨を拾った息子の顔が忘れられない。
4年生の生意気盛りだった息子はあの日、小さな子供のように私のそばを離れず、緊張した面持ちで終始言葉少なげだった。彼なりに「死」を、今までそこに居た人が焼かれ骨になり灰になってこの世から居なくなる、という現実を、全身で感じていたのだろうと思う。
馴染みのない土地、知らない人たちに囲まれ初めて聴く宗派の読経、火葬場、そして骨上げ…
あの一連の出来事があの子の胸にどんな風に刻まれ、今どんな死生観を内に育んでいるのかは知る由もないけれど、
彼が大人の入り口に足を突っ込む頃、彼なりの死生観を持つに至るであろう頃、
あらためて訊いてみたい。あの子は自分の言葉でどんな風に答えるだろう。


あれから2年。
私は歳を重ね、息子は6年生になった。
8月31日といえば夏休み最後の日。
昔は後回しにした宿題を必死で片付ける日、大人になってからは、例年遅い夏休みを取りふらっと出かけた旅先で呑気に迎えたものだったが。
そう、2年前のあの日から
私の8月31日は生涯忘れ得ない「父の命日」になった。


私が父と一緒に居た月日は20年足らずで、
父の84年の生涯の4分の1にも満たなかった。あらためて、私の知らない父の人生に思いを馳せる。私と出逢うまでの、子供の父や青年の父、別れてから再会するまでの父の日常。
家族、親子、家・・・生きることそして死ぬこと。
出逢いと別れ、そして人生について。
こんなに思いを巡らす日は無いというほど、今日は特別な時間が流れる特別な日だった。想像の中では息子と同じ年頃の父が笑いながら元気に走っていた。
いろんな思いが、涙が溢れてどうしようもなかった。

形あるものはいつか壊れ、命あるものはいずれその命を全うし天へ帰る。
100年に満たない人の人生は、宇宙の時間の流れの中では「あっ」という一瞬なのだそうだ。
私達の魂はその一瞬の人生を、時をまたいで何度も何度も何度も繰り返しているのだろうか? そこに終わりはあるのだろうか?
それとも、何回も何回も別の人として人生をやり直しありとあらゆる経験を積んだ後、
それらの経験を携え、また別の世界へ旅立つのだろうか。

果てしなく広がる想像、果てしなく広がる映像。

そしてその映像は、小学生の頃4畳半の小さな和室に寝っ転がって天井を見つめながら、宇宙のしくみや時の流れに思いを馳せたあの頃と何ら変わっていないのだった。
なんだ何十年も経ったのにちっとも成長してないってことか、と少し呆れつつも、ここにあの頃の自分が確かに居ることがちょっと嬉しかったりもする。

私は私。どこをどうさまよってここへ来たかはわからないけれど、
今生あの父とあの母の間に生まれ、その二人の間に生まれなければ出来なかった体験を経て、今ここまで来たのだ。

ここをすてきな場所にしよう。
全てはここにあって、ここで生きるのだからね。


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