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物語は続いていた

今日、第94回箱根駅伝の10区を走った順天堂大学の花澤賢人(4年生)。
4年生にして初めて、彼は箱根路を駆けた。アンカーとして。

前回(第93回)大会の直前番組『絆の物語』で、当時3年生だった花澤を取り上げた。彼の物語に胸が詰まり、原稿を書く手も止まりがちになったナレーションだが、読んで頂ければと思う。

N 病と向き合う、ランナーがいます。
N 順天堂大学3年。花澤賢人(はなざわけんと)。
医師ON「今のところ走るのも順調なんですよね?」
花澤ON「そうですね、ほぼほぼ順調にきてるという感じです」
医師ON「本当にこのまま順調にいけば箱根も大丈夫そうだね」
N 幼い頃から、憧れていた箱根駅伝。
N 夢と現実のはざまで、もがき苦しんだ3年間。
花澤ON「くそっ!」
花澤ON「今度こそやってやるぞという気持ちがすごい強いです」
N 走ることそのものが、扉を開けてくれました。
N 千葉県船橋市生まれ。
N 陸上を始めたのは、中学のとき。
N 少年の心を掴んだのは、山の神、今井正人を擁する強豪でした。
N 描(えが)いた夢は、「順天堂大学に入学し、箱根駅伝で区間賞をとりたい」
N 高校では、5000メートルで日本人高校生ランキング3位の記録を叩きだし、念願の順天堂大学へ。夢への階段をひとつ、のぼりました。
N 一年生の夏合宿では、チームの先頭を引っ張り、
スーパールーキーとして、実力を見せつけた花澤。
N 迎える初めての箱根駅伝では、1区を任されました。
N しかし、当日、貼り出された名前は、別の選手でした。直前に熱を出し、変更を余儀なくされたのです。
N 花澤は大手町で、1区のランナーの付き添いをすることに。
※スタート前のON「位置について」~パン!
N 自分が走るはずだったのに―――
N この悔しさを来年に。しかし。
N 夏。体に異変が。
N 原因不明の腰の痛みに襲われます。
花澤ON「単純に炎症してたのかなぐらいで、甘く考えてたんですけど、段々と悪化していって、歩けなくなったり、走ることも全然できなくなっていったので、ちょっとおかしいなと」
N 走りたくても、走れない。箱根への夢は2年目も、叶いませんでした。
N エントリーからも外れてしまった、前回大会。花澤は同級生・栃木の給水係になりました。
花澤ON「自分が外れるってことが確定したら、やってほしいということを
ずっと言われていたので、自分もぜひやりたいなと思いました」
栃木ON「本人も苦しい時期が続いて…へこんでた部分が大きかったので。一度、箱根路を給水でもいいから一緒に走ることによって元気づけられたらいいなというのと箱根を走りたいなというふうに思わせてやる気を出させたいなというふうに思って、給水お願いしました」
※給水みせて~
N この道を、あきらめないでほしい―――
N 友の思いを受け、花澤は走りました。
N 給水後。
花澤ON「やっぱりこの場は自分が走りたいなって思ったのと」
「自分が走ってないときは栃木がずっと引っ張ってくれてたんで、本当に栃木には感謝したいです(涙)」
N 必ず、箱根を走る。そう決意した矢先―――
N 長引く腰の痛みは、病(やまい)からくるものだとわかりました。
花澤ON「病名は『強直性脊椎炎』っていう…最終的には背骨が一直線に固ま
ってしまって、竹のようになって、腰が曲がってしまうっていう言い方をすれ
ばいちばんわかりやすいんですけど、そういう病気で、難病に指定されてるん
ですけど」
N 強直性脊椎炎(きょうちょくせいせきついえん)。背中や腰の炎症から骨がくっついてしまう難病で、重度になると走ることはおろか、日常生活に支障も。根治療法は見つかっていません。
花澤ON「いや…ショックですね…、やっぱりその、病気じゃないだろうって
いう気持ちはかなりありましたけど」
N 告知を受けても、花澤は普段どおりにチームメイトと接していました。
「どういう感じだったの?本当は」
「そうですね・・・泣きそうでした」
「辛かった・・・?」
「はい・・・」
N 現実を、すぐには受け入れられませんでした。
N そんな花澤に、希望の光が。身体を動かすことが、病(やまい)の進行を遅らせるというのです。
花澤ON「もし中学時代から走ってないで、陸上競技に出会っていなかったら
(身体は)固まっていたんでしょうかと医師の方に言ったら、それはなんとも
言えないですが、絶対に動かしてたほうが良かったので、陸上競技をやってい
てよかったのでは」って言葉を頂いたときに、自分は陸上をやっててよかった
と、すごい思いましたね」
N 陸上競技が、自分を守ってくれていた。走ることこそが、宿命。
花澤ON「自分がいま一番、なにをやりたいかというのを考えたときにやっぱり、箱根を目指したいなと思って。やろうと思って、順天堂大学にも入ってきたわけなのでやっぱり、そんな病気にも負けてられないなというのはあったので。とりあえずは陸上をやろうと思いました」
N 夢を、あきらめない。
N もう一度、箱根を目指す。再び前を向いた花澤は、練習を再開します。
花澤ON「半年近く走らなくて、いきなり走り出して、走る感覚とかぜんぜん違いましたし、長門監督とも相談して、練習メニューは毎日毎日変えて」
N 欠かせないのは、ストレッチ。
N 病気の進行を遅らせる効果があるため、人一倍時間をかけて行います。
N しかし、半年間走れなかったブランクは、簡単には取り戻せません。
花澤ON「くそっ!」
N 思うように走れない。苦しんだ花澤は、ある場所へ。
花澤ON「箱根駅伝の『絆』って書いてある銅像のところに行って」
N 絆の像があるのは大手町。箱根駅伝の、スタート地点です。
N 果たせなかった、夢への入り口。
花澤ON「銅像をみて、箱根駅伝を一回でもいいからぜったい走りたいなって気持ちに、新たな気持ちになりました」
N 10月に行われた、ロードレース大会。
  決意をあらたにした、花澤がいました。
監督ON「なんとしても61分を切るつもりでやってほしいです」
N 箱根の距離を想定したレース。
  花澤にとっては1年生以来の20キロでしたが…
監督ON「花澤よかったよ!動いてるよ」「間に合うぞ箱根」
N 強い気持ちで果敢に攻め続けた花澤。
  見事、目標の61分を切って入賞。
花澤ON「やりました!60分台」
    「マジ?」「おーやるな、やっぱ」「先輩復活じゃないですか」
N 確かな手ごたえと、取り戻した自信。この笑顔が、何よりの証(あかし)です。
N そしていよいよ、箱根駅伝エントリー提出日の朝を迎えました。
チームON「おはようございます」
監督ON「今日がね、12月10日のエントリーとなります。じゃ16人発表します」「3年生、栃木、花澤・・・」
花澤ON「はい」
花澤ON「いろんな人に支えられたからこそ、いま自分がいると思うので、
そういう人のためにも感謝の気持ちをもって。今度こそやってやろうという気持ちが強いです」
N どんなに辛くとも、逆境に負けず、あきらめず、走り続けてきました。
N 夢は、目の前。今度こそ。

しかし、去年の前回大会でエントリーされたものの、花澤は、当日実際に走る選手には選ばれなかった。直前に故障してしまったらしい。すぐそこにあった夢を、掴むことはできなかった。

そして。一年後の今日。
4年生の最後の年にようやく、夢は現実となった。彼は走ったのだ。最初で最後の箱根駅伝を。
鶴見中継所でタスキを受け取る瞬間から、目に光るものがみえた。様々な思いがこみあげたのだろう。花澤は強い向かい風が吹くなか、シード権を争う中央学院の選手の背中を追った。

結果は11位。あともう少しまで追い上げたが、14秒の差で10位に届かず、順天堂大学はシード権を失ってしまった。
(※10位までは翌年の箱根駅伝の出場権=シード権を得るが、11位からは予選会からの挑戦となる)
花澤はその責任を感じ、レース直後うな垂れていたが、大健闘だったとわたしは思う。鶴見でスタートした時点で、中央学院との差は1分4秒もあった。その差を、わずか14秒にまで詰めていたのだ。
届かなかった14秒より、懸命に詰めた50秒。
その重さを評価すべきではないだろうか。

四年間、花澤を支えた同級生の栃木は1区を走っていた。
花澤は10区。往路と復路、同じ区間をふたりが走ったことも感慨深い。

今日は個人的に、今年もっとも胸打たれた花澤の話を紹介したが、箱根駅伝のランナーには、ひとりひとり全員に物語がある。
彼らの背景にある、それぞれの物語を感じて頂ければ幸いだ。






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