ラーメンとSちゃん
今朝、大きな段ボール箱が届いた。
名古屋のSちゃんからだ。
さっそく開けると、かわいいまな板やふきんなどのキッチングッズと、“いつもの”ラーメンが入っていた。
Sちゃんは中学の同級生で、同じクラスになったのは3年のときである。友達になったきっかけはすっかり忘れてしまった。ふつうの公立中学だったので、生徒は地域の3つの小学校から来ていたのだが、出身小学校は違っていた。五十音順の名前が近いとか、部活動が同じとか、共通の友人がいるとか、そうした接点もまったくない二人だった。
不思議と気が合ったのだろう。わたしたちはいつも一緒にいた。そしてよく、学校帰りに商店街の古い中華料理店へ行き、昔ながらの醤油味のラーメンと餃子を食べながら、好きな男の子の話やアーティスト、将来の自分について語り合った。
15歳のわたしを想うとき、Sちゃんの存在は欠かせない。
別々の高校に進み、わたしは短大を出ると同時に富良野へ。生まれ育った名古屋を離れた。いつのまにか疎遠になっていたわたしたちが再会したのは、20代後半の頃だったと思う。そのきっかけも近所でばったり会ったからか、同窓会だったのか、よく覚えていない。
おそらくSちゃんは、わたしにとって「会うべきときに会う人」なのだろう。
30代になり、東京でドラマの脚本を忙しく書き始めた頃から、彼女はわたしの好きなスガキヤのラーメンを陣中見舞いに送ってくれるようになった。本当にありがたかった。あの頃のわたしを支えてくれたのはこのラーメンといっても過言ではない。名古屋で育った方なら理解して頂けるだろうと思うが、独特の白いスープがとても美味しいこのラーメンは、子供の頃の懐かしさを伴って、わたしを元気づけてくれる。
40を過ぎたころから、親の介護で名古屋に足しげく通うようになったわたしは、Sちゃんと頻繁に会うようになった。地元で結婚し、今も実家近くに住むSちゃんは、現在介護関係の仕事をしていることもあって、わたしの悩みにいつも親身に耳を傾けてくれる。
とうとう自宅介護に限界が来て、両親を老人ホームに入れなければならなくなり、実家を売却するため、家のなかを片付けたときも、誰より力になってくれた。
思い出の詰まった家の、思い出深い品々を前になにもできず、ただ立ち尽くすばかりのわたしに「今日はこの部屋を片付けよう」と背中を押し、埃まみれになりながらもじつに手際よく、わたしの何倍も働いて手伝ってくれたSちゃん。
実を言うと、わたしは普段、ラーメンを食べない。
東京では食べに行かない、と言ったほうがいいかもしれない。
Sちゃんと通った中華料理店は、あれからまもなく店を閉じてしまったが、名古屋に帰ると、必ずスガキヤのラーメンを食べたいと思うし、先日は家族でよく通った『江南』のラーメンを一人で食べに行った。どのラーメンも、親しい誰かとの「おいしいね」と食べた記憶がある。味より記憶が「食べたい」と思わせるのだろうか。
ラーメンは、わたしにとって「記憶」とセットになっていて、十代の自分を振り返りたくて、食べたいと思うものなのかもしれない。
夢と希望に満ち溢れ、可能性を信じて疑わなかったあの頃の自分を。
さっそくSちゃんにラーメンのお礼をと、携帯に電話をかけたら、これから私の両親のいる老人ホームへ行く途中だという。
「今日はお天気がよかったから、自転車でね。顔を見に行こうと思って」
いつものようにさりげなく、さっぱりとした声で彼女はそう言った。
人は、一生のうちで、たったひとりの友人を得ることができれば、幸せだとわたしは思う。
そして、わたしはとても幸せだ。
ほんとうに感謝しきれないほど、とても。
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