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突然の時間旅行

先日のポルトガル旅行で、なんとも稀有な再会があった。

まだ旅が始まったばかりの、行きの羽田空港への道のり。
大きなスーツケースをひきずり、品川で京急に乗ったわたしたち夫婦は、とりあえず座ろうと、空いていた席に腰を下ろした。車内はわりと混んでいて隣り合う場所が空いておらず、互いに向かい合う形で、夫は斜め右前の座席へ。

ふう、と息をつくと、夫の隣に座るビジネスマンの黒いキャリーが目に飛び込んだ。機内持ち込み用ほどのサイズで、前面のポケットが全開というか、がばっと開いており、たくさんの資料らしき紙がはみ出している。彼はそこから何枚か取り出し、熱心に読んでいるようで、はみ出ていることに気づいていない。
わたしはホチキスやクリップで留められていないそれらの紙が、なにかの拍子にバサッとこぼれ落ちないかと心配になり、夫にスーツケースが彼のキャリーにぶつからないよう目配せをしようとして「!」となった。

「Mさん?」
口に出すより先に席を立ち、そのビジネスマンの顔を覗き込んだ。
「Mさんですよね?」
「おお・・・」読んでいた資料から目を離し、わたしの顔を驚いたように見たその顔は、
「ゆいちゃん!」
まさしく、A新聞のMさんだった。

かつてわたしが富良野塾に在塾していた30年前、新聞社の広告局で先生の担当だった方である。その後も交流は続き、何度かお宅に招いて下さり、奥様とも懇意にさせて頂いているのだが、お会いするのは随分と久しぶりだった。何年ぶりだろう。そういえばいつだったか、近所の焼き鳥屋の前でばったり会い、挨拶を交わしたことはあったけれど。

「どうしてこんな場所で・・・近くに住んでてもめったに会わないのに」
夫と席を代わり、隣に座りながら話しかけると、相変わらず爽やかな元ラガーマンのMさんは「そうだよなあ」と資料を膝に置き、白髪の増えた髪をかき上げた。

Mさんの家は、わたしたち夫婦の住むマンションと最寄り駅が同じだ。
しかし駅を挟んで反対側のほうだからか、Mさんの家族とも偶然に会うことはほとんどない。同じ駅を利用しているのにホームや改札で見かけたことなども皆無だ。日常の行動時間がずれているのだろう。もう十年以上も同じ町にいるのに、ばったり会ったのも休日で、焼き鳥屋の前のその一度きり。
ここ何年かは、互いの近況を年賀状で知る程度だった。

なのに羽田空港ゆきの電車のなかで、しかも夫と席が隣合うとは。
ばったりもここまで来ると「奇遇」である。
そういえばMさんが夫に会うのは初めてだったと、わたしは慌てて紹介しながら、そんなことを思った。

聞けば、Mさんは札幌へ出張に行くところだという。
空港に着くまでの数十分。そのお仕事の話や、わたしたちの旅行について、先生のこと、互いの家族の近況(お嬢さんはいつのまにか社会人になっていた)など、いろいろ尽きない話をした。

話題は今についてのことばかりだったけれど、Mさんと話しながら、わたしは卒塾したばかりの頃を思い出した。
同期のみんなと、初めてMさん宅へ伺ったときのことを。
お嬢さんはまだ生まれたばかりで、離乳食を食べていた。
食が細くて、トマトしか食べないのと奥さんが心配していた。
あの子ももう、社会人になったのか。

旅へ出る前に、過去への時間旅行をしたようだった。


追伸。
きのう、お土産の金平糖とさくらんぼのお酒を持って、Mさん宅へ伺った。
Mさんはもちろん仕事で不在だったが、テニス好きの奥さんと全米オープンを観て盛り上がりつつ、お昼ごはんをごちそうになった。
初めてこの家に来たときは、同じ町に住むなんて思いもよらなかったなと、改めて感じた。人生はどうなるかわからない。
出逢いも別れも、偶然も必然も、何かに動かされているような気がした。

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