『ブルー』と6つの100円玉
11月1日。水曜日の夜は、日比谷の東京国際フォーラムへ。
渡辺真知子の40周年記念コンサートに出かけた。
『迷い道』でデビューしたのは、ちょうど40年前の1977年11月1日のことだという。そうか、あれからもう40年なのかと深く感慨に耽りながら、真知子ちゃんの歌声に耳を傾けた。
真知子ちゃん。わたしは子供の頃から彼女のことをそう呼んでいる。
初めて買ったレコードは、『かもめが翔んだ日』(78年4月発売)。小学校5年の春だった。
このときは親に買ってもらったような気がするが、あまりに欲しいというので祖母が不憫に思ってお小遣いをくれたのか、そこのところは記憶が曖昧だ。
わたしは真知子ちゃんの伸びやかで、高音がきれいに裏返る声が大好きだった。
父が自慢していた大きなステレオで、レコードに針を落とすのもすぐにうまくなった。ほんとうに擦り切れるくらい何度も何度も聴いた。
そして、真知子ちゃんのレコードがもっと欲しくなっていった。
しかし、自分の自由になるお金はない。お小遣い制度は中学生から、と厳しく決められていたし、お年玉は親戚や知り合いにもらうそばから、母に没収されていた。
そこで考えたのは、「100点取って100円をもらう」作戦である。
小学生が自分でお金を稼ぐには「勉強をがんばる」という手段しかない。
今なら1000円ちょうだいと交渉するところだけれども、そこはまだ子供だったので、母に「100点なら100円でしょ」といわれて素直に応じた。
実際に100円を渡してくれるのは、一緒に暮らしていた父方の祖母だったのだけれど。
わたしはすぐに「100点取ったら100円」作戦を実行すべく、勉学に励んだ。当時のシングルレコードは600円。その後に出た3枚目のシングル『ブルー』を買うためには、6回も100点を取らなければならなかった。これはなかなか大変だった。
幸い、テストは頻繁にあった。当時の担任教師がテスト好きで、毎週末「小テスト」と呼ばれる、国語と算数だけのテストもあった。100点ならどんなテストでもよかったので、とにかく片っ端から、苦手な算数にも奮闘した。
がんばった成果の600円を握りしめ、レコード店に買いに走った日のことは、今もよく覚えている。2学期が始まったばかりの最初のテストで、なんとか6枚目の100円を手中に収めると、すぐに店へ駆け込んだのだ。発売日をとうに過ぎていて、すでに大ヒット曲になっていたから、売り切れていないかすごく心配だった。『ブルー』のジャケットを手にしたときは、ほんとうに嬉しかった。
そしてわたしは、その後も続々とリリースされていく真知子ちゃんのレコードを買うために、コツコツと100点のテスト用紙を貯めていくことになる。
その頃、クラスでは掲示板に100点の棒グラフがあり、100点を取るたびに赤いシールが貼られ、シールが5と10に到達すると先生からメダル(5は銀、10は金)がもらえるというご褒美があった。現代の教育現場では棒グラフもメダルももってのほかだとお叱りを受けるだろうけれど、わたしのような子供にはたいへん有難いものだった。なぜなら、メダルの効力は倍増する。近くに住んでいた母方の祖父にも、お小遣いをもらいに行くことができたからだ。シングルだけでなく、高額なアルバムも欲しい。お小遣いはダブルでもらえたほうがいいに決まっている。すべては「真知子ちゃんのレコードを買うため」である。
結果、シングルは、デビューの『迷い道』から『たかが恋』(81年2月)までの10枚。アルバムは『海につれていって』(78年5月)『フォグランプ』(78年11月)『メモリーズ』(79年12月)の3枚を持つこととなった。最後のシングルが81年2月(この頃には700円になっていたと思う)ということは、ちょうど中学1年を終える頃まで、真知子ちゃんのレコードをせっせと購入していたことになる。
クリスマスや誕生日プレゼントにもらったレコードもあるので、それらすべてを『100点100円作戦』で買ったわけではないが、振り返るとあの頃がいちばん成績が良かったかもしれない。今考えても、じつにシンプルな動機で、成果もすぐに出たから、やる気が出たのだ。勉強も何事も「成果」と「やる気」が肝心である。
昨夜のコンサートの序盤、真知子ちゃんが『ブルー』を歌い始めると、なぜかぽろぽろ涙がこぼれてしまった。
映画や演劇でもなく、コンサートで泣くなんて初めてで、自分でも驚いたけれど、そこから糸が切れたように、昔の曲のメドレーを歌い始めた頃には、ほんとうに止まらなくなってしまった。
レコードは去年、実家を整理したときにすべて捨ててしまい、今は手元にない。ステージには、当時のレコードジャケットが映し出されていた。一枚一枚に思い出があり、ああ、ジャケット写真だけでも残しておけばよかったと、少し後悔したが、涙の理由は違う。
わたしのなかに残っている彼女の歌が、噴き出すように出てきたからだ。
わたしは泣きながら、真知子ちゃんの声に合わせて歌った。
メロディも歌詞も、フルコーラスで3番まで歌ってくれた歌も、ぜんぶ覚えていた。ここ最近の新しいもの以外は、すべての歌を諳んじている自分がいた。
真知子ちゃんの歌声は、40年を経た今も衰えることなく、キーも同じだった。あの頃と同じように、伸びやかで滑らかで、力強い。
よく「歌で元気づけられる」とか「音楽に勇気をもらう」と言うけれど、本当にそんな気持ちにさせてくれた。だからこそ、想いが共鳴して、涙がこぼれてしまったのかもしれない。
わたしは、忘れないようにしたいと思う。
泣きながら歌った、いまのわたしを。
そして―――100円玉を6つ握りしめ、レコード店へ買いに走ったときの、あのときのわたしも。
追伸。『ブルー』は、真知子ちゃんの歌のなかで、昔も今も、わたしのいちばん好きな歌です。
「♪あなたは優しい目 だけどとてもブルー」という歌詞で始まるこの歌を、初めて聴いたときは「青い目の外国人なのね」と信じ込んでいたほど、子供だったけれど。
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