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劣等感とコンプレックス


「どんな姿でも可愛いよ。」



ある日、美容院を終えて新しい髪型で帰宅した時に母から言われたこの言葉に衝撃を受けた。

30歳を過ぎ、生まれて初めて母の口から聞いた言葉だったからだ。


「え?私もう30歳過ぎてるけど?可愛い???」

驚きを隠せずそう言う私に母は、
「当たり前じゃん。生まれてからずっと、いつだって誰よりも可愛いよ。
 私の娘だもの。この先もずっとね。」




この瞬間に、過去の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。

30年以上が経ち、
子供の頃に私が求めていた言葉、
当時私が切望していたのは、これだった。





小学生あたりから、自分で自分のことを”可愛い”という人が理解できなかった私。
理解できないならまだしも、嫌悪感さえ抱いていた。
自分でも無意識に、生理的に反応してしまうような感覚だった。

その後、社会人になってからもそれは変わらず、
よく自分でそんなことが言えるな…
などと冷めた目で見ている自分がいた。

自分はそういうタイプの人が好きではないのだと、当時はそのくらいにしか思っていなかった。



今思えば、当時もその時の感情をしっかりと見てあげて、その感情の裏にある思いまで深掘りできればよかった。
私の欲求は何なのかを。
ただ、その時の私はそんな術を知らない。
でも今になって、気づくことができてよかったと思う。


自分のことを愛せている人を妬んでいた自分がいた。
そしてその嫌悪感の根本にあるのは羨望だった。
羨ましいという気持ちが妬みになり、嫌悪感となっていた。
自分にはそれができないと思い込み、
無意識にできている人を否定をしていたのだ。


自分自身を愛することができるようになった今、
自分のことを可愛い、好きと言っている人を目にしてもそんな気持ちは一切、湧かない。
むしろ、愛に溢れて素敵な人だな〜とあたたかい気持ちになる。



当時、そのような嫌悪感を抱く原因となっていたものは?

それは幼い頃の両親(特に母)との関係にあった。
一つ上の兄、二つ下の妹、私の3人の育児をほぼ一人で行なっていた母(父は仕事で帰りが遅かったため)。
仕事もしながら3人の子育てを両立させていた母は日々、忙しさに追われていた。

”とにかく子供達に食べさせることしか考えていなかった”
”衣食住を与えること、子供達を生かすことに精一杯だった”
当時を振り返り、母は言う。

他のことを考える余裕はおろか、母自身のことさえも考える暇がなかった。
当時の記憶がほぼないそうだ。
これはすべて、私が30歳を過ぎてから、
母との対話の中で聞いたことである。



ただ、その時の私には到底理解できない。

ーなぜ母はいつもイライラしているんだろう。
 八つ当たりしないでほしい。

「自分のことは自分でしなさい」

常にそう言う母の機嫌を損ねないよう日々できることをしていた(つもり)。


平成元年生まれの私の両親は共にTHE昭和世代。
自分の子供を人前で決して褒めない。
「うちの子なんてー」
そんなのが口癖、一般的となっていた世代だ。
謙虚さがある種マナーとされ、人前で子供を褒めるなんてことをしたものなら、”過保護”や”マザコン”などという言葉が飛び交う、そんな時代だ。

”みっともない”
”恥ずかしい”

世間体を気にするような言葉も頻繁に耳にしていた。

人前では褒めず、
家ではたんまりと褒める。

そんな環境ならまだ良かったのかもしれない。
が、私の育った家庭環境はそうではなかった。

家でも外でもあくせく働いていた母にはそんな余裕はなかった。
褒める以前に、子供達一人一人をちゃんと見ることさえも。

今なら理解できる。
子供は産んでいないが想像はつく。
働きながら3人の子育てをするということがいかに大変なことであるか。

今となっては、ここまで育ててくれた母には感謝しかない。
健康な身体に産んでくれたことも、
ここまで健やかに育ててくれたことも。

ただ当時の私に欠けていたもの、
必要だったことは、
”ありのままを受けいれられている”という感覚だった。

勉強も自分のためのものだからとテストの成績は全く気にせず、
低い点数でも評価はしないがどんなに高い点数を取っても褒めることをせず、あまり反応しない母。
ただ、運動会だけは違った。
母にとって大好きなビッグイベントで、
1位でないとダメだ!と
乗り気でない子供達を差し置いて誰よりも盛り上がっていた母。

今ならその価値観の違いも、
考え方の違いも受け入れられる。
でも当時の私は違った。

どんなことも、どんな結果も、
すべてありのままに受け入れて欲しかった。
ちゃんと見て欲しかった。

褒められなくていい。
ただ頑張った過程を見てくれていればいい。
”見てくれている” ”聞いてくれている” 
”良い/悪い”で評価せずにありのまま受け入れられたかったのだろう。

そしていつしか私は、
心のどこかで”母から愛されていない”と感じるようになっていった。

ある日、感情が抑えきれず、その想いを直接母へぶつけた。
自分の内にずっと秘めていた感情を初めて口に出し、涙が溢れた。
そして母も、泣いていた。


後になって、その時の言葉がそれまでで何よりもショックだったと母から告げられた。
あれだけ愛していたのに、私の愛情が伝わっていなかったのかと。


言葉の大切さ、そして重みを知る。



そして同時に、容姿にも劣等感のあった私は自分の外側にも自信が持てずにいた。
好きではなかった。
自分のことを鏡で見ることさえも嫌だった。
社会人になってからもずっと、鏡を避ける癖があった。

無意識に他人と比較し、自分は周りより劣っていると感じる。
ー劣等感

当時の私はまさに、劣等感の塊。
そのままでは充分だと思えない自分が常に、常にいた。

そのおかげで”もっと自分を磨かなきゃ” ”こうありたい” が強く、それが向上心へと繋がっていった。

ー内面も外見も磨く。
 美しく、強い女性になる。

これが当時の私のモットーだった。

そしてその劣等感のおかげで、エステや運動、そして健康に関するあらゆることを学びながらより良い自分を目指して奮闘できた。

劣等感も、使いようによってはポジティブに捉えられる。
そこに複雑な思考や感情が絡まってしまうことでネガティブなものとなってしまう。
ーコンプレックス

受け入れられず、そこから抜けきれず、否定の沼に入ってしまうのだ。
ちなみに日本語の劣等感と英語のコンプレックスは同義語ではない。


そんなこんなで外見磨きに劣等感をうまく活かせていた私も、内面となるとまた話は別だった。
特に恋愛。

否定の沼から抜けられなかった当時の私、
自己肯定感の低かった当時の私は、
満たされない何かを他人に埋めてもらおうとしていた。

一時的に満たされるも、
結局はどこかでまた、虚しさに戻る日々。

仕事や恋愛がどんなに順調でも、どこか満たされない毎日。





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時を経て、そんな私が留学での挫折、最愛の彼との別れをきっかけに自分を変える決意をしたことで、やっと自分自身と向き合うことができた。

自分で自分自身を受け入れられるようになり、
他人からの承認を得なくても、自分で自分をありのまま認められるように。

母やパートナーから”可愛い”や”好き”、”愛してる”と言われなくても、自分自身でそう思えるようになった。



自分を愛せるようになったことで得られたことはたくさんある。
そんな中でも、
自分の内側が満たされている感覚を得ることができたこと、
そして自分で自分自身を満たせるようになったこと、
これが私にとって何よりも大きく、豊かな変化だ。


まずは自分自身のコップを満たすこと。
それから誰かのコップも満たせるように。


誰かのために生きてきた人生が長ければ長いほど、どうしても自身を後回しにしてしまう。
そんな癖が抜けきらない母を見て、そう強く思う。

そんな母へ感謝が尽きない一方で、
もっともっと、自分を大切にして欲しい。
これまで私たちを大切にしてくれてきたように、
自分のことも大切にして欲しい。
私たちにしてくれていたことを自分にもしてあげて欲しい。

自分の人生を生きて。

日々、そう伝えている。




本当の意味での自分の人生は、いつだって始められる。

”自分の人生を生きる”

ただ願うだけでなく、
そう決めた時に、始まる。

もし今ほんの少しでも、”自分は幸せでない”
そう感じている人がいるのなら、まずは決めてほしい。

”自分は幸せになる”と。


幼少期にありのままを受け入れられているという感覚が欲しかった私、
劣等感の塊で自分を好きになれなかった私でも今では、その当時の”愛されていない”という思い込みを書き換え、母と対話したことでその思いを消化することができている。
今の私にはもう必要ないけれど、当時の私には必要だった、”私はありのままでいい”と思える母からの言動。

自己受容が幼い頃からできていたら、
育まれていたらどんなによかったか。
ふとそんな風に思う自分もいる一方で、ここに至るまでに経験したことすべて、それらを通じてもたらされた多くの気付きと学びに心から感謝している。
おかげで、今の自分があるのだから。
自分にとってすべて必要な経験だった。
今の最善のために。
そしてこれから起こることもすべて、
この先の最善のために起きるのだと信じている。



ただ一つ、母との経験を通じて思うことは、
想いは、言葉にしなければ伝わらないということ。
目に見えないものほど大切で、大切だからこそ伝えなければならない。
たとえ親子であっても。
親子であるなら、なおさら。
言わなくてもわかることなんてない。
人の思考のほとんどは思い込み。
相手とのより良い関係を望むなら、ちゃんと言葉を用いて、コミュニケーションをとる必要がある。
日本特有の”空気を読む”、それがいかに思い込みを加速させ、建設的な人間関係の妨げになっているか。


言葉は使いようによっては人を傷つけるけれど、
一方で、人に喜びや希望、愛をもたらすこともできる。

そんな言葉の重みや大切さを感じてもらえたら嬉しい。



過去の経験やトラウマが私たちの人生や未来を決定するものではない。
過去に起きたことをどんな風に受け止め、どんな今を選択し、そしてどのように未来へ繋げていくかが大切。

あなたの人生、変えられるのは自分自身しかいないのだから。
あなたを幸せにできるのも、あなたしかいない。
だからまずは、自分が決意する必要がある。
勇気を持って。

”自分に起こることは全て必然で最善の為”
私は心から信じている。

そう思えるようになったのも、これまでの経験を全て受け止め、そこに意味を見出し、そこから学びを得て、常に前に進んできたから。
そして自分の人生を、自分が望む方へと変えてきた。

誰にでも、その力はある。
一人残らず、自分の望む人生を創造することができる。
心から幸せを感じられる。


私は心の底から強く、強くそう信じています。



大丈夫、絶対に。

恐れからではなく、愛によって決断できたなら、
絶対にあなたの人生はより良い方へと進んでいく。






私は今日も愛を選択する。

愛を持って生きる。


With love and gratitude

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