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【読了】AI時代に言語学の存在の意味はあるのか? 認知文法の思考法

町田章
ひつじ書房

必ず、この問いに立ち向かわなければならない問題だったでしょう。

私は「言語学者」ではないですが、大学の専門が言語学であったし、「言語」を教えるという立場からしたら考えていかなければならない現状だと思います。

大きな時代の変化のはざまに立っている。

私達は大きな時代の変化のはざまにいるのではないでしょうか。ここまでに技術革新がかなりの速度で進展し、予想もしなかったものが台頭してきています。AIもそのひとつだと思います。

この事実に、英語や言語を学ぶ人たちはどう捉えるのでしょう。

きっと生徒の中には、「じゃあ言語なんか学ばなくてもいいじゃん」「AIに仕事が奪われる」などなど、言語学習にとってはネガティブな印象なものあるのではないでしょうか。

この感情は否定されるべきものではなく、むしろ当然の考えだと思います。
筆者も第1章の中でこのように認めています。

そろばんに習熟することは有意義であることは間違いありません。しかしながら、電卓やパソコンが普及した今、そろばんはもはや日本人全員に必修として課すべき技能ではないのです。

これらと同様に、精度の高い機械翻訳が安価で利用できるのであれば、外国語学習も、そろばんや書道と同じ運命をたどるかもしれないのです。できなくても全く生活に支障はないが、できるに越したことはない技能、できることに喜びを感じる習い事、上達する過程それ自体に教育的意義をもつ存在になるというわけです。

『AI時代に言語学の存在の意味はあるのか?』

実際、「英語学習」の意味を見出せず、テストや受験のためのものという短期的な学習として捉えてしまっている人もやはり私の受け持つ教室の中にも存在しています。

生徒の中には「英語を読む」ことよりももっと社会に出て実用的なことや、テストで点数を取る時間が欲しいという声もあるのも事実です。

だからこそ、私は「言語」を学ぶ者として、教育する者として立ち向かいたいのです。

この「言語学習不要論」が立ち込めている状況に嘆き、AIという人間の存在を超越しそうという存在に不安ばかりを考えるのではなく、世の中の新しい可能性を見出すことができる絶好のチャンスなのではないかと思うのです。

この世の中を少しでもよりよくできる新しい武器を手に入れることができるのではないか。

きっとその手に入れるかどうかの分岐点は「考える力」と「批判精神」ではないでしょうか。
「AIがいるから…意味がなくなる…。」「どうせ…。」と思い、「言語」の持つ可能性を捨ててしまうのではなく、AIがいるからこそ「言語」を用いて、世の中をよりよく持続可能な社会へと導いていこうとするか。

はっとさせられた例がありました。

機会翻訳機のポケトークに「今日は天気です。」と話しかけるとToday is the weather. (2019年10月現在)、It's the weather today(2023年5月現在)と英訳してくれます。微笑ましい限りですが、私たちが欲しい英訳は It's fine today. ですので、誤訳ということになります。

『AI時代に言語学の存在の意味はあるのか?』

翻訳の発達は本当にすごいです。ですが、「完璧」でないことを知っていなければ、どんなに翻訳を使ったとしても間違ったコミュニケーションになってしまいます。

「言語」の本質を学ばずにこの「違和感」に気づくことがはたしてできるのでしょうか?

「批判精神」を持たないものがAIをうまく正しく判断して使用することができるのでしょうか?

「英語を学ぶ意味」を考えずに、翻訳を使っているだけで正しいコミュニケーションができるのでしょうか。

「ことば」を使う者にとってやはりこのAIなどが取り巻く状況をしっかりと把握し、そして与えられた情報に対してうのみしてしまうのではなく、深く自分の頭で考える「思考力」と「批判精神」を身に着けることが必要だと改めて思います。

このことをできるだけ生徒たちと一緒に考える授業にしていきたいです。

言葉の本質が問われる

「ことば」とは何ですか?多くの人が「コミュニケーションツール」と答えるのではないでしょうか。

では、「コミュニケーション」とはなんですか?
ちょっと気になったのでChatGPTさんに聞いてみました。

コミュニケーションとは、情報や感情を伝達し、共有するプロセスのことを指します。これには、言葉を使った口頭コミュニケーション、書かれた文字を通じた文書コミュニケーション、身体の動きや表情を使った非言語コミュニケーションなどが含まれます。具体的には以下の要素があります:

1. 送信者: 情報や感情を発信する人やエンティティ。
2. メッセージ: 伝えたい情報や感情の内容。
3. チャネル: メッセージを送る手段や媒体。
4. 受信者: メッセージを受け取る人やエンティティ。
5. フィードバック: 受信者からの応答や反応。

このプロセスを通じて、コミュニケーションは理解と共感を促進し、関係の構築や情報交換を可能にします。

気になったのは「理解と共感」です。これはAIにとって可能なのでしょうか。

AIは現時点では「理解と共感」を完全には実現できません。AIは情報処理やパターン認識に優れており、特定のタスクや問題に対して高度な解析や予測が可能ですが、以下の点において人間とは異なる限界があります:

1. 感情の理解: AIは感情を持たないため、感情の表現や理解が困難です。人間同士のコミュニケーションでは、感情の共有や共感が重要な要素となりますが、AIはその面で限界があります。
2. 文脈の理解: AIは文脈を理解する能力が限定されています。言葉や行動の背景にある文化的な要素や個々の経験に基づく微妙なニュアンスを捉えることが難しい場合があります。
3. 倫理的な判断: AIは倫理的な問題や価値観に基づく判断が難しく、人間の感情や倫理観に基づく意思決定とは異なる側面があります。

ただし、AIは情報の効率的な伝達や特定のタスクの支援において非常に有用です。例えば、医療診断やカスタマーサポート、教育支援などの分野で、AIが人間と協調して働くことで効果を発揮します。将来的にはAIの発展により、さらに人間とのコミュニケーションにおける役割が拡大する可能性もありますが、現時点では人間の理解と共感に完全に置き換えることはできません。

「ことば」の捉え方は人それぞれだと思います。
ただ、私の中では「心」を持つものとの交流の一つのツールなのではないでしょうか。

これは人間だからこそできることです。AI自身が言っているように、まだ機械には「心」がありません。

人と人との関わりの中で生まれる「人間らしさ」のような暖かさは、機械を通すとなると、少し別のものになるような気がします。これはあくまでの個人的な感覚ではありますが、やはり、翻訳ツールやAIを介したコミュニケーションよりも、その人の発する「ことば」を自分の「頭で考え理解しようとする」方が心がつながる関係性を生み出すのだと思います。

これも一つの「言語」を学び、極める意味なのではないでしょうか。
「だから英語は教育なんだ」心を育てる学問として認識して言ってほいしいと思います。

結局、未来は誰にも分からない。

小窓にテキストを打てば答えを教えてくれる。莫大なデータを人間以上に持っているからこそできるAIの強みです。

ですが、このAIに「未来はどうなるのか」という質問をしても確たる未来を教えてくれるものではない。私たちがまだ見ぬ未来を作ってくれと言っても、AIは過去のデータを元にした「ヒント」を与えてくれるけど、答えは教えてくれない。

結局のところ「未来」については、人間同様AI誰にも分からないです。
新しいものは人間の役目です。AIを活用して、考えて、創造していくのは人間なのです。

私たちの運命は決して機械ではなく、その機械をどのように活用するかという「思考力」にかかっているのだと思います。

私たちはこのAI時代の中で、何を学び、何を考え、どのような行動をするのでしょうか。そして教育者として求められる力はなんでしょうか。

私自身も未来についてはわかりません。ただ、今現在に比べて全く同じということはないでしょう。目の前の生徒がどのような職業に就くかもわかりません。今じゃ想像もできないような新しい職業についているかも知れません。

だからこそ、どんな環境に行ったとしても、どんな職業に行ったとしても、一人一人が持つ可能性を最大限に生かし、この世の中をもっと素晴らしいものにしていってほしいと願って止みません。

私ができることは、生徒一人一人の可能性を最大限に引き出すこと。そして、その可能性があるということをその生徒に伝え続けてること。

成長していく未来の希望の伴走をしていけるように。私自身も社会へのアンテナを常に立て、一緒に成長するパートナーになれるように。

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