見出し画像

英語の話せない私がアメリカでバイリンガル育児 2

あれは忘れもしない2012年2月10日。

私は初めての出産、1ヶ月実家に里帰りを終え自宅に戻ってさてこれから3人の生活が始まるという希望と、初めての子育てで寝不足や不安でいっぱいの時だった。

ちょうどNYに住む友達から出産祝いが届いて、帰ってきた主人に報告しようとした時だった。

「アメリカに行くかもしれないよ!」

たしかに彼は海外で働きたくてその会社に入った。だからいつかはアメリカに住むんだろうな〜と心のどこかで思っていた。でも今ですか?出産したばかりで、さぁこれからだ、という今!?私は泣いて部屋を出た。
応援してくれるだろうと思ってた彼にしたら予想外の反応だっただろう。

でも今じゃない。アメリカにはいつか行くかもと思ってたけど今じゃない。泣きながら母に電話して行きたくないと訴えた。産後のホルモンも影響してか一晩泣いた。せめて1歳までは日本で子育てさせてくれとメールを打って送らなかった。
次の日の朝、どうせ行くなら楽しむ。一緒に頑張ろう。と彼に伝えた。

1ヶ月後コストコにいる時に辞令の電話。アメリカ行きが確定。その後色々な準備や手続きをし、VISAが取れた5月末、彼はアメリカへと旅立っていった。

彼のいた会社の駐在員の帯同家族は、本人が生活の基盤を作り仕事に慣れるまで行ってはいけない。
2ヶ月私と息子は実家暮らし、友達と会いまくる毎日だった。
そして2ヶ月経ち、家を決め家具を揃え、車を用意し彼が日本に迎えにきた。
出発前日、息子はまさかの初めての発熱。母の緊張が伝わったのか。

何とか熱が下がり0歳児を連れて国際線のフライト。

初めて帰りのチケットがないフライト。
今まで実家の近くを離れたことのない私。不安いっぱいで日本を旅立った。

泣き通した息子と地獄のようなフライトを終え、LAXに着き、Uberなんてなかったからシャトルで駐車場へ行き、スーパー(駐妻憧れのTrader Joe’s)に寄ってから彼の用意した自宅へ。今までFaceTimeでは見ていたが、今日からここが家なのか。ゲート付きのタウンハウス。あまりに広くてなにもなくて笑ってしまった。

ここからいつまで続くかわからない私のアメリカ生活が始まる。
ペーパードライバーの私は車の運転を練習からか。右も左も分からないアメリカ生活の幕明けだった。

この時息子は7ヶ月。
英語どころか日本語もよくわからない赤ん坊だった。

#アメリカ生活 #海外移住#バイリンガル育児#帰国子女


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?