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英語の話せない私がアメリカでバイリンガル育児7

さて、レジストも済み、あっという間に初日がやってきた。
週2回の9時から12時。

日本の幼稚園のような用意は全くなく、ランチも食べてこないので水筒と着替え、オムツのみ。

まず教室へ行きチェックイン、息子の先生はこの道何年だと言うくらいのベテランの先生(友人の旦那さんがこの幼稚園にいた時に担任だったと言っていた、のちに我が家で神と呼ばれる😂)Ms.Stacy。
ヤードで遊ぶまでは親も見守る。バックヤードに行き息子が遊びだしたので、私は今だと思いサラッと帰ってしまった。

このことを私は後悔することになる。

楽勝じゃないか。とニヤニヤしながら2年半以上ぶりの1人時間を過ごす。子供がいないだけでこんなにスムーズに車の乗り降りができて買い物も行けるのか。

なんて軽い気持ちで過ごし、あっという間にお迎えの時間。
迎えに行くとアシスタントの先生に抱かれて眠る息子。顔を見ると涙の跡。

先生に聞いてみると、わたしがいないことに気付き号泣、泣き止まずそのまま泣き疲れて寝たという。

そりゃそうだ。ママはいきなりいないし、知らない場所だし、なんか言われてるけどわからないし。

どれだけ怖かっただろう。

ママ絶対来るからね、って言って別れればよかった。こんな小さい子にそんな思いをさせてしまってニヤニヤスーパーに行っていた自分を殴りたい。

息子は起きると私から一切離れなくなった。これ以前も相当なママっ子だったが、さらにママっ子に。
そんな息子を見るたびに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

(このことはずっと私の心に引っかかっていて、数年後改めて謝ったら全く覚えていなかったことに救われた😅)

翌々日から私たちの闘いは始まった。

2回目の通園の朝がやってきた。パーキングにつくなり私から離れない息子。教室に入っても離れる気配はないどころか1mm離れるだけでも大号泣。

周りの子もみんな泣いている。

今日は息子が落ち着くまでずっといてもいいか先生に尋ねる。日本だったら断られそうだ。
すると「もちろんよ」と即答でOK。
「彼にはここが楽しいところだと思ってほしいの。だからとりあえず今日はあなたも一緒に遊んであげて。」
なんて優しいんだ。

バックヤードに移動する時間になった。
教室を出た瞬間、何人かの子が泣き出した。それに釣られてほぼ全員が泣き出す。泣き声の大合唱が始まった。
さすがのMs.Stacyもびっくり。「OMG!こんなに泣くクラスは珍しいわ。今日は外に出ないで教室に慣れていきましょう。」と予定を変更。

教室に戻ると数人は落ち着いて、絵本を読んだり絵を描いて過ごした。

息子は相変わらず1mmも離れない。

そこで神が提案してきた。

「あなたたち明日も来れる?火曜日と木曜日だけじゃ少なすぎて慣れないから、慣れるまで毎日来てみて。で、明日からはあなたは一緒に遊ぶんじゃなくてただ教室にいられる?ここは安心して過ごせるし、ここではママじゃなくて先生が助けてくれるってことを教えたいの。それで1分離れるところから始めましょう」

息子に合った方法をすぐに考え実行してくれた。

次の日から同伴通園が始まる。

翌日しばらくすると息子が少しだけ遊び出せた。でも離れると号泣。そこで私は手を差し伸べてはいけない。先生が抱きしめて「ママはそこにいるから大丈夫よ。先生がヘルプするからね」と。

泣いてる息子を見て私も涙。先生がティッシュをくれる。先生、頼りない母でごめんなさい。。

「よし今トイレ行くって言って離れてすぐ帰ってきて!」「ママは必ず戻ってくるとわからせるのよ!」

先生から指示が飛ぶ。英語の苦手な私はとにかく必死で指示を聞く。他のママたちもすごく励ましてくれて、「あせらず少しずつよ」と。それも英語だからまた必死。母子で鍛えられる。


1分から始まった母子分離も、5分、10分と少しずつ伸ばしていき、1時間、2時間と毎日先生が息子に合った方法を考えてくれる。


息子が当初の予定の週2の3時間に戻れたのは幼稚園が始まってから2週間経ってからだった。

この方法が嫌な人も無理な人もいるだろう。
でも先生に無理強いされたわけではなく、先生はいつも寄り添ってくれて、息子に合った方法を考えてくれた。私たち母子にとってはこれがベストだった。

ありがとうMs.Stacy。

あなたのおかげで私たち母子は成長できました。


さて始まりがこんな波乱に満ちたpreschool生活。

次回は息子に英語取得までのことを書きたいと思う。


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