フィッシュマンズの哀しさ
「映画:フィッシュマンズ」は、哀しい映画だった
結末のわかっている物語を、皆で偲んで観る。生前の輝きが色褪せないぶん、極上音響なだけに、より哀しい。今なおご存命だったら、どんな音を鳴らしてくれただろう?と。
惜しむらくは、没後、ゲストヴォーカルを迎えて新生フィッシュマンズとして活動を続けている、その映像をもっと観たかった。その更新され続ける音楽を、もっと聴きたかった。権利の問題等で作品に収めることは難しかったのだろうと想像がつく、けれど、過去のバンドではない、現在進行形のバンドなのだ、と喜びを提示できたならば、喜びをもって映画館を後にできたはずだ。
そう考えると、この映画は故・佐藤伸治氏に一区切りをつけるような作品と観るべきなのかもしれない。
上映時間2時間52分。レビューを眺めていると、観客の多くが「短く感じた」「楽しい映画」と評している。しかし私にとっては長く、物語が進むにつれて苦しく、観終わった後、哀しみが堆積する作品だった。
最初の出会いは2006年のFRF
最初の接点は、2006年のフジロックフェスティバル(FRF)、FIELD OF HEAVENでのライブだった。その時は、その場に居たのに、耳に入ってこなかった。スタッフとして参加をしていたのもあって、今ステージで誰が演奏しているかなんて、気に留めていなかったのだ。
その直後に、僕はちゃんとフィッシュマンズと出会う。映画「THE LONG SEASON REVUE」の公開もあって、その年、界隈が一様にフィッシュマンズを騒ぎ立てていた。そしてハマる。心に沁み込む。FRFで観逃していたのを猛烈に悔やむ。フィッシュマンズしか聴かない時期がくる。2011年の5月3日、日比谷野音でのA Piece Of Futureは会場に足を運んだのか、Ustream(懐かしい)で観たんだか、記憶が定かでないけれど、年に1度のFishmans Night Osakaには通っていた。
聴き込みすぎたのだろうか。しばらくするうちに、聴くとだんだんとうら寂しいような、辞世の歌を聴いているかのような気分になってきた。以前は明るい気分で聞けた曲が、なんとなしに侘しい。むこう側へ連れて行かれそうで、そこはかとなく怖い。たまに思い出しては聴くのだが、久しぶりに聴けば聴くほどに、楽しさより哀しさが際立つ。1曲1曲聴いて陽気な曲はある、個人的にアンセム化している曲もある。けれど、アルバム通して聴くと、哀しい。
哀しみはどこから?
この哀しさは何なのだろうなと思いながら10年以上聴き続けてきたけれど、今回、映画を観て、不意に納得がいってしまった。この哀しさは、ヴォーカル佐藤伸治のたたずまいから受け取ってしまう哀しさなのだった。
映画では、
・すべての曲で作詞が先に行われていたこと
・佐藤伸治にとって、オレンジ色=夕焼け=斜陽、であったこと
が明かされる。
佐藤伸治の目は「ビー玉のようで」きれいだったと語られる。しかし見方によっては、瞳孔が開いていて、怖い。ライブの時が特にそうで、キツネが憑いたような顔をする。自分で「下ろせる」タイプの人物だったのか。イタコ気質の人間(坊さん仲間にも思い当たる方がいる)。ファルセット(高音)は、けものの鳴き声のようだ。
生死の境い目が曖昧になっていく
「佐藤伸治は、ずっとバンドにこだわっていた」というくだりがある。けれど想像するに、彼にとってバンドはバンド(帯、円環するもの)ではなく、ロープ(先へ行くもの)だった。そしてそれはメンバーを指していた。メンバーが傍にいてくれることは「なんて不思議な話だろう こんな世界の真ん中で 僕が頼りだなんてね」という、ギリギリの生存の手ごたえで、その手ごたえを携えてタイトロープをずっと歩いていて、何とかこちら側に落ち続けていたけれど、1999年3月15日にはむこう側に落ちた。
むこう側に落ちると、姿は見えなくなるので、それ以降は人に憑依して、今でもまだタイトロープを渡っている。宿り主の気質によって、タイトロープではなくてバンドになる場合がある(原田郁子はそうだ)。そんな時、むこう側の佐藤伸治は「あぁ、バンドもいいな」と思っている。そんな気がする。
映画の序盤に、夕焼け=斜陽と明かし、中盤ではメンバーがどんどん離脱していく。そして終盤に「夕焼けがやってこない」と歌う佐藤伸治さん。ロープがどんどん細くなっていく。夕焼けが訪れないで欲しい。生死の境い目が黄昏時を迎えてどんどん曖昧になってゆく。もうSOSにしか聞こえない。観ていてつらい。
Time Passes And The Future Is Now
2021年4月21日、フィッシュマンズのデビュー30周年を記念して開催されたアコースティックライブ ”Time Passes And The Future Is Now"。このライブの模様は、映画の動員1万人突破記念として、現在アンコール配信中だ。(7/22~8/5迄)
配信の中で、原田郁子さんと茂木欣一さんが「この映画の試写を観て、話して、今回のライブが決まった」と話すくだりがある。
冒頭に書いたように、この映画は故・佐藤伸治に一区切りをつけるような作品に仕上がっている。没後、ゲストヴォーカルを迎えて新生フィッシュマンズとして活動を続けている映像は、一瞬しか映らない。ならばと、お2人も思ったのではなかろうか。まだまだ成長を続けるフィッシュマンズというバンドの、現在進行形を見せたい。だから ”Time Passes And The Future Is Now"だ。
窓は開けてあるんだよ
映画のパンフレットにあった「来年はレコーディングを少しして、またできたら夏以降ぐらいにライブをやりたいかなと思ってます」の言葉。そしてこの配信でも語られた「ライブしたいね」の言葉。その実現が楽しみで仕方がない。ライブには絶対に行こう。自分の中のフィッシュマンズをアップデートしたい。
われわれフィッシュマンズのファンは、これからもずっとフィッシュマンズが大好きだろう。みんな「窓は開けて」ある。いつでもバンドからの「いい声聞こえそう」だから。
「この映画は故・佐藤伸治氏に一区切りをつけるような作品」と上に書いたけれど、観終わって少し時間が経って、あらためて思うと正確には、「佐藤伸治氏のお墓参りのような作品」だった。
観て、けじめをつけて、前を向いて歩いていく。時折ここに立ち返ってきて、大切なものを再確認する。
僕らの人生に染み付いた音は、ずっと鳴り続け、バンドとずっと呼応して、ちょっとずつ佐藤伸治さんを憑依させながら、2021年も毎日を生きてる。
生きていこう。
<了>
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