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寝癖観察9日目:アシメ頭の野球少年

今日の寝癖は風吹いてるのかって感じのアシメスタイルになってた。
中学の後半のくらいだったか、やたらアシメな前髪の人多かったよね。俺2ブロアシメです、うす。みたいな。
まあ御多分に洩れず自分もやってたんだけど当時の少し小っ恥ずかしい髪型があったからこそ今のパーマに行き着いたということにしよう。全てに感謝。根ポジ。

アシメがてらちょっと中学のことを振り返ろうと思う。小6のそろそろ年末という12月初旬、普通に周りのみんなと同じ公立の中学に行くのが突然嫌になり、私立の受験をした。受験勉強始めるの遅すぎだろってタイミングで始めたけど、個別指導の先生との相性が抜群でグングン勉強が出来る様になり、中の上くらいのレベルの学校に入った。(当時と比べて今ではものすごく人気の進学校になってるらしい)

小学生の頃から狂ったように野球ばかりしている野球少年だったんだけど、中学に入ると当たり前のように野球に打ち込んだ。平日は学校の部活、土日はクラブチームとほぼ休みなく野球をやってた。
結構学校の部活は弱かったので、遊び半分という形でだらだら3年間やってたが、クラブチームの方はそれなりに強くて、都大会とかで準優勝とかした。
クラブチームは練習がハードできつかったし、夏合宿は坊主にさせられたし、今考えると土日が全て練習やら試合で埋まるっていうあり得ないような3年間だったけど、正直めっっちゃくちゃ充実してた。
根本的に野球が大好きで、個人でもみんなでも努力して、辛い練習を励ましあったり、ふざけ合いながら頑張り、成長して、チームで強くなって、勝って喜びを分かち合う…間違いなく自分の人格形成の基礎となった3年間だった。

あとは尊敬できる大学生のコーチがいた。練習メニュー組むところから試合の指揮までほぼ全てのマネジメントをやってくれてた方で、大学の2-4年のゴールデンタイムの土日をほぼ全部野球小僧たちの育成に費やしてくれた人だった。今考えるとそこまで個々が飛び抜けた選手ではなかったうちらのチームが強かったのは、この若いコーチのおかげだと思う。
他のチームの監督は50-60代くらいでろくに動けないしふんぞり返って偉そうな感じで、試合後に全員集めて長話してるのを横目に、「中身ないんだろうなー」とか見てたけど、うちのコーチは一切そういう無駄なことはしなくて、全体的にすごく合理的だった。
尊敬出来る恩師みたいに思える人がいたのは人生でこの時が最初で最後だった。この後、中高一貫だったので、高校に進学するも野球は中学で燃え尽き、1年生の夏大会前くらい辞めてしまった。

長くなったけど、中学3年間を振り返るととにかく毎日野球だった。
あの頃は少しでも早く起きて朝練習がしたかったし、5時間でも6時間でも休みなしで練習打ち込んでたし、日が暮れても弟を連れて羽打ち(バトミントンの羽を打つ家の庭でできる練習)をしていた。
明確にはいつ夢を諦めたのか覚えてないけど、中学の途中まではプロ野球選手になると本気で思っていたので、夢の途中という感じで人生をがむしゃらに生きていた。

この1年くらい、部活みたいに仕事が出来ないか?がテーマなんだけど、まだまだこの部活の頃並みの没入が出来てない。
色々利害関係のある仕事でこれをやろうとするのは、なかなかハードな道のりだけど、中学時代の野球少年だった頃を改めて振り返ってみて、なんかすごく整理された気がした。

・そもそも好きなことをやっている
・人生の目標と今やってることがリンクしてる(プロ野球選手なになりたくて野球をやってた)
・励ましあったり、おちゃらけたり、切磋琢磨できる良いチームがある
・個人と組織の成長が実感できる
・何か目標に到達して喜びを分かち合えてる
・尊敬出来る恩師がいる

この辺りが重要かな。今の会社入るときに二番目は結構考えて入ってるからそれなりに納得感は持ってる。

社会人になって、何だか底知れない他人の人生を生きてる感があるんだけど、改めてこういうのを突き詰めて、自分の人生をしっかり生きてこうと思う。
元気出てきたので、仕事に戻ろう。そして今日こそ早く寝よう。人生アシメスタイル。


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中学の頃の野球部の都大会に出てた頃の写真。都大会準優勝したんだけど、全部接戦で、5試合中3試合を自分のサヨナラ打で勝つというお祭り男ぶりをはっきしてた。笑

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