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【ショートショート】誰でもよかった (1,680文字)
出勤前、いつも通り慌ただしく化粧をしていたら、テレビから親しみのある住所が聞こえてきたので、思わず、画面に目をやった。パトカーで連行されていく若い男の顔が映し出されていた。通り魔事件があったらしい。
ゾッとした。男はニヤリと口角を上げ、真正面を見据えていた。わたしはその笑顔をよく知っていた。
毎朝、駅へ向かう道中、すれ違いざま、
「おはようございます」
と、挨拶をしてくる男がいるのだが、まさしく彼がそうだった。
ニュースキャスターは言った。
「警察の取り調べに対し、男は誰でもよかったと供述している模様です」
と、伝え、被害者のことを写真付きで報じた。それはわたしと同じぐらいの二十代半ばの女性で、髪型も服装の感じも、なんなら顔つきだってそっくりだった。
その上、犯行現場はうちから徒歩三分のところ。昨日の午前八時過ぎということはわたしが家を出た直後のこと。てか、男に、
「おはようございます」
と、声をかけられ、会釈を返した数分後なのではあるまいか。
気持ち悪さが込み上げてきて、すぐにトイレへ向かった。空腹を満たすためにさっき食べたカロリーメイトが流動体となって便器に流れ落ちた。眠気覚ましに飲んだインスタントコーヒーと混じり合い、不安な暗さが香ばしく水面を揺蕩っていた。
膝をつき、前屈みになり、ウェッ、ウェッ、むせび泣きながら、本当に「誰でもよかった」のか、疑問に身体が震え続けた。
わたしと殺された彼女はあまりに似ていた。誰でもよかったのだとしたら、わたしが殺されていても不思議ではなかった。でも、こうして生きているのはなぜなのだろう。
犯人の男と縁もゆかりもないのであれば、こんなに怖がる必要はない。でも、わたしはこの男と何度も顔を合わせている。会話こそしていないけれど、きっと、認識されている。そして、それは見た目から判断するに被害者も同じはず。
この辺に暮らす、これぐらいの平均的な女として、きっと普通に生きてきたわたしたち。二人の間にどのような差があったのか。
本当に、誰でもよかったのかもしれない。それでも、誰でもを選ぶにあたって、犯人はなにかしらの評価を下している。きっと、わたしよりも彼女を殺すに至る決定的な根拠がどこかにあるのだ。
彼女は彼の「おはようございます」を無視したのか。いつもより明るい色の服を着たいのか。ファンデーションを変えたとか。前日の夜に遊び過ぎて、家を出る時間が普段より遅くなってしまったせいで、彼とすれ違うのは昨日が初めてだったりして。バッグの種類、髪型、メガネかコンタクトか、朝食をとりながら歩いていたから目をつけられたのでは……、などと考え始めたら、なにからなにまで理由になり得るような気がした。
結局、その日、わたしは仕事を休んだ。とてもじゃないけど、家を出られやしなかった。
ベッドに突っ伏し、スマホで事件について調べてまわった。特に新しい情報は載っていなかった。ただ、連日、似たような事件が各地で発生しているらしく、似たような男が「誰でもよかった」と言いながら、似たような女を殺していた。
誰でもよかった。
その言葉を目にするたび、生きていると同時に殺されてしまったような、相矛盾する二つの状態の重なり合ったところに立っているのだと認識し、すべてが他人事ではなくなってしまう。
むかし、高尾山のさる園に行ったとき、何十匹といる猿の一匹一匹に名前がついていることを知り、驚いた。わたしからするとどの猿も同じにしか見えず、飼育係なら「エミリーちゃんに餌をあげてください」と言われたとき、正直、誰でもいいよと思ってしまった。
犯人にとって、わたしたち他人はあのときの猿と変わらないのかもしれない。仮に自分が猿山にいると想像したら、なかなかに苦しいものがある。
わたしは自分が被害者になり得る可能性に震えながら、加害者の種が心の奥深いところに根付いている恐怖を抱きつつ、布団の中で身体を横向きにした。膝を胸に引き寄せ、背中を丸め、胎児のような姿勢でなにもかもを忘れるため、眠くないけど眠ってしまうことにした。
(了)
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