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讃岐グルメ1)「実家という実態が消えた”ふるさと”は”ふるさと”ではなくなった・・のか?」 (香川県高松市)

讃岐人のあたくし。父が亡くなり続いて母も亡くなり、兄弟姉妹がいない一人っ子の私にとって”ふるさと”と呼べるものは「実家」という物体だけになった。その実家を売っぱらってしまうと自分の帰るべき場所が消えてしまい、語ることさえ思い出すことさえほとんどなくなってしまった。

高松築港のそばにあったかつての実家。東南角で町内の一番いいとこだと父親はいつも自慢していた。

先月相方の実家に帰省した。すでに空き家であるが、片付けやらメンテやらやるべきことが少なからずあった。相方とは高校で出会った。つまり同郷なのだが、こちらは四国の玄関口である高松市の出身で、相方は朝ドラのブギウギ主人公の出生地である香川県の東の端、大川郡(東かがわ市)が故郷となる。

相方の実家、こちらはまだ残っている。335坪の物件は広すぎてなかなか売れない。

同じ県なのに自分の実家がなくなると、神戸大阪方面に近い相方の実家からわざわざ高松市に出かけることがピタリとなくなった。ところが今回は、高校時代の友人が退職し、親の介護もありで東京からUターンしたというので顔を見に行こうということになったのである。

ふるさと=友だち=懐かしい味

生まれてから18歳まで住んだ街なので土地勘は今だにある。その友人の実家の場所もうっすらと覚えていた(とはいえ出かける前にグーグルマップで確認はしておいた)。お昼をごちそうになり5時間ほど居座って30年ぶりのおしゃべりを楽しんだ。

夕食は父親いきつけで家族でもよく通っていた中華料理店に寄ってみた。ここは変わらず営業しており、奥さんに「あら久しぶりね・・」と話しかけられ驚いた。「えっ、我々のこと覚えてらっしゃるんですか?」「分かるわよ」。夕方の開店早々に(昼と夜の2部制)厨房に座って船漕いでいたご主人がやおら立ち上がり、2つのメニューを手ぎわよく作ってくれた(代替わり予定の息子さんが餃子を焼いてくれた)。昔の味のまま。懐かしい味に包まれがっついて食べてしまった。働き者のおばあちゃんはもう亡くなったそうだが、店は改装もせずそのまま。でも、奥さんの髪の毛は真っ白になっていた。

父親いきつけの中華にて(父の大好きだった五目ラーメン・炒飯・餃子)

そうそう、高校時代によく通ったパーラーが移転をくりかえし高松市の中心部に復活していたのには驚かされた。ここのソフトクリームを使ったメニューは独特のもので、大きなシュークリームにソフトクリームと果物を挟んだ「ローゼ」は、甘いものに目がなかった母親のお気に入りだった。

高松経済新聞より https://takamatsu.keizai.biz/photoflash/1800/

そんなグッドニュースの一方で、豆菓子がめちゃくちゃ美味しい「豆芳」が消えていた。帰りに豆芳に寄ると友人に話したら「もうなくなっているわよ」と聞かされ大ショック!!この豆芳も父親のいきつけの店で、定年まで働いた職場のそばにあって、よく豆菓子のセットを京都まで送ってくれた。相方(エカキ)が麻布十番で個展を何度か行った折、界隈で評判の豆菓子とやらをおみやげに買ってきてくれたが、豆芳のほうが何倍も美味しかった。

豆芳のひょうげ豆(のり・しょうが・みそetc)、以前の写真

仕方なく、中華の夕食を終えコインパーキングまで歩いていく途中の和菓子屋「名物かまど(これ・・正式名称。以前は荒木屋だったような)」に立ち寄る。ちょうど店員さんが店じまいの途中だったが「どうぞどうぞ」と招いてくれたので、お気に入りの「田舎家」を購入。相方の実家に戻って食べたら・・うーん、こんな味だったかなあ・・

左が田舎家・右はかまど(以前の写真)

両親の通った店と食べもの、友だちとのおしゃべり・・実家が消えた今、これらの記憶がふるさとの一部であるということ。それがよく分かった帰省であったが・・全てが風化しつつあり、その風と共に自分も消えていく運命にあるのだと感じている。思い出で「胸が」、たべもので「お腹が」、いっぱいになった”ふるさと”であった・・・

※トップ写真は、相方実家のある東かがわ市の「マルタツ手打ちうどん」の「釜玉うどん」、卵が温泉卵である釜玉は珍しい。



#ふるさとを語ろう

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