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ネイティブ・アメリカンの教えから考えるゲーム依存

こんにちは、心理士のなべたです。

この記事では、「ゲーム障害再考」という本に掲載されている、教育ジャーナリストのゲーム依存に関する記事を読んで、その要点をまとめてみました。


ネイティブ・アメリカンの教え

ネイティブ・アメリカンはかつて、文字をもちませんでした。文字に支配される危険性を知っていたからです。彼らの諺に「蛙は池の水を全部飲み干すような愚かなことはしない」というのがあります。

教育ジャーナリスト おおたとしまさ(一部改変)

現在の僕たちはまるで「池の水を全部飲み干す蛙」のようです。

昔は紙の本から情報を得ることが多かったですが、今ではパソコンやスマホの画面を通じて情報を受け取ることが普通になりました。
本に代わる、最も手軽で身近で危険なツールがタブレット端末だというだけの話なのです。

「ゲーム」の危険性を指摘するなら、それは言葉を使い始めたときからの人類の課題とも言えます。
言葉が持つ力は非常に大きいですが、その力をどう使うかは常に私たちの手に委ねられています。

それと同じように、ゲームに含まれる危険性を避けつつ、それとどう上手に共存していくかは、僕たちが試行錯誤しながら解決策を見つけていくべき問題なのです。

ゲームは「悪者」ではない

スマホが危険だとか、ネットが危険だとか今は言われていますが、10年後にはスマホという概念すらなくなっている可能性が高い。スマホを禁止にしたところで次なるもっとすごいものが現れるわけで、きりがない。

教育ジャーナリスト おおたとしまさ(一部改変)

ネットやゲームの問題点は、ツールそのものにあるわけではありません。

現実の問題から逃れたいと感じている子どもたちが、昔なら家出をする、学校を休むという行動を取っていたのが、今ではゲームの世界に逃避するという行動に変わっているのです。

ゲームが悪いわけではなく、ゲームが子どもたちの抱える問題を表面化させているのかもしれません。
大人たちが子どもたちが何に苦しんでいるのかを理解せずに、単にゲームを問題視するだけでは、根本的な解決には至りません。

大人たちは、子どもたちが何から逃れようとしているのかをしっかりと見極め、その上でサポートしていくことが求められているのです。


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