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映画『初恋』(2020)ネタバレ有感想

作品概要

監督:三池 崇史
キャスト:窪田正孝、小西桜子、染谷翔太、大森南朋、ベッキー、塩見三省、村上淳 他

日本公開に先んじて全米で公開され、その後日本に凱旋した異色の作品。三池監督自身初の完全オリジナルストーリー。

あらすじ

欲望うずまく新宿・歌舞伎町。天涯孤独のプロボクサー・葛城レオは稀有な才能を持ちながら、負けるはずのない格下相手との試合でまさかのKO負けを喫し、試合後に受けた診察で余命いくばくもない病に冒されていることを告げられた。
あてどなく街を彷徨うレオの目の前を、少女が駆け抜ける。「助けて」という言葉に反応し咄嗟に追っ手の男をKOする。が、倒した男は刑事。
レオは懐から落ちた警察手帳を手に取ると少女に腕をひかれ現場を後にする。少女はモニカと名乗り、父親に借金を背負わされ、ヤクザの元から逃れられないことを明かす。さっきレオが倒した男は刑事の大伴で、ヤクザの策士・加瀬と裏で手を組み、ヤクザの資金源となる“ブツ”を横取りしようと画策中。その計画のためにモニカを利用しようとしていた。

ヤクザと大伴の双方から追われる身となったレオは、一度はモニカを置いて去ろうとするが、親に見放され頼る者もいないモニカの境遇を他人事とは思えず、どうせ先の短い命ならばと、半ばヤケクソで彼女と行動を共にする。
かたや、モニカと共に資金源の“ブツ”が消え、それを管理していた下っ端組員のヤスが遺体で見つかったことを、その恋人のジュリから知らされた組員一同。組長代行のもとで一触即発の空気が漂う中、刑期を終えて出所したばかりの権藤は、一連の事件を敵対するチャイニーズマフィアの仕業とにらみ、組の核弾頭・市川らと復讐に乗り出す。ヤスの仇を自らの手で討ちたいジュリもそれに続いた。

一連の黒幕と疑われたチャイニーズマフィアのフーもまた、売られたケンカを買ってシノギを乗っ取ろうと、モニカとブツの行方を追うために、構成員のチアチーに命じて兵力を集めにかかる。

ヤクザと悪徳刑事にチャイニーズマフィア。ならず者たちの争いに巻き込まれた孤独なレオとモニカが行きつく先に待ち受けるものとは……。

予告に釘付け!センスの塊、これぞ観たくなる予告映像。

初めてこの映画の存在を知ったのは、映画館で予告を観た時でした。うわー、センスあるなーこの予告って思いましたね。それがこちら。

とてもシンプルな作りの予告で、窪田正孝が女の子を追ってる男を殴って、「初恋」ってタイトルが出るだけの映像なんですよね。内容は全くわからないんですけど、引きがある。単に内容を説明するだけじゃなくて、こういうかっこよさだけを求めた予告映像とかももっと出てきてほしいと思いました。

ベッキーの怪演。ゲス以前のイメージを刷新した体当たり演技!

本作でも最も話題になっていたのは、やはりベッキーの怪演ですね。あのベッキーが「怖い」というので、SNSでも騒がれていました。確かに、あのベッキーがこんな姿で出てくるとは思いませんよね。

バール持ってるし、予告みたら血だらけだし。本編では、陰部に手突っ込むシーンまである。好感度で勝負していたタレント時代から、一つ頭抜けたなって思いますね。
ゲスのおかげで、こんな素晴らしい演技見せてくれるようになったんだから、人間万事塞翁が馬とはこのことです。

ヤクザ映画としての革新性

初恋というタイトルに惑わされますが、エンタメバイオレンスコメディヤクザ映画です。
そもそも、ヤクザ映画ではヤクザ対ヤクザ、ヤクザ対警察のような対立構造が多く、主人公もどちらかの組織の中にいることが多いです。しかし、本作の主人公・レオは全くの堅気で、女の子を救ってしまったがばっかりに一夜限りヤクザの世界に入り込んでしまうという面白いプロットです。

この映画におけるヤクザは、「通過儀礼」の役割を持っています。人が成長するひとつの方法として、通過儀礼がありますが、こういった物語において通過儀礼を設定することで、登場人物の成長が描け、それを主軸としてストーリーを展開していくことができます。
通過儀礼では、日常→非日常→日常と、行って帰ってくる必要があります。それらのステップを、それぞれ分離、移行、再統合と言います。
本作の場合であれば、主人公のレオはボクサーの世界から脳腫瘍によって離れ(分離)、ヤクザの世界に巻き込まれ銃を持ったり、麻薬を守ったりすることでヤクザ同然の行いをし(移行)、「死ぬ気になればなんでもできる」を学んで成長した状態でプロボクサーの世界へと戻る(再統合)という形で物語が構成されています。
例えばこれまでのヤクザ映画であれば、ただ抗争を描いただけで、通過儀礼そのものがなかったり、あったとしても潜入捜査であったりですが、本作ではヤクザの世界そのものが非日常であり、それを堅気が経験することに、すごく新鮮さというか、新しいヤクザ映画の形を見せたなと思いました。

成長したレオは、それまで試合に勝っても喜ばないような、感情があまり出ない雰囲気でしたが、ユリと出会って笑顔を見せるようになり、ボクサーの世界に帰ると、試合に勝ってすごく喜ぶ姿が映されました。これも、通過儀礼を経たからこそ成長したんだという描写ですが、彼にとっての通過儀礼はヤクザ世界だけでなく、ユリとの恋愛もその1つでしょう。

エンタメ映画として100点のシーンたち

本作は全編通してハチャメチャで、逆にどこから観始めても楽しい、エンタメ映画として至極の作品だと思っています。そんな、素晴らしい要素を以下に箇条書きにしていきます。

・ホームセンターでのバトルロワイヤル
いつ誰がどこから襲ってくるかわらかないホラー的な要素もあり、人がどんどん死んでいくバイオレンスの要素もあり、コメディもあり、熱いバトル展開もありで大興奮。
特に加瀬の生首チョンパはマジで最高。麻薬を傷口に塗ってるから痛みを感じないというブラックジョークも良い!それをオーバーキルするベッキーもさすが。

・急なアメコミ調
車で二階から飛んで逃げるシーンが急にアメコミ調になるのは、恐らく予算や技術の関係で実写での表現は難しかったのだろうと思いますが、全体的なコメディ描写のおかげもあって、そこまで違和感を覚えず、むしろ「こんなことまで見せてくれるのか」と感嘆しました。

・加瀬が計画をドミノ倒し的に失敗していく中で何人も殺してしまう展開
これは笑えました。加瀬のキャラクターも滅茶苦茶良くて、あの軽い感じが明かにあの組から浮いているのも面白いし、ヤクザの緊張と加瀬の緩和で笑いが上手く生まれています。

死ぬ気でやればなんでもできる!

レオは結局、医師による誤診で、全く問題のない健康体でした。映画冒頭で、占い師に「健康です」と占ってもらったのが当たっているという伏線回収も鮮やかでしたが、それよりも面白いのは、自分がまだ生きられると知ると急に死と隣合わせの今の状況が恐ろしく思えてしまうということです。
仮に余命が1週間だったとしましょう。それなら3日目に死ぬのと5日目に死ぬのと1週間後に死ぬのと、大してできることに差がない。一方、死ぬのが数十年後なのに、3日目に死んでしまうと、その間に享受できる幸福も全て奪われてしまうことになります。これは恐ろしいことですよね。
ですが、ここで特に面白いのは、ずっとレオの寿命は変わってないことです。つまり、レオが寿命があると思っているか、ないと思っているかの違いだけなんです。思い込みだけで行動を変えられるというのを身をもって知ることになるんですよね。

レオの見せ場のシーンがホームセンターだけだったので、もう一つ試練があるとよかったかなと思うくらいで、全体的には素晴らしい出来でした!

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