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心理的安全性は何であって何でないのか

最近よく聞く「心理的安全性」。言葉自体の意味からなんとなくの理解はできるけれど、いざ説明しようとするとうまく説明できなかったりしますよね。「チームの仲が良く居心地が良いこと」などと誤った理解もちらほら見かけたり…。
そこで、心理的安全性の概念を提唱したエイミー・C・エドモンドソンの『チームが機能するとはどういうことか』を再読して、心理的安全性は何であって何でないのか、を整理してみました。

心理的安全とは、思っていることを気兼ねなく発言できる状態

通常、職場で働く人は何か考えや意見を持っていてもそれを率直に発言することには心理的にリスクを感じます。
エドモンソンは、職場環境には下記の4つの対人リスクがあるとしています。

【心理的安全を脅かす4つの対人リスク】
・無知だと思われる
・無能だと思われる
・ネガティブだと思われる
・邪魔する人だと思われる

これらのリスクは誰でも感じるものであり、特に評価される側の社員は強くリスクを認識するとされています。

何か意見を持っていても、「バカだと思われないか」「評価を下げられないか」「チームの邪魔をする人だと思われないか」などと考えて発言できない、というのは誰にだってありえるということですね。

心理的安全性は、高い責任と両立してこそ

ここまでは多くの人が理解していることと思いますが、重要なのはここからです。
『チームが機能するとはどういうことか』には、協働し学習するチームにするためには心理的安全性に並んで「責任」が重要という記載がありました。

下記のように、心理的安全と責任の高低を四象限にして整理してみましょう(「責任」は「成果への責任」と読み替えるとスムーズです)。

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jin-Jour 心理的安全性とは何か より引用)

左上の「心理的安全性高・責任低」の象限だと、メンバーは快適ではあるけれど学習とイノベーションを起こすのは難しく、単なる仲良し集団になりかねません。
右上の「心理的安全性高・責任高」の象限が、協働し・学習し・成果を出すチームであるとされています。

しばしば目にする心理的安全性の誤った理解は、この「責任」の部分が抜け落ちているためのようです。実際、わたしも再読するまで本書で「責任」に言及されていることを忘れていました(心理的安全性という言葉の力が強すぎるんですよね)。
この「責任」を念頭においたうえで、ありがちな心理的安全性への誤解へアンサーを出していこうと思います。

心理的安全性はメンバーの仲が良くて居心地の良い状態ではない

『チームが機能するとはどういうことか』にそのままの文章で明記されています。チームメンバーの仲の良さ・居心地の良さと心理的安全性は関係がありません(雑談できる雰囲気が大事という記載はあります)。

心理的安全性はチームに結束力があることではない

チームに結束力があるというのは一見すると良いことのように思えますが、心理的安全性と結束力は関係ありません。
むしろ、結束力があり1つの方向に進んでいるチームには「同調圧力」が発生して異なる意見を言いづらくなってしまいます。

心理的安全性はプレッシャーがないことではない

前述した「責任」の高さと両立するのでプレッシャーは当然あります。

また、誰の意見であっても成果のために率直に意見がかわされる状態であるため、「なぁなぁ」でものごとは進まずにむしろプレッシャーはあるともいえます。

心理的安全性は何をやっても非難されないことではない

心理的に安全である=非難される・攻撃されることがない、と捉えている人もいるようですが、誤った理解です。
ミスを報告したときや支援を求めたときに非難されたりバカにされない、という点では正しいのですが、非難するべきものを決めて従わない場合には厳しい措置をとるべき、という記述もあります。下記、本書からの引用です。

メンバーが、あらかじめ設けられた境界を超えたり設けられた基準以上のパフォーマンスを達成できなかったりした場合、リーダーは適切な、かつ一貫した方法でメンバーに責任を負わせる必要がある。(中略)
リーダーの務めは、受け容れられない行動は必ず生まれるが間違いなく公正に対処されるとメンバーに理解してもらうことだ。罰したり場合によっては解雇も辞さないといった厳しい措置をとるときには、状況と理由をはっきり説明し、必要に応じて機密保持規程を守る必要がある。
チームが機能するとはどういうことか』より引用

「心理的安全」という言葉から連想するイメージに比べてかなり厳しいことが書かれています。くり返しですが、「心理的安全」は高い「責任」とセットで語られるものなのです。
また、「これはダメ」とルールを決めてそのルールに厳密にしたがうことで、リーダーの気分ではなくルールにしたがって公正に評価や処分されること自体が心理的安全に寄与するとされています。

以上、誤解されがちな心理的安全性についてまとめました!
こうしてみると、「責任」の概念が抜け落ちているがゆえに誤解して使われがちということが分かりますね。「心理的安全性と(成果への)責任」とセットで使うことで、エドモンソンが言いたかった本来の意味での心理的安全性を理解できるかもしれません。最後までお読みいただきありがとうございました!

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