雑の美しさ
NPO法人たがやすで運営している民営図書館「本と一筆」の本棚オーナーさんが、置いてくださっている一冊を私が読んで感じたこと、考えたことについて綴りたいと思います。 民営図書館「本と一筆」や本棚オーナー制度についてはこちらから
「雑然とした状態は、美しい。」
矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、この矛盾はすごく大切なことだと、この本を読み、しばらく自分の中で考えた今は、そう思っています。
「雑の思想」は、「弱さの思想」の続編になっております。
こちらの記事で紹介しておりますので、併せてどうぞ
「雑」と聞いて美しいと連想する人はいないと思います。
大体の方は、美しさとはまるで逆で、散らかっていたり、とままりがないとか、
よくない状態をイメージする人が多いと思います。
雑という漢字を使った言葉のひとつに「雑草」があると思います。
成長速度がはやく、ちょっと目を離した隙にジャングルとさせてしまう、
あいつです。
我が家には小さいですが庭があり、この雑草たちに度々悩まされます。
(南国特有?)
ですが、この「雑草」ということばを調べてみると、
はじめて雑草の意味を知った時は、
雑草に思いっきり頬を叩かれたれた気分でした。
僕が知らないから雑草と呼んでいるだけで、彼らには名前がありました。
ほとんどの人が、雑という言葉に対してマイナスなイメージを持っていると思います。
なぜ、雑ということばに対して悪いイメージをもっているのでしょうか。
「雑」な状態とは、合理性が求められる資本主義経済の中では、生産性が悪くなったり、管理がしにくかったりするため、よくない状態として捉えれられているのかもしれません。
ですが、僕らが生きるこの世界は複雑にものごとが関係しあう「雑」な状態そのものです。
「雑草」と同じように少し捉え方を変えることで、
「雑」という言葉の捉え方も変わるのかもしれません。
ある枠組みの中や固定観念で捉えていたものは、一歩その枠を出て捉え直すと
今までとは違ったものになると思います。
「弱さ」は「強さ」
「ない」は「ある」
「雑」 は「美しい」
無駄だと思っていたものも、ある固定観念の中での捉え方であって、
枠から出ようとした時に感じた矛盾は、
僕らが生きる雑然とした世界では当たり前のように成り立っていて、
豊かさを感じさせてくれる大切なものだったりするのだと、今は思っています。
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