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出来ないからやらないのではなく、やらないから出来ないのだ

こんにちは。

なべべです!


何事も「できない」のではなく、「やらない」からできない。


先日、地元の友達と小学校の頃によく遊んでいた公園に立ち寄った。

そこには昔と変わらない風景が広がっていて、私たちはあの頃から身体的にも肉体的にも成長しているにも関わらず、ここだけは時間が止まっているのではないかと感じた。

この公園で、砂浜で泥団子を作ったり、缶蹴りや鬼ごっこ、ブランコに乗って靴飛ばし大会等といった遊びをよくやっていたなぁ〜と当時の思い出を語り合った。


そんな当時と変わらぬ公園の中に私が唯一苦手な遊具がある。

それは鉄棒だ。

なぜ、苦手なのか。

理由はシンプル。
逆上がりができないから。

そんな鉄棒に歩み寄りながら、私は過去の記憶を思い出していた。



空を見上げると雲一つない青空が広がっている。

「こんな気持ちいい日に鉄棒かよ。」
と豚の丸焼きポーズをしながら文句を言っていると、始業開始のチャイムが鳴っていた。

先生が私たちの前に現れる。

私たちは起立し

「気をつけ、礼。」
「お願いします。」

生徒が全員着席をするのを待ってから、先生が口を開く。

「今日は逆上がりをやるぞ。」と。

5分くらいやり方を説明してもらうと、
クラスメイト達は続々と逆上がりの練習を始めた。

そんな姿を見てさすがに私も逆上がりの練習をやり始めた。

ところが、上手くいかない。

周りを見渡すと、クラスメイトのみんなは上手に出来ている。


負けず嫌いな私は、何度もチャレンジした。

授業が終わるまで、何度も何度も。
手にタコが出来ても構わず挑戦した。

しかし、逆上がりが成功することはなかった。


何度チャレンジしても成功しない鉄棒に嫌気がさした私は、鉄棒が将来に役に立つわけない。
鉄棒なんかやっても意味なんかないと思い込んだ。

そうして、鉄棒がいや、逆上がりが出来ない自分から逃げた。

その日以降、鉄棒に触れることはあるが、決して逆上がりをすることはなかった。





そんな記憶を思い出しながら、歩いているうちに鉄棒に近づいていた。
そして、逃げ出したあの日以来、十数年ぶりに鉄棒に触れた。

あの頃から多くの部分で成長したし、今なら出来るかな?
ま、なんの根拠もないがそんな風に思い、挑戦してみた。

結果は

当然、成功しなかった。

そりゃ、そうでしょう。

あの時、出来ないから逃げ出したんだから。

出来るわけがない。



だから、あの時の小学校の自分に今だから思うことを伝えたい。


何事も「できない」のではなく、

「やらない」からできない。


これは出来ない、あれは出来ないからやらないと、言い訳しないで。

それは、やらないから出来ないのだ。

だから、今でも出来ないままなのだ。

やらないから自分で可能性を閉ざしているのだと。

やってみれば自分の可能性を開くことができる。

そして、新しい世界が待っていることを伝えたい。



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