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買い占め問題における正義とその本質

買い占め問題における正義とその本質」を考えてみました。
※買い占め対象が何かは、本質が見えにくくなるので、敢えて言及しません。(タイトル画像は、記事への誘導です。)

根拠なしで客観的な仮説で考えていきます。

① 有事か否かの判断とそれに伴う買い占め行為について

まず、有事と判断するか否かは、事実か否かとは別の領域にあるように感じます。要するに、人にとっては、信じたことが事実です。

仮に、自分が、根拠の精度関係なしに、有事と判断したとします。その際に、自分や大切な人の為に、極めて利己的な行為に及ぶ可能性は高いと思っています。
現に、東日本大震災の際は、有事と判断し、食料品等を買い込んだ記憶があり、その行動が必ずしも問題だったとは言えません。

従って、有事と捉えてらっしゃた方を、ある種の悪として判断すべきかは、個人的見解ですが、良くない見方だと捉えます。

② 有事と判断した人の利己的な行動の影響を受けた人の行動について

次に、有事と判断した人の利己的な行動の影響を受けた人がどう判断するか。ここには様々な思惑がありそうです。

結果的に物がなくなっている現状への不安、
我先に、
たまたま売ってたから余分に買おう、
家に在庫無いから買わなきゃいけない(通常の購買)
など。

いずれも利己的ではございますが、どなたもいずれかの要素を持ってらっしゃるのではないでしょうか。
そうなると、問題とするのも難しいかなと思っております。

③ ①②の現象がなぜ加速度的に広がったのか

仮に有事ではなかったとして、①②の現象が、なぜ加速度的に広がったのか。
皆さんお気づきの通り、情報伝達が向上した社会のデメリットと感じます。

情報を知識と捉えると、本来はその伝達の過程で、使えない知識は淘汰されると思います。
そして、使えない知識の最たるものが、デマ情報と言えるでしょう。
(※ただし、信じてもなんら被害を被らないようなデマ情報、一種の信じることに意味があるようなもの、慣習等は淘汰されないと思います。)

ただ、伝達スピードが速いと、デマ情報が淘汰される前に、どんどん自己増殖をする。
そのデマ情報に不安や恐れを伴えば、増殖スピードが速い
なぜ速いか、その本質には、迫りくる危機を他者に伝えたいという優しさや親切心がある気がします。
そんなイメージを感じました。

では、情報伝達が向上した社会に問題があるか否か。
本件では、そのデメリットに触れましたが、メリットの方が明らかに多いでしょう。故に、ここを問題とするのも難しいと感じました。

④ 転売目的の買い占めについて

最後に、転売目的の買い占めによる在庫不足については、
ここは市場の自由独占禁止の内容を触れるべきですが、
今回の記事の本質とは離れるので触れません

結論だけ申しますと、初期の買い占めは、ある意味、出来心的要素があり、誰でも行う可能性はあるかなと。
一方で、問題が加速している中で、自分達が使う為ではなく、利益のためだけに買い占める行為は、社会的に見てよろしく無いと思われる気がします。

ただ、例えば背景として、買い占めして転売しないと本当に子供が飢えて死ぬ、と言われれば、やめなさいとは言えない。そんな感じがします。
故に、一概に、その行動を否定できないと言うのが、私の考えです。(仮に否定するなら、個別のケース毎の判断が必要と考えます。)

最後に では本件の問題の本質をどう捉えるか

①-④について、たぶん考慮漏れがあると思いますが、
何となくですが、何が悪かったのかを言及するのは難しい気がします。

そして、仮に本当の有事であれば、全ての行動が肯定され、かつ、自らも同様の行動はとると思います。

本件で、感じた所感としては、
「何が正しいか判断できない中で、人はそれぞれが正しいと思う行動をとり、その結果として、意図せずに人間関係の対立を生んでしまう。」

ここが、今回の事象での、真の問題点なのかもしれません。

読んでくださり、ありがとうございました。
なお、何か気づきや感じたことがございましたら、気軽にコメントを頂ければと思います。


長い文章書いていたら、トイレ行きたくなりました。
あれっ、トイレットペーパーあったかな。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 読んでいただいた方の、何かの気づきになれば幸いです。 よろしけば、ほかの記事もご覧ください。