見出し画像

~福井を舞台に。福井の若者たちが波及させる「創造的希望」~第4章続き

(3)誰と一緒にアクションを起こしていくべきか

 ここまでポジティブなUターン者を福井県内の主体的幸福度を高める主体として定義してきたが、協力者の存在がなければ本企画は成立していなかっただろう。今回の場合は、主体としてのポジティブなUターン者と強いつながりを築いてきた地元の友人たちの協力を得ることができた。ここからは、彼らがどのような動機で賛同したのかを明らかにするために、本企画に関わった大学生4人にインタビュー調査を行った。質問内容は、「どうして本企画に賛同したのか。」である。

さやか(筆者)に紹介されたから。フリマをやってみたかった。(中口昭子さん、22歳)
私が中高生の時に、大学生とラフに話したり相談できる機会があったら良かったのになあと思うから。(岡本愛理さん、22歳)
学生生活最後の夏休みに思い出になるようなことしたいなって思ってた時にさやか(筆者)に声かけてもらって、すごく楽しそうだなって思ったから。高校生の時あんまり大学生の声を聞けることって先輩くらいだったから、もっと色んな人の話聞きたいなって思ってたことあったし、それを聞いて勉強のモチベとかにも繋がってもらえたらなと思ったから。(広瀬陽菜さん[仮名]、22歳)
ほんとうに素敵な企画だと思ったからが1番です。あと直感でワクワクしました!!!
ジャグアタトゥーとして参加できるにしろできないにしろ、福井で何かしたい!と思っていました。(上山彩音さん、22歳)

 彼らの語りからは、友人に誘われれば手伝おうとしてくれる姿勢(「創造的希望」のお手伝い)、福井県で過ごした過去を振り返り、当時あったらよかったと思うことを自らの手で創造しようとする姿勢(「創造的希望」)、自らが楽しもうとする姿勢(主観的幸福感の高まり)、福井で創造的希望を育む機会を探っていた姿勢が読み取れる。本企画での「交流は、誰もが得をする状況で自分自身が幸せな気分になり、同時にほかの人びとを幸せな気分にする。その経験とはすなわち、利己主義と利他主義の完璧な融合である」(オルデンバーグ,2013[1989]:p.116)。利己主義的な側面として本企画の賛同者たちからは、「今」を自らが全力で楽しもうという主観的幸福感の高まり、つまり、この経験が至高経験となり得ることに期待を寄せている。また、本イベントカフェはこれまでに三度開催しているが、一度目が終了した翌日に二度目、三度目の開催日が決定したことは、本イベントカフェの企画から当日の運営までの過程において、メンバー各々が至高体験を実現していた根拠となる。一方、利他主義的側面も見逃してはならない。岡本さん、広瀬さんの語りからは、地元、福井県で過ごした過去があるからこそ、当時望んでいたが叶わなかったことを次世代のために自ら生み出したいという、ジェネラティビティ(エリクソン,1989[1982])とも言うべき使命感が伝わってくる。また、「福井で何かしたい」と語った上山さんからは、お世話になった地元に貢献したいという熱い想いを感じる。総じて、本企画のメンバー全員が一度目の開催を無我夢中で楽しみ、既に至高体験を実現している状態において、次回の開催へとつなげられたことは、主観的幸福の延長線上に自然と「創造的希望」を育んでいたことを意味している。さらにマスローは「至高経験は、自己実現の瞬間的な達成である。それらは、購なうことも、保証することも、探し求めることさえできない恍惚の瞬間である」(マスロー,1973[1971]:p.60)と述べ、自己実現と至高経験とを同一視する。つまり、本企画の賛同者たちは、「強制されているわけではないのに、参加している。必要に迫られているわけではないのに、欲し」(若新,2015:P.16)、娯楽と労働の境界をも超越する形で自己実現を達成しているように思われる。この自己実現こそが「利己主義と利他主義の完璧な融合」(忠平訳,2013:p.116)なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?