Gothic & Greek

ある対象について、大事だと思って発した一言なりが他者に受容されるのは、その主体にとっての生きる手応えだが、同時にそこには閉じた既成の集団が開いていく唯一の端緒がある。W.ヴォリンガーはそのように、「ギリシア」と「ゴシック」という美術史上異なるものを、「生成」という語により最終的に結びつけた[1][2]。私はヴォリンガー『ゴシック美術形式論 Formprobleme der Gotik』(1911年)を半年前に面白いと思って読み始めた時、ドイツ人としてゴシックを持ち上げて書くヴォリンガーにとり、ギリシアは完全に敵役だなと思って読んでいたのですね。私が受け取ったのは、ギリシアの「均斉」に対して、「ゴシック」のまずさ、つまり私が思うにいわば発達障害的な要素。これらを最終的にヴォリンガーが等号で結んだ時、私は本当に驚いた。そしてはっきりとしたのです。20世期後半以後の芸術の中心地は明白にアメリカだったが、その最良と呼べる作家の部分にはギリシア的要素(これはヴォリンガーを読む前に私はそう思っていた)と、ゴシック的要素が共に生きているのだと。例を挙げれば、ロバート・モリスであり、マイク・ケリーである。

[追記1]  参照。ウィルヘルム・ヴォリンガー「ギリシャ精神とゴシック芸術」(1929年)(『問いと反問』法政大学出版局、1971年・所収)

「『ギリシャ精神とゴシック芸術。ヘレニズムの世界帝国について』というわたしの本は、すでに暗示された事情によってわたしたちの視野のなかに固定的に印象づけられてしまった多くの展望のゆがみのうち、そのひとつを、試みに訂正しようと意図したものである。さまざまな様式と文化の推移のなかで、ルネッサンスにいまなお主要なアクセントがおかれている。それは、偏見なしに文化的水準の評価を始める人にとって、人文主義的偏見以外のなにものでもない。今日なお、ルネッサンスのイタリアが、絶対的な意味で、たとえば中世最盛期のフランスよりも高い文化をもっていたとか、聖ピエトロ大聖堂は芸術上最高の偉業としてランス大聖堂とかそのほかフランスの輝かしい大聖堂のひとつより以上に有意義な文化遺産であるとか、そんなことを大まじめに主張する人がいるだろうか? いない。この点わたしたちは、今日、そこで問題になっている時代に、相異なる、公約数のない二つの文化思想がちょうどその最も完全な刻印の段階に達していたことを、はっきりとみてとり、そして理解している。それにもかかわらず、わたしたちの歴史的感情のなかに、歴史的現象の多極性を承認しないでルネッサンスを唯一絶対の中心点としてわたしたちに押しつけるあの人文主義的な力点の強調が、容易に訂正されずになお依然として残っている。ルネッサンスはどのような権利名でこのような要求を貫くことができたのか、それは明らかである。古代はイタリアの地盤においてのみ現実的に正統でありうる、そこでのみ古代的伝統の血縁的な持続があるのだから、という理由で古代を引き合いに出してくるのである。しかしこのような持続が実際に成立していたとしても、そこで問題になりうるのはただラテン的な、あるいはローマ的な古代にすぎない。そのような部分が全体を代表するような要求を実際かかげていいものだろうか? わたしは、たとえば、芸術的発展のなかではギリシャ的なフォルム思想の持続のほうがラテン的なフォルム思想の持続よりも比較にならないほど大きい、そして、あえて突飛なことを言えば、ゴシック芸術すら、たとえそれがヨーロッパ的中世の典型論において独自なものであるとしても、ギリシア特有のフォルム思想の理想的な再開および継続として現れてくる面を本質的にもっている、と主張した。」

[追記2] 参照。ウィルヘルム・ヴォリンガー「古代ローマ的なもの」(1924年)(『問いと反問』法政大学出版局、1971年・所収)

「なぜ、これまで、ギリシャ書の頁をゴシック小文字(gotische Minuskel)で埋まった頁と並べてみることを、誰も考えつかなかったのだろうか? ギリシャ、ゴシックの両書がラテン文字の固定した精神にたいして密かに和合するのをみて、大きな驚きが生じ、すっかり考えこんでしまうだろう。そして、ルネッサンスや擬古典主義の芸術作品が、何故、ゴシック芸術のように、ギリシャの親和力的性格によって、すなわち、フィディアス的な想起の息吹きによって創られなかったか、そのことがおそらくおぼろげながら理解されるだろう……
世界はゴシック時代になるまでローマ的であった。それから、新しいアッチカ(アテネを中心とする中部ギリシャの半島)、すなわちフランス(わたしたちが、あまりにもラテン的になりすぎてしまったフランスの背後に、遥か薄明の背景としていまなおかすかに感知しているあの別の、あのギリシャ的なフランス)が現れた。このフランスにおいて、壮大なフォルムと壮大な秩序のなかでいかめしく固定されていた世界が、解きほぐれ、ふたたび、生きいきと流れる流動状態になった。彫塑的な限定性にあふれた世界、しっかりした基礎をもつ絶対に静的なラテン文字で書きつづられた世界が、ふたたび、ひじょうに動的な生命のリズムを受けいれはじめた。ラテン的な安定性がゴシック的な不安定性になった。存在の筆蹟が生成の筆蹟になった。そのようにして、ギリシャの本能的結合の精神からゴシック芸術が密かに誕生するという事態が生じたのである。
なぜなら、わたしたちがギリシャ的と呼ぶのは、疑いもなく、極めて深く純粋に感じられた生命のリズムであり、呼吸だからである。永遠に動的な生命を、その完全な充実とそのいうにいわれぬハーモニーの完全な音楽において聖列に加えること、そのことにたいして誰しもギリシャ的というこの呼名よりほかの名を決して必要としないだろう。
ギリシャ芸術は、フォルムを彫塑的に把握するあらゆる場合の古典芸術として賛美された。それは、彫塑的という概念が、ラテン的フォルムの表象によって示唆されるような固定的安定的という概念との混同から一切解放されるときにのみ、許されることであり、また正しいのである。ギリシャ彫刻は安定的ではない。それには無限の流動性がある。ギリシャ彫刻において、世界は一瞬たりとも静止していない。それは常に生成であり、決して存在ではない。
それにもかかわらず、ギリシャ的フォルム概念における流動的な生成というのは、決して溶けてなくなることではない。あらゆる部分が流動的であるにもかかわらず、それは名状し難い内的固定性の度合を保持している。この矛盾をどのように説明するのか?」

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