加藤 豪

1964年生まれ。美術家。東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。東京芸術大学大学院美術研究科…

加藤 豪

1964年生まれ。美術家。東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。東京芸術大学大学院美術研究科修了。【主な展覧会】2008年、釜山ビエンナーレ(釜山市立美術館)。2001年、先立未来展(ルイジ・ペッチ美術館、イタリア)。1997年、デ・ジェンダリズム展(世田谷美術館)。名古屋市在住。

最近の記事

身体運動の模倣性

コロナ禍初期からのYoutubeで一番面白かったのは、身体運動系の異ジャンル同士のコラボだった。まとめると。政治ネタは、どんな立場であろうと悪い意味で最も資本主義的。時事的なその場限りの消費物(無理して持続させるものは余計につまらなくなる)。 中でも、武井壮(陸上・十種競技)と様々な異ジャンルとのコラボ。その即時的・身体運動の模倣能力。武井曰く「自分の専門の十種競技ですらそれぞれの種目を練習しない。基礎的なフィジカルを鍛えるだけ。試合当日になって他の選手を見て真似する」と。

    • New-Surreal (131)

      Go Kato   “Automatism (War Memorial)”   Dec. 7th, 2023    

      • 秘宝・地上の星

        単純に「文化の高級化」は私は美術家として何より重要だと思っていますね。何か文句ある奴がいるのかな(内心ドロドロと)。

        • New-Surreal (130)

          Go Kato   “Automatism (A Patriot)”   Dec. 3rd, 2023    

        身体運動の模倣性

          叛乱への呼びかけ・声

          私の主観。基本的に過去を懐かしむ文化=共同体は即刻止めたいよな。その対象がたとえ「近」過去であっても。内容が(客観的にも、つまり「芸術」に照らして)必ず面白くないし、何よりもそれは「鬱」共同体のヒエラルキーの潜在的合意(=イデオロギー)だから。

          叛乱への呼びかけ・声

          私の戦争観

          「どうせ負ける」と無意識的に分かっている戦争に一体感を幻想の中で求める(=エゴ)為にだけ、全体を巻き込むべきではないと私は思う。言うならば、日本人全体が自閉症児ではないので。 以下、関連する雑記。 (特に)日本の文化人は「平板」な人格な人が圧倒的に多いが、そういう人が自身の例えば「天才」コンプレックスを語る時に「モーツァルトとか、手塚治虫」と言う印象は私はありますね。根底に芸術をデザインと錯誤する。ベートーヴェンとかシューマンとかレオナルド・ダ・ヴィンチと絶対に言わない。

          私の戦争観

          New-Surreal (129)

          Go Kato   “Automatism (“Dissimilation”)”   Nov. 30th, 2023    

          New-Surreal (129)

          ストリートの美学化の問題

          一言で言えば、ストリートを売りにしている風な人は、ストリートに実際には弱いということでしょうね、多分に直感的に言えば。 これは私が関わりがある所の「現代アート」業界にも、おそらく同様に言える。 以下、昨日Xで目に入った、衆議院議員・米山隆一氏とひろゆき氏の、ビジネス動画メディア・ReHacQのYoutubeチャンネルでの会話内容についての話題。 ストリートと呼ぶには、衆議院議員・米山隆一氏の方が相応しい。この動画を私は昨日全編見たが、米山氏は自身の新潟県知事時代の(辞任

          ストリートの美学化の問題

          芸術の「格」

          彦坂尚嘉氏「多くの人は芸術を鑑賞しているようでいて(その自明性の下に)、白紙(=この世の地獄)を見ているのではないか?」 彦坂尚嘉さんが言う「何万次元」というのは、デジタルで言う「解像度」のことだと思いますね。この場合、数が大きいほど(解像度=格が)「低い」という。勿論、解像度を比喩で使っているんですね。 つまり実際の解像度の高い写真が(必ずしも)芸術的に高いわけではない。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチを最高次元として、それと比較して「ピタッとくる感じ」を探している。「低

          芸術の「格」

          New-Surreal (128)

          Go Kato   “Automatism (Room)”   Nov. 27th, 2023    

          New-Surreal (128)

          日本は「戦争」に弱い

          自己の敗戦のトラウマを金と権力と女(YA-MANはレポーターに惚れている)で回復しようとする(“文学”的にも)酷い図式。来し方の日本の縮図。 「ストリートの美学化」(=“路上の伝説”)の滑稽化。 心理学的背景として、関連すると思われる参照。 三島由紀夫について。 「自閉症スペクトラム」関連。 日本には西欧と違って「神」がいない(「世間」しかない)から、皆が(多数派になって)嘘つきになるしかないという、これはよくある話題。 その日本的「世間」の中で、所謂「自閉症スペ

          日本は「戦争」に弱い

          New-Surreal (127)

          Go Kato   “Automatism (Archangel)”   Nov. 23rd, 2023    

          New-Surreal (127)

          戦争は娯楽

          または贅沢品。 戦争なんてものは娯楽。一般的に人が争うことも。どんな陣営に立とうと人を憎むことはその人の生きる活力になっているのであり、娯楽(パスカルが言う「気晴らし」)の性質が本質である。悲しいのは真に「何も知らない」子供だけ。 そう考えると、一気に戦争なんてことに関心がなくなってきたな。 革命ごっこも同じですね。 当然「夫婦喧嘩」も娯楽ですね。その両者の戦う「大義」にどんな「非対称性」があろうとも。野坂昭如は「男と女の間には深い川がある」と深刻めいて歌ったが軽い。

          New-Surreal (126)

          Go Kato   “Automatism (Invader)”   Nov. 21st, 2023    

          New-Surreal (126)

          戦争のトラウマの核

          なぜ戦争により子供が死亡したり重症を負った映像(とりわけ嬰児が手足などを失い深く喘いでいる映像)がこちらにとって見るに絶えないかというと、当然、大人の様々な思惑(=それぞれの政治性)により現在こういう事態になっていることをその渦中の主体は真に「何も知らない」ことの悲痛さがダイレクトにこちらの見る側に突き刺さってくるからである。この視点に立つと、イスラエルにしろハマスにしろ(現在イスラエルの軍事侵攻に対抗できるのはハマスだけであるという観点からハマス支援をする大人も含めて)、現

          戦争のトラウマの核

          ハイエクの商業差別・批判

          「自由主義」を現代において称揚するなら、その主体は私はハイエクを潜らないといけないと考えている。ナチス、ソビエトを同じ全体主義の枠組みで考えたハイエクは、鬱だったそうだ。西欧の経済学では長く左翼=アカデミズムであり、ハイエクは大学に職を得られない中、一人で戦った。曰くノーベル賞受賞がハイエクの命を救ったと。 ハイエクの『致命的な思いあがり』では、人類の「商業差別」の根深さの歴史を語っている。コロナ禍で過剰な自粛に賛同した所謂自称「リベラル」は、多くは自粛に無批判に(まさに全

          ハイエクの商業差別・批判