鈍臭い榎倉康二さん

日本の現代アートがアホのままこうして収束したのは、私の観点からは60年代・全共闘以来の「反米」をあまりにも真に受けて、20世紀後半以後の全く衰退したヨーロッパの文化状況に自己の弱さを擦り合わせて正当化し逃げたから。80年代ニューアカデミズムを経由しても、それは全く切断されずにむしろ強化され引き継がれた(=まさに「逃走」論)。集団的に積極的にアメリカ(のアート的強部)を盲点としたということ。私の学部の担任だった榎倉康二さんは、もろにその雛形で学年を超えて全体的にその影響を与えていた。榎倉さんは衰退したヨーロッパ方面しか見ていなかった。学内のアトリエ前を通りかかると、漏れ聞こえてくる音楽はジャーマン系のDAFとかのテクノだった。私も当初はそれに影響を受けた口だ。視野を非常に狭くさせた、環境として。

現在も、例えば豊田市美術館の海外収蔵作品は、マイナーなヨーロッパの現代アート作品ばかりで(イタリアの鈍臭いアルテ・ポーヴェラとか)、この愛知の地方に限っても優れたものから学びの目を積極的に逸らす方向に従来構造ができている。私が90年代に所属した名古屋のスペース的にもおそらく全国的にも一番大きな画廊だったギャラリーHAMも、それに歩調を揃える方向だった(むしろ美術館の方がこうしたギャラリーに影響を受けていた印象が強い)。

 
参照。
 

加藤 豪@_5925263769112·1時間
ロバート・モリスと比べたら、日本の「もの派」とか、榎倉康二さんとか私はアホとしか思えないので。
https://twitter.com/_5925263769112/status/1779742532752277625



 
他の参照。
 

 
ちなみに、現在いろいろその企画・運営の問題点が取り沙汰される東京藝大美術館の設置に中心的に関わったのが、榎倉康二さんだと私は伝え聞いている。その途上で(?)榎倉さんは亡くなったと。元・美共闘の彦坂尚嘉さん曰く「美術館を新たに作ろうとする人は死ぬんですよ」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?