東京藝大絵画科(収容病棟)の、現在・過去・未来 (1)

日本の美術界の諸処で見られる所謂「マッチポンプ」図式の具合は、例で言えば、藝大・美大教育の場で顕著だと思います。私の世代では、入試の最初が共通一次試験ですが、1000点満点中の例え300点以下でも、実技が通れば受かると言われていました。実際私もそれを真に受けて、受験期間の学科の勉強をほとんど放棄しました。その後に問題が起きるんですね。入学後の学問姿勢は、誰にもほとんどない。一種の「収容施設」の印象は最初に誰もが持つと思います。同時に学歴さえもらえれば良いので(例え飲み会ばかりをやっていたとしても)、その初期の印象を多くが糊塗するのですが。実際下級生に、「藝大=サナトリウム」という標語を掲げた学内グループ展示をやっている者らがいました。特に私の属した絵画科が入る絵画棟は、周りから「精神病棟」と呼ばれていたそうです。実際に、私の在学中から、特に私の学年が自殺者・自傷者、また卒業後の統合失調症の発症者、(藝大寮のある近くの石神井池で)変死体で発見された者等が頻出したのですね。その意味で呪われた学年とも言われていました。バブル真っ最中の入学組です。現在も、私の判断では東京藝大はこの問題を延長して抱えているはずです。比較的近年、藝大保健センターに勤めることになった精神科医の内海健氏には、私はこの観点からも個人的に接触を試み、メールでその内状の一角を聞くなどをした経緯もあります。私の藝大・同学科の下級生であった学芸員・東谷隆司が自殺した後の、東谷の活動を信奉していた学生の鬱病の症状悪化についても、私は内海氏からその状態を当時聞いています。症状の、連鎖的反応というものがあるんですね。私が考察したのは、対症療法というものは、安易に医師がそれに職業柄頼ると、当然ですが逆効果を生む。これは、学生のみならず教師にも同様なことが言える。つまり、例えばですが「美大卒業者が一人でいると症状が悪化するので、同様の美大等の教師職に放り込んだ方が良い。」という安易に医師に口にされがちな、これも一種の対症療法ですね。これは、大きく見て(長期的また大局的に見て)、収容施設の性格の密度を増すという意味で、事態を悪化させるのです。

私はちなみに、鬱病経験が現在に至るまで無いんですね。これも個人レベルで現在活用しようとしているポイントですが。ゼロ年代以後精神分析再評価グループが所々で発生したため、それと交流を図る為に、自らを「神経症」化しようと試みた経緯はありますが。しかし、これも人工的にやり過ぎると、私の個性(個別性)にとっては、実は若干無理があるものでした。

内海氏が、藝大職に就いた後の学内の印象を私に語ったのは、「座学を重んじないのは藝大のどうやら伝統のようですね。」ということですが、同時に私に対して(内海氏の話を傾聴する姿勢から)「勇気を得た」と告白的に語っていました。しかし、私個人的には内海氏のメッキもすぐに剥がれて、特によせば良いのに内海氏が(浅田彰氏を参照するなどして)美術に関して見当外れなことを得得と話すに及んでは、やはり「馬鹿」にしか見えなくなってしまったという経緯があります。自らの知的権威を過大に評価しているから、そういう逸脱も平気で起こすんですね。結果、土台そのものが即座に疑われてしまう。藝大・美大教育の現在は、いずれにせよ暗い。

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