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仏教を知るキーワード【21】ブッダの生涯 ~人類の燈火~(完)

ブッダ(釈迦牟尼仏陀)は古代インドに実在した人物である。仏教の開祖として、いまも何億人という人々から慕われている。連載の終わりに、ブッダの生涯を駆け足で紹介したい。

小国の王子に生まれて

およそ二千六百年前。インド亜大陸の北、ヒマラヤ南麓にあった釈迦国という小国に一人の王子が生まれた。場所はルンビニーという花園だった。スッドーダナ国王の王子として生を受けた赤ん坊は「目的を成就させる」という意味のシッダッタと名づけられる。生母のマーヤー妃はシッダッタの生後7日目に亡くなった。

当時のインドは国々が血で血を洗うたたかいを続ける戦国時代だった。釈迦国もまた強大なコーサラ国の属国として辛うじて命脈を保っていた。王子として何一つ不自由のない生活を続け、妻ヤソーダラーとひとつぶだねの息子ラーフラに恵まれながらも、シッダッタ王子は人々の生きる苦しみを解決する道はないものかと、思索にふけることがしばしばであった。

6年間の模索の果てに

世俗的な方法では人々の苦しみを解決することはできないと考えた王子は、二十九歳の時、家族や地位、そして財産のすべてを捨て、真理(悟り)を求める求道者として出家する。しかし、アーラーラ・カーラーマ仙人、ウッダカ・ラーマプッタ仙人から禅定を学んでも、6年におよぶ激しい苦行を経ても、目的に達することはできなかった。

やがてシッダッタは長い間続けた苦行を放棄し、現在はブッダガヤと呼ばれている、ナイランジャナー河のほとりのアッサッタ樹(菩提樹)の下に坐した。「今度立つ時は、修行を完成した時だ」と決意し、自己の心を観察し続けたシッダッタ王子は、ついに存在の真理を発見し、苦しみを完全に滅してブッダ(覚者)となった。

45年の伝道の旅

四諦八正道を説いたサールナートでの説法を皮切りとして、ブッダはインド中を自らの足で行脚し、45年にわたって、一人ひとりが苦しみから解き放たれるための真理を説きつづけた。厳しい階級社会だったインドにあって人間のみならずすべての生命の平等を掲げ、自己観察によって存在への執着から解き放たれる道を説いたブッダの教えは、乱世に生きる人々の心に強く響いたのである。

二大弟子として知られたサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者、お釈迦様の滅後に教団をまとめたマハーカッサパ尊者、お釈迦様の侍者として多くの説法を記憶したアーナンダ尊者、釈尊に女性の出家を認めさせた養母ハマーパジャーパティー・ゴータミー尊者といった優秀な出家修行者たち、アナータピンディカ居士(祇園精舎の施主)やヴィサーカー夫人(東園鹿子母講堂の施主)などの資産家、ビンビサーラ王(マガダ国)やパセーナディ王(コーサラ国)などの権力者、ナクラ夫妻やチッタ居士といった有徳者から名もなき庶民たちまで、老若男女をとわず、お釈迦様のもとには道を求める多くの人々が集った。

最期のメッセージ

クシナーラーのサーラ林で八十年の生涯を閉じる直前、ブッダが残したのは、「修行者たちよ、私はあなたたちに告げます。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」という人々への励ましの言葉だった。それから二千五百年余り、ブッダの教えは人類の燈火として輝きつづけている。(終わり)

※2016年2月22日に内容をアップデートしました。

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