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アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどる『対談本をぜんぶ読む』後編【最新アップデート版】

特別連載 アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどる
『対談本をぜんぶ読む』 佐藤哲朗
(パティパダー2018年4月号)※2023年1月30日アップデータ

⑫『ブッダの贈り物』瀬戸内寂聴、養老孟司、宮崎哲弥 

『ブッダの贈り物』学研ムック、二〇一一年一月 主要目次:1スマナサーラ長老の世界(瀬戸内寂聴対談、識者の寄稿、特別インタビュー、ブックガイド等)/2初期仏教の世界(養老孟司対談、宮崎哲弥対談、識者の評論、瞑想ガイド、初期仏教入門等)

「ベストセラー連発、話題の“長老”の全貌に迫る!」と銘打ったムック本です。京都・嵯峨野の寂庵で収録された瀬戸内寂聴師(天台宗僧侶・作家、一九二二年~)との対談「仏さまに教わった大事なこと 尼僧と長老、ブッダの道でめぐり逢う」、養老孟司氏との再会対談「ブッダの道を科学する 仏教者と科学者の、カゲキで真っ当な話」、仏教に造詣の深い評論家・宮崎哲弥氏がホストを務めるCS朝日ニュースター『ニュースの深層』長老出演回(二〇〇九年一二月二三日放映)を誌上再現した、「仏教は宗教ではない シンプルかつラジカルな世界へ」が掲載されています。

対談当日、寂聴師は『怒らないこと』にびっしり付箋を貼って読み込んでいました。プロの文筆家としてまた僧侶として、筋の通った言動と迫力に、さすがの長老もタジタジになっていたのを懐かしく思い出します。他には長老が自らの半生を語る特別インタビュー、全著作ガイド、本誌連載「智慧の扉」ベストセレクション、故・奈良康明師、釈徹宗師、勝本華蓮師、名越康文氏、山折哲雄氏(《「博士」と「長老」との出会い》を再録)、小飼弾氏といった各界識者の評論・エッセイなど、手間暇かけて作りこまれた豪華な作品です。ムックという性質上、重版や電書化は難しいと思うので、古書価格が落ち着いているうちに購入されることをお勧めします。 対談当日、寂聴師は『怒らないこと』にびっしり付箋を貼って読み込んでいました。プロの文筆家としてまた僧侶として、筋の通った言動と迫力に、さすがの長老もタジタジになっていたのを懐かしく思い出します。他には長老が自らの半生を語る特別インタビュー、全著作ガイド、本誌連載「智慧の扉」ベストセレクション、故・奈良康明師、釈徹宗師、勝本華蓮師、名越康文氏、山折哲雄氏(《「博士」と「長老」との出会い》を再録)、小飼弾氏といった各界識者の評論・エッセイなど、手間暇かけて作りこまれた豪華な作品です。ムックという性質上、重版や電書化は難しいと思うので、古書価格が落ち着いているうちに購入されることをお勧めします。

⑬『仏教で生きる!』板橋興宗、金光敏郎(聞き手)

『仏教で生きる! 仏教対談「悩まない生き方」』サンガ、二〇一三年十一月 主要目次:1悩める人間――悩みの源・悩みと言葉/2悩みの元に迫る――悩みをつくるあべこべ思考/3悩み克服術――今ここを生きる智慧/4即・お悩み解決―客席との仏教談義/他・板橋氏のインタビューとエッセイ再録

二〇一三年六月一日に福井県越前市の御誕生寺(猫寺としても有名)で開催された、板橋興宗禅師(元曹洞宗大本山總持寺貫主・元曹洞宗管長、一九二七年~)とスマナサーラ長老の対談イベントを完全収録した作品です。司会はNHK「こころの時代」で長老や板橋禅師の番組を手がけた金光敏郎氏。基本的に、板橋禅師が飄々としたゆるふわな話をして、金光氏がそれを論点整理し、スマナサーラ長老がサーリプッタ尊者のように精緻な解説を加えてフォローしていく、という役割分担なのですが、時々、板橋禅師からヌッと拳を突き出すような迫力ある発言が飛び出してドキッとさせられます。それぞれのキャラが交錯しつつ、程よい化学反応を起こしている楽しい仏教談話だと思います。 二〇一三年六月一日に福井県越前市の御誕生寺(猫寺としても有名)で開催された、板橋興宗禅師(元曹洞宗大本山總持寺貫主・元曹洞宗管長、一九二七年~)とスマナサーラ長老の対談イベントを完全収録した作品です。司会はNHK「こころの時代」で長老や板橋禅師の番組を手がけた金光敏郎氏。基本的に、板橋禅師が飄々としたゆるふわな話をして、金光氏がそれを論点整理し、スマナサーラ長老がサーリプッタ尊者のように精緻な解説を加えてフォローしていく、という役割分担なのですが、時々、板橋禅師からヌッと拳を突き出すような迫力ある発言が飛び出してドキッとさせられます。それぞれのキャラが交錯しつつ、程よい化学反応を起こしている楽しい仏教談話だと思います。amazon https://goo.gl/daVkqA

⑭『怒らないで生きるには』しりあがり寿 

『怒らないで生きるには』宝島社、二〇一三年十二月 主要目次:「消えたケーキ」(しりあがり寿)/1「怒りとは何か」(問答編)/2「怒りのおさめ方」(問答編)/あとがき(しりあがり寿、スマナサーラ)

漫画家のしりあがり寿氏と長老が「怒り」をテーマに話し合った対談(というより問答集)と、怒りの連鎖の恐ろしさを描いたマンガ作品「消えたケーキ」を掲載。怒りを手放して幸福に生きる方法がこの一冊に凝縮されています。二〇一三年一月に他社から出る予定でしたが、諸般の事情で直前に取りやめとなり、宝島社からの刊行となりました。ヘイトスピーチ(差別扇動)やフェイクニュース(デマ報道)がネットにもリアルにも溢れかえる二〇一八年の今こそ生々しく沁みてくる滅びの物語です。

しりあがり寿氏は『怒らないこと』シリーズ帯に「怒り」を表す様々なパーリ語を擬人化したカラーイラストを提供し話題を呼び、単行本『怒らない練習』(サンガ、二〇一三年五月)や日めくり卓上カレンダー『今日を充実した一日にするための日めくりブッダの教え』(サンガ、二〇一六年三月)でもイラストを担当しています。養老孟司氏と並んで長老とご縁の深い方と言えるかもしれません。 しりあがり寿氏は『怒らないこと』シリーズ帯に「怒り」を表す様々なパーリ語を擬人化したカラーイラストを提供し話題を呼び、単行本『怒らない練習』(サンガ、二〇一三年五月)や日めくり卓上カレンダー『今日を充実した一日にするための日めくりブッダの教え』(サンガ、二〇一六年三月)でもイラストを担当しています。養老孟司氏と並んで長老とご縁の深い方と言えるかもしれません。

⑮『無知の壁』養老孟司 聞き手:釈徹宗

『無知の壁 「自分」について脳と仏教から考える』サンガ新書、二〇一四年九月 主要目次:まえがきに代えて(釈徹宗)/1「自分」という壁、/2「死の壁」と「世間の壁」/3「自分」の解剖学/4「転換」は克服のコツ/5信仰より智慧で自分を育てる/対談を終えて(スマナサーラ)

二〇一一年三月十一日から始まる東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の直後に開かれた「ウェーサーカ祭」では、スマナサーラ長老と養老孟司氏、そして聞き手・進行役の釈徹宗師(宗教学者・如来寺住職、一九六一年~)による鼎談が行われました。当日のやりとりに加筆編集を加えたのが本書です。米粒ほどの「虫の視点」と巨視的な人類史のスケールを瞬時に往還する養老氏と、スマナサーラ長老の完全な意気投合ぶりは『希望のしくみ』の頃から変わりません。ご本人も当代を代表する知識人でありながら、あえて聞き手にまわった釈徹宗師の評が面白いので引用します。

「スマナサーラ長老も養老孟司先生も、「宗教の話」や「科学の話」といった壁がない。まったく同位相で語る。ゆえに、長老の語りは時に科学者のような合理性が発揮され、養老先生の話はあたかも僧侶の説法のように聞こえる。会場は、双方の役割がしばしば交錯する場となった。」

「とにかくこの二人には、知的アイロニーをもつところ、表現がユニークであるところ、虚をつく視点、どこででも暮らせる新体制、といった共通項が見受けられる。身も心も貧弱な私などは、傍らで語りを聞いているだけで、魅了されてしまうのである。」(まえがきに代えて)

いわゆる3・11から七年を経て、社会の中枢まで「日本スゴイ!」と歴史捏造の自己催眠に浸食され、閉塞感を強めるばかりの日本にあって、「壁を乗り越える」ための前向きな勇気と、「新しい生き方」を見出すための智慧とを与えてくれる、珠玉の対話編ではないかと思います。 いわゆる3・11から七年を経て、社会の中枢まで「日本スゴイ!」と歴史捏造の自己催眠に浸食され、閉塞感を強めるばかりの日本にあって、「壁を乗り越える」ための前向きな勇気と、「新しい生き方」を見出すための智慧とを与えてくれる、珠玉の対話編ではないかと思います。

⑯『仏教は宗教ではない』イケダハヤト

『仏教は宗教ではない――お釈迦様が教えた完成された科学』Evolving、二〇一四年十月 主要目次:まえがき(イケダハヤト)/1仏教は宗教ではない――お釈迦様が教えた完成された科学/2やさしく自由に生きる智慧――理性を育てて幸福を目指す/あとがき(スマナサーラ)

イケダハヤト氏(一九八六年~)は、いわゆる86(ハチロク)世代と呼ばれる若手オピニオンリーダー・作家・プロブロガーとして知られています。最近は地方移住のススメや仮想通貨のエバンジェリストとして存在感を発揮していますね。本書は、イケダ氏がスマナサーラ長老に直球インタビューをする形で、「宗教」「仏教」への疑問から「貧困」「犯罪」「コマーシャリズム」などの社会問題、はたまた「政治論」から「宇宙論」まで様々なテーマについて対話が交わされています。自分の頭で考えて生きる、生きにくい日本社会、限りない願望で苦しむ原因 、犯罪者の思考パターン、自殺は負け、テクノロジーと道徳、誹謗中傷を褒めてしまう、お釈迦様の喧嘩にならない対話法、人を嫌うということ、怒りのエネルギー、あてにならない権力者、理想の政治、自由になる 、自己犠牲は道徳違反、仏教と宇宙、仏教と量子論、幸せと無常……。長老の対談相手としては最年少となるイケダハヤトさんとの息の合ったやりとりが痛快な一冊です。

「こういうことを書くと仏教関係者に怒られてしまうかもしれませんが、ぼくにとってブッダの教えを学ぶことは、「知的なエンターテインメント」といっても過言ではありません。人間精神の本質を、世界の成り立ちの本質を覗き込む気分に駆られます。スマナサーラ長老が教えてくれた数々の考え方は、眼から鱗がぽろぽろと落ちるものであり、対談を終えた今も、ぼくのなかで生きています。」(まえがき)

怒るどころか、こういう姿勢で仏教を学んで貰えることは「関係者」としてもこの上ない喜びですよ。当初2タイトルの電子書籍として刊行され、反響が大きかったことから紙の書籍としても刊行されました。そういう点でも画期的な出版でした。若い世代が仏教の世界に触れる入り口として、最適の一冊だと思います。 怒るどころか、こういう姿勢で仏教を学んで貰えることは「関係者」としてもこの上ない喜びですよ。当初2タイトルの電子書籍として刊行され、反響が大きかったことから紙の書籍としても刊行されました。そういう点でも画期的な出版でした。若い世代が仏教の世界に触れる入り口として、最適の一冊だと思います。

⑰『浄心への道順』名越康文 

『浄心への道順 瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話』サンガ、二〇一六年八月 主要目次:はじめに(名越康文)/対話1瞑想とディシプリン――瞑想の本質を重要ワードから理解する/対話2覚りに迫る認識論――ヴィパッサナー瞑想の本質から、瞑想で至れる認識のあり方まで/対話3覚りの世界――禅定と解脱の違い、そして現代人にとっての覚りの意義を、本質的に理解する/おわりに(スマナサーラ)

季刊誌『サンガジャパン』に三回にわたって連載された精神科医・名越康文氏(一九六〇年~)との対談を単行本化した作品です。仏教全般に造詣が深く、長老の指導を受けてヴィパッサナー実践にも取り組まれている名越氏は、まえがきでこう述べます。

「瞑想は、無我になるためにやるものですから、瞑想中の体験の主体は果たして私なのか、という問題はさておき、私が瞑想を通じて核心として理解したこと以外について議論する資格はないと思って対談に臨みました。たとえば瞑想者と学舎といった、異なる立ち位置からの意義ある対話本もたくさんありますが、私はおぼつかないながらも実践者として、あくまで一存在として、スマナサーラ長老とおずおずとでも対峙することを望みました。単なる知識ではなく、実践の実感で語ることでの対話の深まりこそ大切だと考えたのです。」

本書の価値はこの言葉に尽きていると思います。本書の価値はこの言葉に尽きていると思います。

⑱『仏教と科学が発見した「幸せの法則」』前野隆司 

『仏教と科学が発見した「幸せの法則」』サンガ、二〇一七年十月 主要目次:まえがき(前野隆司)/1仏教の原点をめぐって/2心とは何か/3幸せになるための四つの因子/4仏教は心の精密科学/5正しく幸せを目指す/6教育と幸福学/あとがき(スマナサーラ)

幸福学(幸福の科学ではない)の提唱者として知られる前野隆司氏(慶應義塾大学大学院教授、一九六二年~)との対談集です。話題は多岐にわたりますが、「人間(生命)にとって幸福とは何か? そして人間(生命)が幸福に達するための筋道とは何か?」という太い問題意識に貫かれており、飽きさせません。特に第三章で、前野氏が発見した幸せ(非地位財型幸せ)の四因子(①自己実現と成長――やってみよう因子、②つながりと感謝――ありがとう因子、③前向きと楽観――なんとかなる因子、④独立と自分らしさ――ありのままに因子)について長老が仏教的な観点からレビューするくだりは本書のハイライトでしょう。 幸福学(幸福の科学ではない)の提唱者として知られる前野隆司氏(慶應義塾大学大学院教授、一九六二年~)との対談集です。話題は多岐にわたりますが、「人間(生命)にとって幸福とは何か? そして人間(生命)が幸福に達するための筋道とは何か?」という太い問題意識に貫かれており、飽きさせません。特に第三章で、前野氏が発見した幸せ(非地位財型幸せ)の四因子(①自己実現と成長――やってみよう因子、②つながりと感謝――ありがとう因子、③前向きと楽観――なんとかなる因子、④独立と自分らしさ――ありのままに因子)について長老が仏教的な観点からレビューするくだりは本書のハイライトでしょう。

⑲『観察』想田和弘 

『観察 「生きる」という謎を解く鍵』サンガ、二〇一八年一月 主要目次:まえがき(想田和弘)/第一部〔二〇一六年三月二九日~三〇日 出逢い〕「観察」から始まる物語/第二部〔二〇一七年六月五日 再会〕そして「観察」は続く/付録〔特別レポート〕瞑想指導を観察する(想田和弘)/あとがき(スマナサーラ)

映画監督・想田和弘氏(一九七〇年~)と長老の二年越し三回にわたる対談とマンツーマン瞑想指導を収録した大作です。想田監督は事前の打ち合わせや台本なし、ナレーションもテロップも音楽も使わない「観察映画」の作品を次々と発表し、国際的に高く評価されています(代表作『選挙』『PEACE』『牡蠣工場』など、最新作『港町』)。

想田監督は、長老の『怒らないこと』(サンガ)と出会って人生が一変したと言います。週刊現代二〇一六年三月十二日号「わが人生最高の10冊」欄でも、同書を第一位に挙げて紹介していました。彼は本書にかけた思いをこう語ります。

「本書では、とくに「観察」をキーワードに、ブッダの教えに迫ろうと試みた。なぜならひとつには、僕自身が「観察映画」と銘打ってドキュメンタリー映画を作っているから。それにブッダが「観察瞑想」で覚ったと言われているように、仏教にとって「観察」は極めて重要な概念だからである。また本書の話題は、瞑想、輪廻転生、芸術、映画、暴力、戦争、政治、経済、デモクラシーなど、多岐にわたった。僕が普段から関心をもっている事柄について、仏教ならどう見るのか、疑問をぶつけてみたかった。」(まえがき)

本書がユニークなのは、想田氏が長老と二回にわたって対談した後に、活動拠点であるニューヨークでマインドフルネス瞑想の講習を受け、その体験を踏まえて改めて長老と対話を行い、さらにマンツーマンで瞑想指導を受けていることです。一人の芸術家が書籍を通して仏教と出会い、実践の世界へと導かれていく長編ドキュメンタリーのような構成になっています。これは他に類書のない特色ではないでしょうか?

「想田監督は観察映画の第一人者です。ヴィパッサナー実践において、観察は修行です。そこにはっきりした差があります。映画制作では、外の世界をありのままに撮影する。ヴィパッサナー実践では、自分自身をありのままに観察してゆく。この二つの能力――外の現象を観察する・自分自身を観察する――を組み合わせることができれば、完全な人格者になれるのではないでしょうか?」(あとがき)

観察者から観察者へのエールで本書は締めくくられます。そして旅の終わりまで、「観察」は続くのです。 観察者から観察者へのエールで本書は締めくくられます。そして旅の終わりまで、「観察」は続くのです。

⑳『テーラワーダと禅』藤田一照

『サンガジャパンvol.27特集:禅』サンガ、二〇一七年九月

まだ単行本化には至っていませんが(※初出当時)、季刊誌『サンガジャパンvol.27特集:禅』から、スマナサーラ長老と藤田一照師(曹洞宗国際センター所長、一九五四年~)の対談「テーラワーダからみた禅」の連載が続いています。駒澤大学で道元の思想を学んだ長老と、曹洞禅のイノベーションを模索する藤田師の対談は問題意識もがっちり噛み合っていて掛け値なしに面白いです。

ちなみにスマナサーラ長老と藤田一照師は二〇一六年十一月に曹洞宗総合研究センター学術大会シンポジウム「只管打坐とマインドフルネスとの対話 ~一仏両祖が目指した坐禅とは~」に熊野宏昭氏(早稲田大学応用脳科学研究所所長)と三人で登壇しており、その場では主に長老からかなり刺激的な発言がありました。そのまとめも公開が待たれるところです。スマナサーラ長老と藤田一照師は二〇一六年十一月に曹洞宗総合研究センター学術大会シンポジウム「只管打坐とマインドフルネスとの対話 ~一仏両祖が目指した坐禅とは~」に熊野宏昭氏(早稲田大学応用脳科学研究所所長)と三人で登壇しており、その場では主に長老からかなり刺激的な発言がありました。そのまとめも公開が待たれるところです。

追記1:2018年に「只管打坐とマインドフルネスとの対話 - 曹洞宗公開ブック」として刊行。ネットでも公開されました。

というわけで、十数年にわたって刊行されてきたスマナサーラ長老「対談本」をたどるうちに、ずいぶん長い記事になってしまいました。タイトルによってアクセントの置き所は違いますが、どの本も初期仏教の魅力と実力を見事にプレゼンテーションしていると思います。この特集のために全書籍を一気読みしましたが、一冊たりとも「賞味期限切れ」の作品はなかったと断言できます。興味を惹かれた本があれば、刊行年を気にすることなく手に取っていただければ幸いです。(おわり)

追記2:藤田一照師とスマナサーラ長老の対談は、『テーラワーダと禅――「悟り」への新時代のアプローチ』として2018年7月に単行本化されました。加筆された後記では、藤田師が対談を振り返ったなおも大乗仏教の独自性について長文にわたって未練と逡巡を吐露しており、それを長老が微笑みのような短文で受け止めているのが印象的です。

㉑『がんを治す心の力』小井戸一光、石飛道子(司会)

『がんを治す心の力 仏教と統合医療が語る、豊かに生きるための「心と体のメカニズム」』サンガ、二〇一八年十二月 主要目次:第1部 対談編 アルボムッレ・スマナサーラ×小井戸一光 司会:石飛道子、第2部 対談を終えて 問題を作るのは「自我という錯覚」 アルボムッレ・スマナサーラ 「こだわらない心」でがんを治す 小井戸一光 がんと心の問題を見つめて 石飛道子

がん統合医療の第一人者である小井戸一光先生(癒しの森内科・消化器内科クリニック院長)とスマナサーラ長老の二〇一二年から六年越しの対談やそれを踏まえた文章をまとめた本です。本書は長老の札幌講演を一貫してサポートして下さっている福士宗光さん(ケルプ研究所社長)や、本書で司会を務められた石飛道子先生(札幌大谷大学教授)とのご縁の賜物です。さらに粘り強く北海道でダンマサークルを運営し続ける会員の皆さんがいなければ、出版企画も途中で潰えていたでしょう。時間をかけた対話の成果だけに内容は研ぎ澄まされており、医療従事者やがん患者さんとそのご家族の心に届く深い作品に仕上がったと思います。ちなみに、宗教やスピリチュアルに傾倒した医師(小井戸先生はその辺と一線を画しています)や研究者が口走りがちな「サムシンググレート」について、スマナサーラ長老は対談の中ではっきり否定しています。そういう筋の通った真っ当さにおいても、類書には代えがたい価値がある本です。

㉒『瞑想と意識の探求』熊野宏昭

熊野宏昭『瞑想と意識の探求 一人ひとりの日本的マインドフルネスに向けて』サンガ新社、二〇二二年五月 対談者:横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)、アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)、鎌田東二(天理大学客員教授・京都大学名誉教授)、西平直(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)、柴田保之(國學院大學人間開発学部教授)、光吉俊二(東京大学大学院工学系研究科特任准教授)

”日本におけるマインドフルネスの第一人者で心療内科医の熊野宏昭(早稲田大学教授)氏が、瞑想をテーマに六人の探求者と語り合う対談集。自らの瞑想体験を縦軸に、禅、初期仏教、日本的霊性、能楽、障害者教育、数学理論という多様な分野を横軸にして、日本的な感性におけるマインドフルネスの可能性と、言語と意識の本質とは何かを、対話を通して探究する。”(書誌データより)サンガ新社のクラウドファンディング対談第二弾として刊行されました。第二章に、スマナサーラ長老との長編対談「ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス」も収録されています。旧サンガ社の島影透社長がまだご存命だった二〇一九年三月末に、谷中・澤木道場で行われたサンガくらぶの記録です。

前編を読む

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