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至高の遊び






わたしは今もあの頃の青春の日々に自分の精神だけを引き戻して時々思い出巡りすることがある。
いつきてもここはいい。潮風の匂いと灯台が見える海辺の景色。青春時代の彼はそのままその時のままそこに佇んでいる。わたしは今も彼の心の日記をそっと覗いている。それを除く時のわたしはまるで宝箱を開けるような気分だ。
彼の分身のようなその日記の数々には、普段自分語りをしない彼の思考が綴られている。彼は自分がないと言った。でもそれは違った。彼は自分がないのではない。わたしが彼を引き出すことができなかっただけなのだ。
今目の前にいる別の彼は本当に自分がない。
ストレスの解消法がわからない。好きなことがない。趣味もない。続けていることもない。譲れない大好きなものもない。積み重ねてきた歴史も。何かに対する情熱すらも。感じられないのだ。
わたしが今でも彼に思いを馳せるのはきっと、彼が自分と深く向き合い、探究し、コツコツ自分の中の経験と思考を積み重ねる奥深い人だからなのだ。彼は自分がないと言ったがそれは違う。きっと彼は自分という人間があまりにも濃すぎるのだおわたしは思う。
表には見えない。裏では日々色々なことを感じ、楽しみ、ひとり遊びが上手な彼だから。わたしはどうにか彼の注意を引こうと躍起になったのだが、彼の聖域にはもはや踏み込むことはできない。できなかった。私の中の聖域もきっと、こんなもので溢れていて、誰にも触れられないところへ厳重にしまってあって、誰にもバレないように時々こっそり覗いているのだ。この至高の時間すらわたしは侵害しようとしたが、自分に置き換えて考えるとそれは無意味なことだと悟った。どんなに他人との過去があろうと、今何がどうあろうと、わたしの中にも聖域はあり、そこで自由に心を羽ばたかせることも過去にタイムスリップして昔の恋に浸ることも誰にも罰することはできない至高の遊びなのである。

よろしくおねがいします⁽⁽ ( ˊᵕˋ ) ⁾⁾