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いってらっしゃい

果たしてnoteに書いていいものなのか。

自分の気持ちを前に向けるために、書かせてください。


今月、19日。

56年を生き抜いた母が天国へ旅立ちました。


一人っ子の僕に対して、常にファンでい続けてくれた母親。

何をするにしても応援してくれて、僕の趣味も理解してくれて、何でも話せたただ一人の味方。


唯一無二の存在を失ってしまいました。


よく「当事者意識をもて」なんて言われるけど、”当事者”にしか分からないことがある。繋がりを失くした者にしか分からない通うことのない気持ちがそこにはあるのかもしれない。


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状況を書いていくと、

母親は1年前にステージ3の胃がんの手術で胃を全摘出しております。昨年の12月に骨転移をしたということで、半年との余命を受け、まずは歩けるように治療するため、1カ月間入院をしておりました。


そんな状況下で、今月の中頃から一旦の退院ということで、僕は地元に帰ってきておりました。

容体については、前向きなものとして聞いており、

「しばらく介護をしてまた東京に帰ろうかな」

なんて考えてました。


帰った日には、車いすの母を連れ、家族全員で買い物ができるくらいには元気でした。その時はまだ、1週間後に亡くなるなんてことも知らず。


思い返せば、母はこの1週間何度も「ごめんね」と言っていた。帰省前に、聞いていた状況とは違い、日に日に体調が悪くなる母が介護をする僕にあてた言葉なのか。それとも長く生きられないことを悟っていたのか。


この1週間”介護”を続け、”人の世話をする”という当事者にしか分からない苦悩をたった7日だけど経験した。

この苦悩を言葉にできる人間がきっと”文才がある”と言われるのだろう。今の僕には、うまく言葉を紡ぐことができない。

強いて言うのなら、”両方つらい”。

介護する方も、されている方も辛いんだ。


こちらこそ「ごめんね」なんだ。寝てる間に起こされて、おむつを替えることを「よっしゃ!」と言ってできる僕ではなかった。多少、ムッとした顔をしていたかもしれない。当たり前のことを当たり前にできるような人にはなれていないみたいだ。

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「○○ちゃんは幸せな人生だったのだろうか」

母が死んでから父はずっとこの言葉を呟いている。

涙している。


死に際、テレビで見るような”最後の言葉を振り絞る”と言ったようなものはなかった。容体が急変したときから、声を発する筋力すら奪われており、意識が飛んでいたためだ。


”最後”と思って会話をすることなどできる人のほうが少ないのかもしれない。これほど自分の無知を呪うことはない。


あぁ、なんとか宗とか色々あるけど、あれは”本人の救い”というより”遺族にとっての救い”なのかもしれないな。

無宗教の葬式だったけど、そんなことを思う。

膨大な後悔を認識し、辛い現実から逃げるためのもの。

納得ができる。


ただ、僕が頼りたいのは、膨大な後悔という感情と向き合い、辛い現実と向き合うための生き様や言葉だ。

「ただいま」も「ありがとう」も「ごめんね」ももう言えないけど、現実を生きるしかない。たくさんの唯一を作れるような自分にならないとだな。


本人が幸せだったかなんてのは分からないけど、僕はあなたの息子でよかった。本人には伝わってると信じたい。

オタクのみんなにはあんなに「言葉にしないと伝わらない」って言ってたのにな笑

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母はまめな人だった。

僕が生まれてきた日からほぼすべての日に日記をつけていた。

生まれた日の日記を見ると、うなだれそうになる。


母のように毎日することはできないけど、日記がくれるパワーがあるのなら、これは僕の日記として残しておきたい。そして、多くの人に僕を通して母の存在を認識してほしいとさえ思う。


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学校へ行く僕をいつも見送ってくれた優しい優しい母は外出してしまった。


時が経つにつれ、思い出す回数が少なくなってきちゃうんだろうけど、いつでも帰ってきていいんだからね。

ここ最近は、思い出とともにすぐに帰ってきちゃうんだけどさ。


いつでも帰ってきてよ。


「いってらっしゃい」


あなたにとって大切な人との一瞬を、噛みしめて生きれるよう願っています。

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