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その一瞬のために生きていきたい

人は機嫌によって、感じ方・考え方が変わってしまうものだと思う。
いいライブだったなぁと思えたあとは、基本何があっても「幸せ」だなぁと感じることができるし、次の日は面倒くさい仕事があるなぁと思えば、「幸せ」の”し”すらでてこない

毎日が毎日、”楽しい”日がある訳がないし、苦しい日があるからこそ楽しい日が相対的に生まれるということも何となく肌で感じるようになってきた。

もしかしたら「本当に毎日が楽しい!!!!」「うんちすることすら楽しい!」って思える人はいるかもしれないけど、それがほんの数%であることは多分この社会を生きていれば気づくことのできる事実だと思う。


じゃあ、どうしても苦しいとき
考えすぎちゃうとき
ないものねだりをしちゃうとき
相手に望みすぎちゃうとき
楽しいことを想像できないとき
はどうすればいいのさ。。。。。


僕は、その答えとして、”一瞬”に目標を置くことがいいんじゃないのかなって思う。

ライブに行く道中の一瞬。
ライブ中に目が合ったその一瞬。
好きな人と笑いあえたその一瞬。
美味しいごはんを食べる最初の一口。
仕事で頑張ってるときの一瞬。
「助かった」と言われたその一瞬。

状態じゃなくて、その一瞬に重きを置くことによって
救われる場面があるんじゃないかって思う。

状態を求めすぎると、「ないものねだり」になっちゃって
一瞬の悦を感じられなくなってしまう経験が、読んでくれてる人にもあるんじゃないかな?

僕は腐るほどその経験があるのよ。。。
本来なら「楽しい!」って思える瞬間もそのせいで楽しめなかったり。
見返りや結果ばかりに重きを置きすぎちゃったり。

後で振り返ると「幸せ」だったなぁばかりじゃ寂しいからさ

いつだって心惹かれる瞬間はその一瞬なんだ。
見逃さないようにしないとなぁ。


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「幸せ」という言葉はクソほど嫌いだ。
なぜなら、その言葉が”状態”を指しているものだから。

この生きづらい世の中で、競争を強いられる世の中で、
”状態”の幸せを感じるということは誰かの幸せを奪っているという意味合いに近しいものがあると僕は思う。

僕はどちらかというと、勝ち負け均等に経験してきた方だからどちらの気持ちも分かる(と思ってる)。なぜなら、「反骨心」をバネにしてきた人間だから。

「今ある幸せを大切にする」と言われても、競争に勝ったものだから言える言葉だというようにしか聞こえない。

まだまだ、人の(状態の)幸せを受け入れることができる立派な人間にはなれないんだよね。うーーー。

仲の良い子とか好きな人とかなら心から祝福できるんだけどね。
知らない人は興味ないや(笑)


求めすぎないよう。
それを意識しないよう。
その一瞬に感情を爆発させ、その一瞬にすべてをぶつけられるようなそんな人間になりたいなって思います。

明日のライブも一瞬を見逃さないぞーーー


ではでは

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