私のフェミニズム

東京の女子校に通う高校三年生。見た目も性格も周りと何ら変わらない私だが、

私は、フェミニストである。


私のフェミニズムとの出会いは、正直よく覚えていない。しかし、幼い頃から「ジェンダー格差」として男女差別を疑問視してきた。

発展途上国において、女子が奴隷となって働かされる・教育を受けられない・早期の結婚と出産・・・そうした現状を訴えるNGOの広告が第一のきっかけとなり、「同じ女の子なのにどうして」という疑問を抱いた。初めはただそれだけだった。その後、あるきっかけから平塚らいてうを知り、男尊女卑を考え、女性が男性から・社会から虐げられてきた歴史と現状を目の当たりにして絶句した。それからは、自らも行動しようと立ち上がり、様々なイベント・講習会等に参加し様々な人と出会い、個人的に勉強し活動してきた。そんな中で、いつだったか、「フェミニズム」という言葉に出会った。


そもそも、フェミニストとは、セクシスト(=差別主義者)の対義語である。つまり、「男女平等を願う人」のことを指す。男性でも女性でも、男女差別を望まない人は誰でも皆フェミニストなのだ。

しかし、最近フェミニズムは「女の女による女のための運動」と勘違いされているように感じる。なんと寂しいことか、と常に思ってきた。

男性も女性も無関心層もみんな一緒になって、ジェンダー問題を考えたい」これが私の理想の社会である。あくまで理想に過ぎないと言われればそれまでかもしれないが、私が叶えたい、つくりたい社会像である。


今、わたしも、学校やその他のコミュニティで、フェミニストと言いづらい環境に置かれている。学校では、フェミニストの先生をクソフェミ扱いしアンチする同級生たくさん。到底カミングアウトすることは容易ではなく、時に怯えながら過ごしてきた。口に出すのには勇気がいるし、胸を張って言えるほど強気ではない。

胸を張って声を上げて怒らないなんて「フェミニストらしくない」と実際思われたこともあるし、読者の方もそう思われるかもしれない。

だが、私はフェミニストなのだ

カミングアウトできない環境に葛藤しながら生きるの、しんどいなあ」私のこの思いを綴り、残し、発信し、共有し、考えたい。これが、noteを始めたきっかけだ。

私なりのフェミニズムの在り方、「フェミニズムらしさ」ではなく「私らしさ」を求め、発信していきたいと思っている。


「らしさ」という自分の価値観を他者に押し付けない、強要しない、そんな社会の実現を切に願って。私が、あなたが、隣の人が、世界のだれかが、すべての個人が、輝ける日が来るように。

以上、自己紹介にかえて。

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