生存戦略としての変化
高校生のとき、現国を担当している教師陣のなかに、寺岡先生という方がいた(仮名)。
おそらく50代の男性で、がっしりどっしりしていて、真っ黒な髭をたくわえて、いつもがちっとスーツを着ていらした。ネクタイはしていなかった・・・と思う。
ちなみに、絶対記憶違いだと思うのだけれど、脳内再生するときに寺岡先生は必ず赤いシャツに黒いジャケットと、いわゆる任侠映画に出てきそうないでたちなので、高校生のわたしはなんとなく彼にアウトローな雰囲気を感じていたのだと思われる。
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高校生のとき、わたしは極度にひとの目を気にしながらクラスのヒエラルキーの中間くらいを漂っている、なんだかよくわからない生徒だった。
とにかく「ひとにどう思われているか」に心を砕き、いらぬ一言を言ったのではないかと気がかりなことがあれば真夜中までくよくよ悩んだ。高校2年生ともなれば、いくら田舎の進学校でもちょっと派手な生徒がちらほら、やんちゃな生徒もちらほらしてくる。そういう生徒はちょっと怖かったけれど、「誰とでも仲の良い自分」でいたかったため、無理して談笑して、ナチュラルに盛り上がった日は気分が高揚し、馴染めずもじもじおかしなそぶりをしてしまった日は消えたくなった。
そんな、十代のはじけるようなからだとちぐはぐな精神をかかえた不恰好な若者たちのひとりであったわたしは、真面目な生徒ではあったけれど、とにかく集団で受ける授業が苦手だった。
これはどんなに人気のある先生の授業であっても小学校時代から感じていたことで、中高校生のころは毎日「教科書をひとりで読みたい・・・」と思っていたし、大学には早々に行かなくなったし、大人になって就職して同僚に進められたセミナーを受けても「あ、やっぱ苦手だわ」と思ったので、おそらく怠惰とか怠慢とか教え方の問題ではなくて、わたしが生まれ持ったなにかなのだと思う。
相手から、集団に教えるために表現やリズムを一般化・定型化した内容を口頭で伝えられると、脳みそのしわの外側をつるつるすべっていってしまい、まったく頭に入ってこないのである。
そんなわけで、わたしは学生時代の恩師たちが授業中にしゃべっていた言葉を、実はほとんど覚えていない。すきな恩師、いまだにたまに連絡を取り合う恩師だっていて、廊下でしゃべった何気ない会話や個人面談での会話は覚えているのだけれど。
でも、ひとつだけ、例外がある。
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高校2年生のときだった。
わたしのクラスの現国担当は寺岡先生で、夏目漱石の「こころ」をやっていた。わたしは廊下側の端から2列目か3列目の、教室の前のほうに座っていて、寺岡先生の深い森の奥で暮らすおおきな熊みたいな真っ黒な瞳までよく見えた。
なにかのきっかけで、寺岡先生が、高校時代の同級生の思い出話をした。
「ぼくの高校のときの同級生にとっても賢い男がいて、大学では哲学を学びたいといって、京大に行ったんですよ。
奴はね、夏の帰省とかで会ってしゃべると、いつもなにかの意味を探していた。ずっと考えていた。結局彼は、大学を卒業しないまま、自殺してしまいました。」
しばらく、先生はなにかを思い出しているように、言葉を探しているように沈黙した。クラスメイトは静まりかえっていた。先生は、最後に、
「こころはひとを狂わせるんですよ。」
と、つけ加えた。
わたしはそのときはじめて、「ひとを狂わせるのは、自分自身のこころなのかもしれない」という可能性と出会った。
そして、十代の未成熟かつ持ち前の白か黒か思考で「ものごとにはかならず解がある(すくなくとも、自分なりの解は見つけられる)」と思い込んでいた思考のなかに、「もしかしたら、世の中にはわからないことや答えがないことがあるのかもしれない」「そして、考えかたを間違えると、ひとは死を選びたくなってしまうのかもしれない」という仮説の楔が、ふかくふかく刺さったのだった。
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その楔は、それ以来ずっとわたしのなかにある。
その楔のおかげで、生きながらえてきたような気もしている。
ひとは満たされているときに、満たされている意味をえんえんと考えたりはしないと思う。わたしなんかは単純なので、しあわせな理由をひとつひとつ数えていったりはしない。ただしあわせを噛みしめる。
ひとは満たされていないときにこそ尽きることなく考えはじめるのではないか。幸福になりたいからこそ、理由を、意味を、解をさがすのだ。
わたしもずっと満たされなくて、幸福になりたくて、考え続けていた。真実とか事実とか、ひとが生きている意味とか、わたしが生きている意味とか、人生の価値とか、彼とわたしが一緒にいる意味とか、他者と生きていくこととか、愛とか幸福とか。そういういろいろなことについて。
何度か、「これ以上はちょっとまずいんでない?」と危険を察知することがあった。ひとりで考えこんで、同じ言葉しか思い浮かばなくなって、思考がどんどん縮こまって深淵のふちに立ってしまいそうなとき。そういうときには、不思議と寺岡先生の姿が思い浮かんだ。あの教室で、「こころはひとを狂わせるんですよ。」と言った先生の姿。
そしてわたしは、危険を察知したら、なるべく環境を変えた。読む本や、普段一緒にいるひとや、住む街や、住む国や、仕事を。
こころを違う場所に解き放てるように。生存戦略としての変化だった。
本来、考えるということは、そのひとがもつ精神の宇宙をひろげていくプロセスなのではないか。そこにはたくさんの星のきらめきや生命の神秘や大きなちからみたいなものが存在していて、かけがえがなく、たえず変化していく。だからこそ、狂わない。
でも、この世界をサバイブして、かつ精神の宇宙をひろげ続けていくことは、かなりハードなことだ。サバイバルのように、備えていないと、すこしの変化も逃さないようにしないと、稀に取り返しがつかなくなることがある。サバイブするうちに精神の宇宙が縮こまっていって、星のあかりが消えて、宇宙が終焉を迎える。
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寺岡先生。
あなたのおかげで、わたしは自分なりの生存戦略を身につけました。一般化・定型化された知識ではない、先生の痛くて、ざらついてて、あたたかい身体的感覚と記憶をともなう言葉を投げかけてくれたから、すべての授業でぼんやりしていたわたしの脳裏にあの言葉が突き刺さったまま抜けずに、この世界をサバイブするためのわたしなりのコツを見つけることができた。
だから、わたしのこころは狂わなかった。
こころを解き放つことができる場所を探し続けること。それはきっと、本でも、人でも、組織でも、土地でもいいのだ。必要なのは、しずかな調和のような、作用しあえる存在なのだと思う。
先生、きっとわたし、これからも狂わないでいられると思います。ありがとうございました。