🌾おちぼ🌾
子どもたちとの暮らしのこと、夫との関係のこと、自分自身の仕事や感情の記録です。
FujifilmX-T30と一緒に、いま住んでいる街をぐるぐる歩いて写真を撮っています。主にInstagram、特に気に入っている写真はnoteに。
この夏は、5歳の長男とわたしで何度も夜の海岸線をドライブした。 我が家から近い海岸は東向きなので、夜がやってくるのがちょっと早い。 透明な青の空に、まずはピンク、それから薄い紫色がひろがって、混ざり合って、星や月がちいさくまたたいたあと、すぐに真っ暗になる。 そんな19時半ごろ、夫が次男を寝かしつけはじめたら家を出る。 我が家から数分で海が見える。街灯が多いし、車もぼちぼち走っているし、首都圏に近い海水浴場があるためか、近くのホテルや民宿に泊まっているとおぼしき家族連れや
交渉や調整の場で、 「Give - Giveになるように」 という言葉を耳にする。 たまたまわたしの身のまわりにこの言葉を口にする人がいるだけかもしれないけれど、「Give and Take(損はしていないぞ、というニュアンスを感じる)」や「Win - Win(お互い得したね、というニュアンスを感じる)」に代わって使われているように感じる今日このごろ。 言葉には流行りすたりがあるし解釈はすこしずつ変わっていくだろうし、最終的にどんな意味に落ち着くのかはわからない。でも
小1長男に聞かれて、答えられなかったことメモ。 その1:なんで人間は生まれて、大人になって、最後には死んでしまうのか その2:誰が言葉を作ったのか 素直に根源的な問いを投げかけられるということが、個性・特性・多様性を守られる社会に生きてる次世代っぽくてとてもいい。
そうしてこの記憶をなくしてしまいたい、というただただ恥ずかしい記憶というものがいくつかあって、ふとした瞬間に思い出してしまい、叫び出したくなることが月に何度かある。 本日、朝無事に息子たちが小学校や保育園に散っていき、平和に在宅勤務を開始した。午前に予定していた会議がひとつ相手側の都合でキャンセルになったために、ほっとひといき気軽な本をひらきいっとき休憩しようとした。 瞬間に、思い出してしまったのである! * * * あれはコロナで緊急事態宣言などが出始めて、都市機能
今朝目を覚ますと、夜の闇が去ってまもないのにふさわしいちょっとひんやりした空気が数日ぶりに家中に満ち満ちていた。 今日も暑いと思って朝から庭にプールを出そうと思っていたのに寒すぎるかもしれない、無理かもしれない! などと寝ぼけた考えがよぎったが、あっというまにみんみんじりじり暑い夏の一日がはじまり、夏というものを理解していない自分の考えに失笑した。 そんなふうに今日がはじまった。 * * * 昼前に近所の小5と小1の姉妹とその父母が遊びに来てくれて、我が家の小1ともう
今朝、家族のなかで一番はやく目が覚めた。 適度なスペースを保って眠りについたはずの長男と次男はいつのまにか、シングルサイズの補助ベッドに眠っていたわたしを両側から挟むかっこうに落ち着いており、母であるわたしは無意識のうちに横を向いて寝るなどして息子たちにすこしでも快適なスペースを与えようと苦慮していたらしい。 朝6時ごろ、寝苦しくて目覚めた。 わたしが体を起こした瞬間、待ってましたとばかりに両側のふたりがごろん、と寝返りをうって中央に寄ったので、一瞬でわたしのスペースは
今週あたまから朝夕咳をしていた長男が、昨日とうとう体調を崩したようで小学校を休んだのだが、小学校を休むと決まった瞬間から元気をとりもどし、午後にはすっかり本調子になった。 昼前にたまらず、 「ねえねえ、なんだか元気じゃない・・・?」 と指摘したところ、 「実はちょっとずる休みだったんだよね」 とのこと。小学生になってから毎日、本当にがんばって学校に行っていることを知っているので、やや得意そうににししと笑うのを叱っていいものかどうかわからない。 たまにはいいのか。いい・・・の
これまでの人生を振り返って、 「ああ、あのときこうしておいて本当によかった」 と思うことがいくつかある。そのうちのひとつが、今年の1月にカメラを買ったこと。 はじめてのカメラはFujifilmX-T30にした。ミラーレス一眼。 Fujifilmしか使ったことがないので比べようがないけれど、カメラ越しに見る世界はきれいで、静かで、このうえなくひとりきり。 そうしてファインダー越しに見る「いま」に集中してシャッターを切っていると、普段あたまのなかに絶えず浮かんでくる、仕事の
我が家には小1と2歳の男児がいるので、 家族の会話のなかに「ダンゴムシ」というワードが出てくる確率はおそらく、一般家庭の2倍から3倍にはなると思われる。 いや、もしかしたら5倍かもしれない。いやはや案外10倍か・・・。 そう思いあがる程度には、毎日さまざまな組み合わせで、なにかしらダンゴムシについて話をしている。 先週は保育園からのお便りに、 「次男くんはお部屋で観察しているダンゴムシがすきで、園庭であそぶたびにきれいな葉っぱを見つけて来てくれます」 と書いてあった。めっ
おととしくらいから長いこと、長男の特性について考えてきた。 当たり前のことだけれど、彼のこころの動きや思考を正確に知ることはもちろん不可能なので、いつまでたっても長男のことはよくわからない。 しかし!そうこうしているうちに、なんと不思議なことでしょう。 自分自身のことが、苦節三十数年を経て、やっとなんとなくわかりはじめたのである! 例えば。 テレビの音や光に疲弊するので、 テレビはなるべく見ず、文字で読むことにした。 相手の些細な表情の変化や動作やことばのニュアンス
先日、小1の長男を助手席に乗せて車を運転しているとき、ふと、 「最近悩んでるんだよね。仕事のことでさ。 優先順位とか、続けられるかとかね。」 と悩み相談してみたら、 「そういうときは悩むより先にやってみるといいんじゃない。いやだったら別のことをすればいいし、楽しかったら続けてみるといいんじゃない。」 とのこと。ま、まぶしい・・・ ああそうか、なにごとも完璧でなんの心配もない状態にもっていってからはじめたくなるのはわたしの悪い癖だったなと思い出した。 * * *
近所の農家のガレージの片隅にある無人野菜市に、えだまめが並び始めた。 この無人野菜市は、毎年夏に、えだまめ、とうもろこし、きゅうり、ナスなどがすこしずつタイミングをずらしてならび、朝晩すごしやすくなったと感じはじめるころに閉鎖される。 その土地でそのとき収穫できるものを、その日に買って食べると、こころなしか生きている実感が強まるのはなぜだろう。 とにかくその野菜市でえだまめは人気で、近所のひとたちがどんどん買うので昼にはなくなってしまう。 ゆうべ寝る前に、長男と、明日の朝
ゆうべ、長男が夫と『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見て、「脳みそが飛び出るくらいおもしろい。」と言った。 誰の模倣でもない言葉の組み合わせで自分の気持ちや情景を表現できるって、うらやましいくらいすてきだ。 彼は普段から自分の気持ちに敏感だから、他者との生活のなかで恥ずかしがりに、気持ちの切り替えが苦手に、癇癪もちになる。 わたしは長男のそういうところが生きづらいのではないかと思ってひとりやきもきしていたけど、それはわたし自身がおなじタイプであるということに加えて、「こう
今朝目を覚ましたらまだ6時で、雨粒が屋根にあたるリズミカルな音色が心地よかった。 満足して6時半まで二度寝しようとしたら、普段はなにをしても7時まで起きない長男と目が合ってしまった。 早朝まだ子どもと目が合った瞬間はいつも、なんてごまかそうとかなんとか二度寝できないかとか、脳みそがフルスピードで回転する。いつもごまかせないしもちろん二度寝はできない。回転数の無駄遣いである。 諦めて身体を起こすと、部屋のすみっこでは平常運転の次男がおめめぱっちりでごろごろしていた。次男が
今日から毎日、日記をつけようと思って、ひさしぶりにnoteをひらいた。 そうしたら、ちょうど10カ月前から5カ月前のあいだに、ちょっと前の自分が残した投稿がいくつも出てきて、ひさしぶりに読み返して、ちょっとびっくりしてしまった。 読みながら、長男の保育園への登園しぶりや、療育や、就学相談や、自分のエゴやキャリアになやんでいた気持ちを思い出した。「思い出す」くらい、過ぎていったことなんだと感じる。 あんなになやんでいたけど、結局はなるようにしかならなかった、というよりもな
最近、5歳の長男とわたしのひそかなたのしみは、2歳の次男がねむりについたあと、そわそわとお湯をわかして、サッポロ一番のしょうゆをゆでて、マグカップにはんぶんこにして、庭のベンチでたべること。 我が家は数軒つらなる戸建ての通りのなかの一軒で、両隣や裏には民家があるのだけれど、自宅のまえ、細い通りを挟んだ向かい側は畑で、その向こうは林で、さらにその向こうはずっとずっと畑。街灯は、ほとんどない。 だから、夜はちゃんとくらい。 くらくて、すっとつめたい空気が満ちていて、お隣のお