🌾おちぼ🌾

ちょっと変わり者の長男(年長)とめげないへこたれない次男(2歳)、我が道を行く夫と、神…

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ちょっと変わり者の長男(年長)とめげないへこたれない次男(2歳)、我が道を行く夫と、神奈川県三浦市で暮らしています。コンサル、ベンチャーを経て、居心地のいい場所を見つけました。2024年は観光にまつわる営みをつくりたい!

マガジン

  • 暮らしと営みの日記

    いつかのんびり噛みしめるために、毎日の、ささやかに幸福だと思ったことやふがいなかったことを残していこうと思います。この街のこと、暮らしのこと、子育てのこと、これからの営みの計画、の予定。

  • うれしはずかしエッセイ

    自分以外の誰かも読んでくれたらいいなと、ささやかな期待を込めて書いたもの。エッセイと呼ぶには気恥ずかしい。

  • 愛をこめて語るもの

    自分らしく、生きやすく、すこやかに幸福であるために、わたしがすきなもの。勝手に愛を語ります。

最近の記事

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自己紹介

はじめまして、おちぼです。 ひっそりはじめたnote。 これまで言葉にできなかった、あえてしていなかった感情や情景を書くたびに、それがこんなにも癒しになるんだということ。 そして、それが誰かに届いてすきだよと言ってもらえることが、こんなにも救いになるんだということ。 やめられないとまらない、でも毎日は更新できないジレンマのなかにありつつも、わたしはこれからもきっとnoteを続けていくだろうと確信がもてたので、自己紹介の投稿をしてみようと思います。 本名ではない理由アカウン

    • わたしの「夢」タイプと、これから

      そもそもなんだけど、「夢」ってなんだろう。 最近、知人が言い得て妙なことを言っていた(この知人はほんとうにうまいこと言うひと)。「夢」にはいくつかのタイプがあるんじゃないか、と。 まずは、「ワンピース」タイプ。 海賊王とか世界一の大剣豪になりたくて、努力でどんどん前進していくひとたち。いわゆるDoing型のひとが持つ、明確な「夢」。 次に、「チェンソーマンのデンジ」タイプ。 デンジは、普通に生きて普通に死ぬ人並みの生活と幸福がほしい。いわゆるBeing型のひとが持つ、「

      • 夜空のしたでインスタントラーメン

        最近、5歳の長男とわたしのひそかなたのしみは、2歳の次男がねむりについたあと、そわそわとお湯をわかして、サッポロ一番のしょうゆをゆでて、マグカップにはんぶんこにして、庭のベンチでたべること。 我が家は数軒つらなる戸建ての通りのなかの一軒で、両隣や裏には民家があるのだけれど、自宅のまえ、細い通りを挟んだ向かい側は畑で、その向こうは林で、さらにその向こうはずっとずっと畑。街灯は、ほとんどない。 だから、夜はちゃんとくらい。 くらくて、すっとつめたい空気が満ちていて、お隣のお

        • こさじ一杯の余裕

          我が家では、ふだん、夫婦でそろって家のことや子どもたちのことをしている。おたがいに「自分ばっかり」と思ってしまう日もあるけれど、冷静になれば、わたしたちが、わたしたち家族というちいさな群れを維持するためにそれぞれ果たしている役目はほぼおなじくらいで、とりたてて不満を言うほどのことではないのだと思う。 ただ、いまの平穏は、ぎりぎりのところで保たれているのだな、という感覚はある。 「自分ばっかり」ではないけれど、なにかの歯車が狂うと、ぜんぶがめちゃくちゃになってしまうような予感

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        • うれしはずかしエッセイ
          27本
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          15本
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          0本

        記事

          子育てはないものねだり

          2歳になった次男が、まいにち100回くらい、わたしを呼ぶ。 まま、っていーい?(ママ、あけていい?) まま、っけて!(ママ、あけて!) まま、でゅーしゅとーだい!(ママ、ジュースちょうだい!) まま、あい!(ママ、どうぞ!) まま、なーに?(ママ、これなあに?) まま、っけっとった!(ママ、ポケットあった!) まま、たぼんだまっていーい?(ママ、しゃぼんだましていーい?) まだ生まれて2年しかたっていないちいさなぼうやの目にうつる素敵なもの、不思議なもの、こわいもの、ほし

          子育てはないものねだり

          働きもので芯の強い、あなたたちの記憶

          ここのところ、noteを更新できなかった。 いまもなにを書きたいのかうまくまとめられないのだけれど、このままだとずっと書かなくなる気がするので、無理して書いてみたいと思う。 *** 10月のおわりに、父方の祖母が亡くなった。 92歳で、老衰ともいえる死因で、大往生といえばそうなのだろう。 両親が教師の共働きで、時代的にも時短や定時上がりみたいな働きかたができなかった我が家のばんごはんは、わたしが覚えている限りずっと、徒歩5分の場所に住む祖母が作ったコロッケや、おでん

          働きもので芯の強い、あなたたちの記憶

          ざらつく人材育成

          30代後半に足を突っ込んだという絶妙な年齢がかもしだす風格?のせいか、たまに言われるわたしのおかん感?のせいか、それともただ単に流行っているのか、ちかごろ、「当人の内発的動機を引き出す人材育成」について語るひとに出くわすことが多い。 「作業だけできてもだめなんだ、内発的動機を見つけてほしい」 「自分がほんとうにやりたいことに、主体的に取り組んでほしい」 「すでにあるものの模倣ではない、自分らしいことに取り組んでほしい」 とっても素敵なことだけど、実はちょっと食傷気味。

          ざらつく人材育成

          生活のなかの踊り、そして歌

          さいきん気づいたのだけど、もうすぐ二歳になる次男は、踊るようにあるくことがある。ちいさな足を踏み鳴らし、膝をまげてリズムをとって、ぱたぱたとすすみ、まわり、笑う。 ああ、この子はいま、うれしいんだなあ、とわかる。 あるくことが、今ここにいることが、この世界で生きていることが。 この子は、そういうときに、自然とからだが動く子なのだと思う。 今日は、保育園の門のまえで、すこし高いところを走る電車がみえて、 「でんた!でんた!」 と指をさして、うれしくてしかたがないといった

          生活のなかの踊り、そして歌

          わたしの庭

          我が家のキッチンにはちいさな窓がついていて、もっぱらわたしが世話をしているちいさな庭と、そのさきにある農家さんの畑と、さらにそのむこうにある林が見える。 今朝、6時半ごろにキッチンでコーヒーを淹れようとしていたら、うつむいた視界の端に、ぱあっと明るい光が差した。 それは、雲の合間からのぞいた、朝の光だった。 あたたかくて透明な朝の光。 その光を構成する希望にみちたちいさな光の粒たちが、秋の空気中にちらばって、けむったように満ち満ちたその瞬間、農家さんが植えているキャベ

          どんな顔をしていたらいいかわからないときに思うこと

          たとえば、スマホの待ち受け画面に通知されるオンラインニュースで、「ガザ地区で爆弾大量投下」のタイトルと「日本シリーズ 阪神が先制」のタイトルが並んで表示されていても、その現実を受け止められているとき。 たとえば、子どもの貧困や教育格差の是正みたいな社会課題に取り組んでいる団体にクラファンで寄付はするのに、自分の子どもの小学校の学区が、荒れていると噂の学区とは別で、ほっとしたとき。 たとえば、発達特性のある子どもを持つ保護者同士の集まりに参加したり、相談に乗ったり、運営のサ

          どんな顔をしていたらいいかわからないときに思うこと

          手を抜き、足を抜く

          夫が仕事の関係で一週間いなかったたので、子どもが産まれてほぼはじめて、完全にひとりで二人の子どもの育児と、家事と、仕事をこなしました。 ええ、しんどかったです。 そんな一週間(プラス数日)の振り返り。やっと夫が帰ってきて、疲れ果てて書くnote。ひさしぶりにちょっとお酒が入ってるので、明日読み返してからアップしよう・・・ *** ふだん、わたしと夫は、助け合って暮らしている。 わたしたち家族が住む街からお互いの実家までは飛行機や新幹線の距離なので、両親・義両親に「ち

          手を抜き、足を抜く

          自分の役割があるしあわせ

          先日、年長の長男の運動会があった。 不特定多数の他者から見られているとか、行動の結果が勝ち負けや成功・失敗という尺度で測れてしまうとかいう場面がすこぶる苦手な彼。 すらーっとわいわいと体操して、かけっこして、ダンスして、、そんなわけないとは頭ではわかっていたが、潜在意識のなかでは「もしかして楽しそうな姿を見ることができるかも」と思っていたエゴ・おちぼである。 わたしもまだまだ修行が足りない。 だって、なんと今回彼は、保育園に通って以来はじめて、 いっさいのプログラム

          自分の役割があるしあわせ

          ハリーポッターのいる世界

          こちらの記事にも書いたタイムバケットの実験結果があまりにも幸福すぎて、まったりぼんやりはじまった一週間は、長男の保育園最後の運動会で締めくくり。 いろいろあるけど、これでいいのだ! なにごともない幸福祝日で、子どもたちの保育園はおやすみ。夫の仕事もおやすみ。わたしはおうちで仕事。そんな一日。 おもてではつめたい雨がしとしとしとしと降っていたので、罪悪感ゼロで、一日家ですごすことに決めた。 子どもたちは一日中パジャマで、昨日出したふわっふわのじゅうたんのうえに素肌をすべらせ

          ハリーポッターのいる世界

          サザエさんが教えてくれること

          自分でも、なぜそうだったのかよくわからない行動をしていた時期があった。 さかのぼること13年前、大学を卒業したわたしは就活もせず、渡米して、ニューヨークで暮らし始めた。 ニューヨークにいたのは約3年間で、その間に5回引っ越した。ニューヨークの地価はべらぼうに高いので、もちろんすべてルームシェア。ときには数名でルームシェアしているアパートメントのリビングに住んでいたこともあった(割と普通のはなし)。 ニューヨークでの暮らしは楽しかった。 お金がないということだけがしんどか

          サザエさんが教えてくれること

          お金の稼ぎ時と使い時は一致しない

          割と稼ぎがよく、そのぶん多忙だった以前の仕事を辞めてフリーランスになって、収入が3分の1くらいになったころ、比例して自分の時間がふえたのでたくさん本を読んだ。 当時、とはいってもつい半年前なのだけれど、たくさん読んだ本のなかに、ビル・パーキンス著の『DIE WITH ZERO』があった。 ちなみに、わたしはふだん、自己研鑽やマインドセットのための本は読まない。なんとなく、こうしなければ不幸になるとか、成長せぬものを待つのは破滅のみとか、そういうあおりを感じてしまうため・・

          お金の稼ぎ時と使い時は一致しない

          世紀末でも生き延びられる伴侶を選んだ

          ちょっと前に、仕事仲間や知人数名(男女比率は半々くらい、既婚率も半々くらい)とお酒を飲んでいたとき、恋人や伴侶に特に望んでいるものはなにか、という話題になった。 喧々諤々話し合ったすえに絞り込んだ選択肢は、次の3つ。それぞれが自分がいちばん重視したいものをあげることになった。 人間力 包容力があるとかやさしいとか思いやりがあるとか、そもそも気が合うとか、自分という人間との相性みたいなもの。 社会的地位 家庭環境や学歴や経歴や年収など、社会的尺度のなかで測られるもの。

          世紀末でも生き延びられる伴侶を選んだ