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Give-Giveがなにか別のものになってしまう現象

交渉や調整の場で、

「Give - Giveになるように」

という言葉を耳にする。

たまたまわたしの身のまわりにこの言葉を口にする人がいるだけかもしれないけれど、「Give and Take(損はしていないぞ、というニュアンスを感じる)」や「Win - Win(お互い得したね、というニュアンスを感じる)」に代わって使われているように感じる今日このごろ。

言葉には流行りすたりがあるし解釈はすこしずつ変わっていくだろうし、最終的にどんな意味に落ち着くのかはわからない。でもわたしが「Give - Giveになるように」という表現から(すくなくとも当初)感じたのは、

おたがいさま。相互貢献。相互扶助。

言葉の概念的背景に、利害関係や統一的な価値基準だけでものごとを判断しないぞ、という気概があるし、共感、譲歩、協力、連帯、利他などなど情緒的でおもいやりの精神を重んじている気配も感じられていい。

さらには、『Give』と『Give』の矢印は特定の『あなた』と『わたし』のあいだで相互に向いているかと思いきや、

与える、受け取る

という行為からは、特定の『あなた』ではないまだ見ぬ誰かの気配も感じられる。
恩送りとか、ペイフォワードと呼ばれるやつである。
誰かに与えられたものを受け取って(引き受けて)、また次の誰かに渡す。
そんな可能性のひろがりを感じる。

・・・のだけれども、というのが、今日のテーマである。

* * *

ふしぎとわたしは、

「Give - Giveになるように」

という言葉から、というよりも調整や交渉の場でこの言葉を口にする人がかもし出す雰囲気やその場の空気感から、どうしても、

等価交換じゃないと不健全だ!
(だから『わたし』が提供するのと同じだけの見返りをくれますよね?!)

という無言のメッセージを強く感じてしまうのだ。
わたしがこの言葉を聞くのが、ビジネスの場だからかもしれない。
または、わたしが救いようもなくひねくれているのかもしれない。

個人的解釈だけれど(というか個人的解釈しかしてないのだけれど)、
『あなた』と『わたし』のあいだで起こる事象を貨幣的価値なりなんなりわかりやすい指標で測ることができ、互いに便益を得られるのであれば「Win - Win」で、
『わたし』が行った特定の行為に対して『あなた』から当初の期待通りのリワードを得ることができれば「Give and Take」なのじゃないだろうか。
それならば等価交換という前提もわかる。

けれど、「Give -Give」という言葉が担っていた領域とは、本来共感とか、譲歩とか、協力、連帯、利他、おもいやりなど、見返りを求めてはいけないものではなかったか。
すべてのモノゴトの価値を評価し測定し別のなにか(お金とか、サービスとか)と交換できるように進歩してきた現代社会のなかで、特定の指標で測ることができない、測るべきではないものではなかったか。

「Give - Giveになるように」というシチュエーションからは、
そんなある種の聖域に銃口を突き付けて、

こっちの配慮に価値をつけんかい!
んでもって、同等の価値をもつもんと交換してもらおうかァ!!!

と迫る強いメッセージを感じる。

というか、そんな価値交換の場に相手も最初から納得して参加しているのであれば、それはふつうに「Win - Win」ないし「Give and Take」である。

あえて「Give - Give」ということばを使って場を和ませながら交渉・調整・協議している当の本人に悪意はない。でも、こちらの『誠意』に応えてほしい、対応によって『あなた』の『誠意』を見極めるぞ、という要求や戦略はある。

しかしたちが悪いことに、そのメッセージは相互理解とか相互貢献とか連携といった耳障りのいい言葉たちとの相性がいいので、本人がそういう自分、つまり、

なりたかった自分とは、なにか別のものになっている

ということに、気づいていないケースが多い。
おそろしいことである。
去年のいまごろのわたし自身がそうだった。

ちなみに、等価交換じゃないと不健全という前提ではじまった「Give - Give」において、相互に『Give』と『Give』になる結末を迎えなかったワーストケースでは、その関係性は瞬時に『Give』と『Taker』に変わるとみなされる。

善と悪。二項対立。
なにかを与えた者と、その何かを奪って逃げ出した者。

レ・ミゼラブルの世界だ。こうなったらもう悲劇である。

* * *

それにしても、つらくてしんどくて、がむしゃらに日々をこなしながら前を向きながら、こうはなるまい、と反面教師にしているつもりだったものと気づけばおなじ姿になっていた、というシチュエーションはよくあるような気がする。

たとえば毒親、パワハラ上司、いじめの連鎖などなど。

これはよくよく自戒しないといけないぞ、と思っている。

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