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劇場へ(オープン・グラインドハウス by バストリオ)

Twitterで偶然、文鳥アイコンの人がコーヒーと物の物々交換をするというお知らせを呟いているのが流れてきて、面白そうだなと思ったのがきっかけで、今週たびたび、とある劇場へ足を運ぶことになった。

これまで演劇は近いようでいてなんとなく遠い存在だった。前に観たのは、ままごとの「わが星」で(たぶん数年前になるかな)、あとは、これも数年前にマームとジプシーが今日マチ子さんの「cocoon」をするというのを見て、「お!これは観なければ」と思ったものの、結局行けず仕舞いだったくらい。

今回も多分、呟き主のアイコンが「鳥」でなければ注視することもなかっただろうし、物々交換のことがなければ実際に足を運ぶところまでは行かなかっただろう。でも、そんな偶然が意外なギフトを生んだ。

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企画についてのサイトを見てみると、街の小劇場がバストリオというパフォーマンスグループ(?)とタッグを組んで、6日間、公開&滞在型の制作を行うということが書いてあった。

物々交換のコーヒースタンドは、お金ではなく、大切なものやいらなくなったもの、思い出や記憶などとの交換でコーヒーを供す、そして、そこで得たものを使って作品を作っていくという企画の一環だった。

そのコンセプトがいいなというのもあったんだけど、何より私には持て余している物があまりにたくさんあるので、(実はコーヒーは苦手めなんだけど)アートに使ってもらえるならと、普段使わないお皿類や壁掛け、片方になってしまった手袋などを持っていった。

その物達と交換に、コーヒーを淹れていただく。

その間、「これは何ですか?」とか「何でこれを持ってきてくださったんですか?」などと聞かれつつ、物につけるメッセージを書いて、準備ができたものを、交換された物を置くスペースに、その人が置きたいように陳列する。

その繰り返し。

物置き場には日に日に物が増えていっていた。最後に見た時には、謎の紙やどこかの国のお札、手作りっぽいお菓子やおもちゃのお寿司、その他おもちゃやごみのような雑多なものが雑然と並んでいた。私は、確か初日から置いてあったように思う銀色のポットがお気に入りだった。その周りに持ってきたお皿を置いたりした。

提供されたコーヒーは、(アフリカにある)ブルンジとタイの豆のブレンドだったらしい。私は(最近やっと飲んでもお腹を壊さなくなってきたような気もするんだけど)コーヒーは飲み慣れていないので、味についてあまり語れませんが、すっきりめでおいしいブレンドだったように思います。ゆっくり時間をかけて、手で加減をしつつ、お湯を注ぐ。電気ポットでドボドボジャーではなく、アナログのポット(?)で淹れてくださっていたのがとても良かった。

そして、パフォーマンス時に聞くまで知らなかったんだけれども、コーヒーをサーブしてくださっていたのは実は役者班の方々で、後で調べてみたらマームとジプシー所属だったりメディア出演もある方だったりもしたようだ。そんなことを全く意識させない、あまりにフラットな場だった。私は何も知らない強み(?)で、「肥料にするのでもし捨ててしまうならください」などと言って、ドリップがらをもらって帰ったりもしていた。アフリカやタイのコーヒー豆が東京の土に還っていくっていうのも何だか面白い。


そんなこんなで、昨日は企画5日目だった。この日、物々交換のコーヒーは午後早い時間で終わってしまっていたので参加できず残念だったんだけれども、夜のパフォーマンスを見に行った。

そのパフォーマンスは・・・うまく消化できていないところはあるけれど、普段なかなか使わない感覚や感情を呼び起こされたりして興味深かった。台本があるのかないのか、起こっていることが想定されていることなのかいないのか、どこからが作品なのか、これは始まっているのか、どう終わるのか・・・

筋が見えない、予定を想定できない、論理で解決できないことはなかなかの苦痛だった。

でも、このパフォーマンスのやろうとしていることや醍醐味はそこなんだと思った。何も決まってなんかいない、そこで起きたことを取り込んで飲み込んで新たな力にしていくというか。

私は普段のわりと堅苦しい世界の中では非定型気味の位置に見られることも多いのだけれども、それも、やっぱり基本が定型ありきの世界の中だからなんだな、と思った。どうしても、「こうなるはず」「こうあるべき」といった枠を意識してしまう。

その枠を取っ払うことは、秩序や効率や安定を捨ててしまうことだし、普段の生活の中ではなかなか難しい。

でも、そこでざわめきや不安や不協和音などと共に生まれるものの可能性や力っていうのは、圧倒的にあるんだよな、と。

そんなことを考えつつ、呆然とパフォーマンスを見ていた。


もうひとつ、面白かったのは、終演後、パフォーマンス内の食事風景で使われたシチューが「良かったら食べていってください」と、お客さんにもふるまわれたこと。

結構時間も遅かったし、人が食べているのを見てお腹がすいていたので、私もちゃっかり頂いてきました。そこで食べながら、現在(過去も)ヒモ生活をしている(しかも全国各地で)という人とおしゃべりをして、またまた新たな世界を見ました。笑

「一人の人からもらいすぎてはいけない」、「それまでどんなに醜いことになっていたとしても別れ際は美しく、あくまで関係性が美しくなければならない」というのが名言だった。

普段なかなか出会わない人や世界に触れたりすることができて刺激になった1週間でした。予定があって最終日(今日)のパフォーマンスを観られなかったのが残念!2回目はどうなったんだろう?

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用事が終わって夜、諸々終わった劇場はどうなったのかなと思ってふらっと見に行ってみたら、おそらく最後の最後、この1週間の入り口になっていた劇場搬入口で皆さんが記念撮影をしているシーンを目撃した。

良い瞬間を見られたなと思って、そのまま去った。

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