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目で聴く「私の暮らしかた」大貫妙子 著(新潮文庫 2016)

まずは、大貫妙子さんと坂本龍一さんのアルバムから、
「美貌の青空 Bibo no Aozora」を ♬

・・・声というのは、その人を映しだすものだと思う。・・・
声は人格そのものだと言ってしまったら、言い過ぎだろうか。
だから、年齢も関係ない。

「私の暮らしかた(暗闇のなかの対話)」P. 31 - 32

声により、穏やかな心や、たくらんでいる心、様々な心の状態が見えてくる。感情の蓄積が、その人の心の状態をつくり、その人自身をつくっていく。声は、その人そのものを反映していると私も思う。naka

はじめてある作家の本を読む時、その作家の書いていることが、本心から書いている事なのかを、見極めたい。騙されたくないから。でも、本心を見抜くには、経験や人間観察力が必要なのだろう。
声だけではなく、文体のリズムにも、心の状態は顕れると思うのだが、
なかなか。
大貫妙子さんの、つくられる歌詞、歌われる声、エッセイの文体、ともに優しく、暖かい。あまりにもスムーズに読めるエッセイなので、「エッセイは普通だな」と思ってしまうかもしれない。違うのです。
リズムや力の強弱の、過不足の無い自然体な言葉が、文体のスムーズさを生み、流れるように目の奥に入っていくのだ。目で聴くとは、この事。
そして、なんとなくハラがすわってて、かっこいい。
信じられる人に会えるのはとても嬉しい。私は大貫妙子さんが好きなのだ。
ただ、個人的に「何をあえて書かないか」まで想像が及ばない。そこがイメージできると、その人の考え方が、明瞭になってくるんだと思う。

このエッセイは、2005年12月から2013年 6月のもの。
(あとがきの後に、後日談として、2016年 1月時点の事も書かれている。)
アルバム「UTAU」は、2010年のものだから、このエッセイでも少し触れられている。

・・・坂本さんの楽曲に歌詞をつけさせていただき、歌うというものだ。
彼の曲はもともと歌のために書かれたものではなく、器楽的で、
私の音域を超えるものもたくさんある。
しかし私自身の曲も、もともと器楽的だから、歌えるのではないか
と思ったのだ。実際はとても大変だったけど。

 音楽はやはり美しいメロディ
そのためのハーモニー(いわゆるコード)で決まるものだと思う。
シンプルなメロディでも、
ハーモニーによってそのメロディのもつ世界観はがらりと変わる。

 アレンジ(編曲)とは、どんな楽器を使うか以前に、
メロディに対してどのようなコードをのせるかであり、
それによって音楽の命が決まると言ってもいい。
 そこになにか決まりごとがあるわけではなく、
その人の「センス」としかいえないのは、絵画にしても同じだと思う。
坂本さんの並外れたセンスが、彼の音楽をつくってきた。

「私の暮らしかた(ツアーの日々)」P. 164 - 165

2006年という年は、大貫妙子さんが長く在籍したレコード会社との契約が終了した年。外資の影響で、売り上げ重視の方針のため。
アルバム「UTAU」は、新たなスタートではなかったか。

エッセイの色々な話が、愛おしい。
目が見える人が、見えない人の世界を体験するプロジェクト。(これは体験したい。)トイレを節水タイプにする話。(うちもそうしたい。)
有機農業体験。ノラネコの世話。震災後の林業の実体。
一緒に住まれていたご両親が亡くなられたことまで。

しかし、小林聡美さん、群ようこさん、大貫妙子さんと、
みんなネコ好き。なにかあるのか。