さよならは仮のことば 谷川俊太郎


初めて詩集を買った。
谷川俊太郎さんの詩集。

本屋さんで、ふと目に止まったけれど、パラッとページをめくったとき、その言葉のあたたかさ、重量感に今の私は耐えられないような気がして、買わなかった。

なんでか分からないけど、恐怖に似た感情があった。

だけどその日、家に帰ってゴロゴロしながらYouTubeを見ていると、2歳の子供が生きることについて語るという見出しの動画に目が止まった。
可愛いなぁと思いながら再生ボタンを押した。

すると、それは谷川俊太郎さんの“生きる”という詩を朗読している動画だった。

これは本が私を呼んでいるのかもしれないと、素通りしてはいけないよって、何かが私に訴えていると思い、すぐに本屋さんへ引き返し詩集を購入した。

家に帰り、詩集を開く。
涙が止まらなくなった。

私は思っていることを言葉にしたとき、どこか嘘っぽくなるような感覚になることが多かった。
それが、まえがきで谷川俊太郎さんが書いている、“言葉への疑い”と近い気がした。

そんな谷川俊太郎さんが紡ぐ言葉は、“人そのもの”、“世界そのもの”のように感じた。

窓の外の若葉について考えてもいいですか?
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えてもいいですか?
あなたが死にかけているときに

あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?

それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで

“これが私の優しさです”という詩。

死に直面したあと、そのあとのこと。
事実に変わりはないけれど、時間は淡々と過ぎていくもので。
記憶は薄れていく。悲しいけれど、その気持ちも薄れていく。
そんな自分に嫌気がさすこともある。
忘れることが怖い。

だけど、命の終わりをもって生きること、それは前を向くということ。大丈夫だよ、あなたは強くなった。

今までお別れした人から、そう言われたような気がした。
あなたがいない世界で、食べて寝て、泣いて笑って生きるわたしを、あなたは許してくれるだろうか。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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