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大人の勉強法としての講師機会の活用

 全くの偶然ですが、社会保険労務士試験の合格の年回りの時に、誘い合った訳でもないのに、同じ予備校の同じクラスに、同じ会社の年上の先輩が来ていました。

 当初30数名いたクラスは、受講者がどんどん脱落し、最後のあたりは、受講者が十数名に減っていました。

 そして、最終的に合格したのは、そのクラスで、その先輩と私の2名のみでした。

 世の中に、合格を誇る宣伝をしている予備校は多いものですが、所詮、合格率はこんなものかもしれません(しかばね累々の実態ですから、幻想なきように!)。

 まぁ、それはともかく、その社労士予備校の縁で、その先輩の合格の前年度(不合格の年)に受講していたクラスの講師(当然、社労士です。)を囲む飲み会が、何回か開催され、私も出席したことがあります。

 その講師先生は、その時点で、行政書士の勉強を開始しようとしているところで、全く面白いことを言っていました。

 「私が、行政書士の受験講座の講師をやれば、私は、行政書士試験に合格できる。」

 資格予備校の講師は、当然、合格の先達者であることが求められますので、未合格者が講師を担当することはまずないのです。

 ですが、その未合格者である人が、受験希望者に受験情報たる知識を伝達することを通じて、自らに知識を染み込ませることができる、と言うのを聞いて、それはウソではないだろうと感じたものでした。

 というのは、その時点で、私は、職場で、税務や社会保険やライフプランなどの講師を担当していましたので、思い当たるところがあったのですね。

 講師を担当するためには、そのテキスト資材を作成したり、その予習や準備をしたり、講義そのものを行ったり、受講者からのさまざまな質問を受け付けたり、等の各種のアウトプット作業が生じるのです。

 このようなアウトプット作業を通じて、いやが応でも、講義内容の理解が深まり、教えられる側の受講者以上に、講師の方が勉強になるというのを知っていたからです。

 学生時代までの勉強は、「無意味記憶」と言って、そのまま丸暗記することで、成績を保つことができる人もいたと思います。

 しかし、20代後半以降は、脳が未熟な時代を脱し、次第に成熟していきますから、「理解することでしか記憶できない」という「意味記憶」主体に移っていきます。

 つまり、大人になってからの勉強は、学生時代までの丸暗記系の勉強をしようと思っても、「無理無理無理」なんです。

 「意味記憶」つまり、「理解をともなった記憶」というのが、重要なんです。

 その理解のためには、私自身も講師をするときに気を付けていることですが、「趣旨・背景・事例」という理解に直結する内容を織り込んだ講義をすることが、自分自身に対しても、一番、効果的なんですね。

 この記事を読む方も、職場などで、会議でのプレゼンや、私のように講義そのものを行う方も多いだろうと思います。

 こういうことは、物事の理解、そして、記憶を深める大きなチャンスなんですね。

 人前に立って発表することを敬遠する人も多いとは思いますが、このような経験は、その話を聞く側の人以上に、発表する人自身の理解・記憶を深めるものですよ。

 大人になってからの勉強は、もはや単なる丸暗記は無理と思った方がいいですから、このような講義や、また、今、私が執筆しているこの記事のような形態を通じた発表など、アウトプットの機会を通して、理解・記憶を深めていくことをお勧めします。

 これは中高年の責務かもしれませんよ。

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