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ギバーの観点からの「寄付」行為の継続

 人間の思考と行動を分類するものとして、次の3類型があります。
 ※以下、Google.Bard(生成AI)から引用。

①ギバー
・他者への貢献を喜びとする
・損得勘定をせず、無償で与えようとする
・他者からの感謝や信頼を得やすい
・ストレスを感じにくく、幸福度が高い

②マッチャー
・損得のバランスを考える
・与えるだけでなく、受け取ることも大切にする
・信頼関係を築きやすく、人間関係が円滑になる
・自己肯定感が高く、自信を持つことができる

③テイカー
・自分の利益を優先させる
・他者から何かを得るためには、自分も何かを与えなければならないと考える
・他者をコントロールしようとする傾向がある
・人間関係がうまくいかず、孤立してしまう可能性がある

 この3類型の分類は、自分の中に、それぞれいくぶんかずつは内包しているものと考えられますから、みなさんもどれか一つというふうに区分されるものではありません。

 とはいえ、どれかの傾向が強いというのはあるはずで、上記の内容を踏まえると、③のテイカーは、「自分のことばかりを考えるあまり、結局は他人から顧みられず、損な人生を歩むことになるだろうな」と想定されますね。

 自分の中を観察してみると、ギバーの視点もありつつも、マッチャーの性質があるような気がしますが、世の中を適正に渡っていくためには、ギバーの観点が必要というのは間違いないことなんでしょうね。

 ギバーとは、「与える人」ということですから、まず先に、他人に対して、与える気持ちのある人のことです。

 テイカーとは、「受け取る人」ということで、まず先に、相手から受け取ろうとする気持ちのある人のことです。

 マッチャーとは、その中間で、与えることと受け取ることがバランスされている人のことです。

 テイカーはともかく、マッチャーは必ずしも悪いことではなさそうですが、その中でも、ギバーの視点をどこかに持っている方が、長い人生航海上は、まず良さそうですね。

 私の限りある読書経験の中で、ギバーの特性を端的に表すものとして、社会的に良い行いを行う団体等に対して、「寄付」行為をしている人は、人生満足度が高く、かつ、豊かな人が多いということがわかってきました。

 アメリカ人などの超富裕層は、ものすごい額の寄付を、継続して行っていますが、これは、どうも金持ちになったからというだけでなく、名もなく貧しい時代から、できる限りの寄付を行っているようなのです。

 どうも因果関係の流れは、「金持ちだから寄付をする」というより、「寄付をしているから金持ちになった」のようなんですね。

 聖書の「マタイによる福音書」の中に、「あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。これは施しを隠しておくためである。隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。」とありますが、私なんて、逆に寄付をしているよって、宣言したいクチです。
 ※バチ当たりでしょうか(>_<)。

 私は、クレジットカードの毎月自動引き落としで、ある二つの公的団体に、1万円ずつ、計2万円を継続して、寄付をしています。

 こんなことを言う時点で、マッチャーの気質が現れていますが、でもね、身銭を切って寄付する行為自体は尊いと思いますよ。

 本当に金持ちになれるかどうかはわかりませんが、何だか少し楽しい気分になりますよ。

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