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『小説8050』を読んで感じたこと

 『小説8050(はち・まる・ごー・まる)』(林真理子著・新潮文庫刊)とは、まさに、世の中を震撼させている「8050問題」を題材にした衝撃的な作品です。

 「8050問題」とは、長年引きこもる子供とそれを支える親などの論点から2010年代以降の日本に発生している高年齢者の引きこもりに関する社会問題のことです。

 主に、バブル崩壊後の就職難にあった就職氷河期世代が、就職せず、引きこもりになったまま、50代となり、その親も80代となって、引きこもりとなった50代の生活を、80代の親の年金で支えるという構図で、成り立っているというものです。

 象徴的なのは、この小説での、80代の親が亡くなった後、借りている借地の地代が払えなくなって、その家を強制的に追い出される50代の子供の姿です。

 顔色は裏白く、ぶよぶよとした不健康な格好というような表現がされる内容で、かなりドキドキする部分です。

 この小説の主人公家庭は、まだ、「8050問題」の年代に達する前の「5020問題」の時期であり、引きこもりになって7年のまだ少しは傷が浅い時期です。

 とはいえ、表現は生々しく、かなり心拍数が上がるような内容が記載されています。

 確かに、ぐるりとあたりを見渡してみても、引きこもりとおぼしき子供を抱えている家庭は複数見受けられますので、この問題が、かなり根深い問題であることがうかがえます。

 この小説を見ていて思ったのは、子供を親が必要以上にかばいすぎるということです。

 「干渉」いや、それより程度が深い「過干渉」と言った方がいいのでしょう。

 必要以上に子供の生活に関与しすぎるのではないかという視点です。

 私などは、母親が義母だったせいもあり、非常に生活面で厳しく、大学時代などは、学費もお小遣いも出してもらえませんでしたが、反対に、厳しい干渉もなく、母の言うように、母の生まれ地方の言葉なんでしょうが、己生えおのればえを地で行くような生活をさせられました。
 ※「おのればえ」とは、こぼれ種によって自然発芽する植物、つまり、「自生している植物」という意味の伊予弁(愛媛弁)です。

 ある意味で、自由ですが、自立せざるを得ない環境で、何があろうと、自分の分は自分で稼げという方針でしたので、当時、いろいろとアルバイトを掛け持ち、月に25万円以上は稼いでいたように記憶しています。

 今の大学新卒の新社会人の一般的な初任給より、いいお給金を稼いでいたわけですから、私の大学時代は、お金に困ったという記憶はあまりありませんでしたがね。
 ※一方、大学卒業後、社会人として、初任給をいただいたときは、これだけかよ、と思った記憶がありました。

 自分のことをエラそうに言うわけではありませんが、このような義母の教育方針が、自分の中に、イヤでも、自立する精神を養ったのは確かです。

 ですので、引きこもりになった家庭というのは、どこかのタイミングで、子供をかばいすぎたのではないか、(例え、子供が死んでしまったとしても、)子供を家から追い出すくらいの覚悟が必要だったのではないか、そんな気がしてならないのです。

 多分、家から追い出せば、例え困窮しても、その子に多少の根性があれば、生き残っていく工夫をするんだろうと思いますよ。

 まぁ、そんなふうに感じるわけですが、現在、我が家庭の長男は、今年度から社会人になりましたが、土日になると、毎週、ふらふらとどこかに行っています。

 私も、奥さんも、とやかく言うわけではありません。引きこもりになるのより、多少のやんちゃをしても、だいぶマシ、というのが、私の感覚ですね。過干渉は本当にダメですよ。

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