見出し画像

努力がストレスの限界を超えないように

 『週間少年ジャンプ』(集英社)の漫画作品の編集にかかる共通認識として、共有されている3原則があります。

①友情:主人公とその仲間たちの絆や友情
②努力:主人公が目標に向かって努力する姿
③勝利:主人公が困難を乗り越えて勝利する姿


 これらの要素は、ジャンプ編集部が公式に掲げているわけではないのですが、広く少年漫画の王道として、読者の共感や感動を呼ぶものとして認識されています。

 そのうち、日本人が特に好きなものに、「努力」があると思います。

 高校などで生徒に対して、「やればできる」などの標語を掲げているところが多いのは、「努力」を重んずる気風を示しているものとして、極めて示唆的です。

 私の尊敬する明治から昭和にかけての偉人で、東京帝国大学農学部教授であり、学者をやりながら現在の価値にして数十億の資産を築いた本多静六ほんだせいろく博士の人生訓は、「人生すなわち努力・努力すなわち幸福」だったと言いますから、100年以上前から伝わる成功の王道だったことは間違いないでしょう。

 「努力」をもっと日常的な言葉に置き換えると、「頑張る」になるでしょうが、どうもこの「頑張る」に相当する英語はないようなんですね。

 これは、『日本のコミュニケーションを診る-遠慮・建前・気疲れ社会-』(パントー・フランチェスコ著・光文社新書刊)からの受け売りですが、氏は、イタリア人でイタリアで医学部を卒業した後、日本で医師免許と医学博士を取得して、日本で精神科医として臨床にあたっているという稀有な人です。

 氏は、その日本語能力を駆使して、この本を執筆したと思われ、的確な論理展開と日本の精神構造にかかる洞察には、昔から言うところの「恐れ入谷いりや鬼子母神きしぼじんといった感じです。
 ※氏が来日されたきっかけは、日本のゲーム、アニメ、漫画に幼少より魅せられていたからとのことです。

 氏は、同著作の中で、日本の日常的に使われる「頑張る」という言葉の背景には「努力至上主義」があると言います。

 つまり、「頑張ればできる」という信念であり、それ自体は無害に聞こえるかもしれないが、「頑張ってうまくいかなくても、もっと頑張れば必ずできる」と期待しているところに問題があると言います。

 この根底には、日本社会が「能力平等感」に基づいていることによると指摘しており、それは出世できる、できない人を選り分ける際に、才能より努力を重視する考え方で、個人の生まれつきの能力は平等で、努力を重ねれば誰だって成功できるという信念から成り立っていると言います。

 これは、日本人にはごく当たり前のことのように感じますが、欧米社会は、「能力不平等感」がベースになっており、どれだけ努力しても、生まれつきの才能や環境による違いは重いものだと信じられていると言います。

 「努力至上主義」は、日本人の素晴らしいところでもあるが、「努力しても成し遂げられないときは諦めてもいい」という側面がセットにならない限り、失敗はすべて本人の責任になってしまうと指摘しています。

 「頑張る」とは、文字どおり、何かを張る、ストレッチさせるイメージで、それに近い概念は「stress」(ストレス)です。

 ストレスは、輪ゴムを引っ張るイメージですが、程よい加減のストレスなら心身の健康にいい影響を与えるが、弾力を超えて無理やり伸ばそうとすると、輪ゴム(=人間)はちぎれてしまいます。

 日本の「努力至上主義」は、「能力平等感」をベースにしているため、「ここまではやれるけど、これ以上は頑張れない」と止めることができず、非常に危険と指摘しています。何かものすごい洞察だと感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?