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狂わされる人生なんてごめんだ。

おはようございます。
私の大好きなドラマの一つに「深夜食堂」があります。
生きてるといろんなことがあるけどさ、人がいて、美味しいご飯があるからもう少し踏ん張ってみようって思えるんだよな。あぁ、こんな心の拠り所が私にも欲しい・・・。そう思った人が多いのでは?
このドラマのシーズン1−9「第9話 アジの開き」という話で、小寿々さんというとても味わい深い登場人物の印象的なセリフがありました。

「女の人生狂わせんのは、いつの時代も男なのよねぇ」

この場合の「女」というのは、恋愛対象が「男性」の人のことを言っていますが、
要は「女性は恋愛で自分を見失ったり、人生が変わったりする」ということを言いたいのかと思います。

まず性の多様性については大前提ですが、
ドラマも小寿々さんもとても好きなのだけど、私はこのセリフに少し違和感があります。
特に少し前はこのセリフから一種の嫌悪感に似たものを感じ、それは自分の欠点を指摘された時に感じるものに似ていました。

苦しみと生きていたあの日

私にもありました。どうしても忘れられなくて、苦しくて苦しくていられない夜を過ごしたことが。目の前に流れているドラマのワンシーンが、過去の記憶の呼び水になったり。
「そんな過去があったな」って言えるようになるには、生きた年数からするとそれなりに長い年月がかかって。こんなに一人の人が心にこびりついてしまうだなんて驚いていたし、まさか自分がそうなるなんてって、恐ろしくもなりました。
あの辛さはどうにも変えられなくて、ただひたすらその苦するしさと共に生きていました。
それの原因は今では分かります。
それは確かに、一種の"依存"でした。

私+その人=生きている

書いていて若干寒いけど、笑
本当にこうなっていたんだと思います。ここでポイントなのは、そういう意識が全くなかったということです。
生きているのは自分自身なのに、私が生きる上ではその人がいることが当たり前になっていて。
「当たり前」ってすごく恐ろしい言葉で、ほら、呼吸するたびに「空気よありがとー!」って思う人って、余程のことがない限りほとんどいないじゃないですか。
そんな具合でその人の存在が当たり前になっていたのでしょう。
だから、その当たり前がいなくなると「悲しい」ではなくて
「信じられない」「どうしたらいいんだ?」「苦しい」という言葉や感情が一番フィットしたのだと思います。
 これってすごく不健康なことだと今では分かります。
でもこうやって生きていたときは、そんなことに気づきもしませんでした。なんなら平然と、自分の足で、自分で意思決定をして、人として普通に真っ当に生きているつもりでいましたから。ここに立てているのは自分自身の力であるという"おごり"と共に生きていたとすら思います。

そして自然に、自分よりも相手にフォーカスが当たっていることにすら気付かずにいたのです。

その後私にもまた恋人ができ、その人が今の配偶者になったその人なのですが、
その彼と、ものすごい喧嘩をした時のこと。
喧嘩の中で「別れ」という不安がちらついた途端、我を忘れてパニックに陥る私に、彼は恐怖を感じていたようでした。
「あなたを否定したのではない」ということを言葉で伝えてくれる彼に対し、私は「この人も去ってしまったら、私は生きていけなくなる」と本気で考えていたのです。
「 私 + その人 =生きている」の「その人」が再びなくなってしまうという恐怖が押し寄せてきて、正常な判断ができなくなっていました。

埋めたい真理

今の私は、それなりに生きていると思います。
自分ひとりでも生きていきたいと思えるようになったと感じます。公式が完全に書きかわったかは、神のみぞ知るところでしょうが。
そのきっかけをくれたのは、今の配偶者です。
先のような壮絶な喧嘩という戦を共に乗り越えた戦友でもある配偶者は、とても飄々と生きているように見えます。
「コイツ、サイコパスか?」と疑ってネットに転がるサイコパス診断をやってもらったことがあるくらいです。
(「ポジティブすぎて逆にサイコパスを疑われるレベルです」という納得の診断結果でした。)

他人の目や、他人を自分の中に勝手に取り入れて生きてきた自分とは全く異なる生き方をしていた彼。ここまで自分軸で生きられるなんて、羨ましい。
妬みと尊敬が入り混じる感情がありますが、彼の生き方は清々しいです。
(たまに思いやりのなさと感じる部分があることは否めませんがね。)
どういう考え方なんだろう?と、彼の思考が気になり始めたのが大きなきっかけだったように思います。

彼は美術大学を出ていて絵を描くのですが、
デッサンは、細かいところまで全てをしっかり完璧に描こうとすると、良い絵は描けないんだよ
と教えてくれました。
これはデッサンで一般的な考え方なのか、素人の私にはわかりません。
でも彼は「人生も一緒だと思う。」と言葉を添えました。

私は「理想」を追い求めて生きてきて、「こうでなければならない」という勝手な定義を作って生きてきました。
そうなれなかったときの不安を埋めるためや、しっかりと正解に自分が当てはまっているかの評価軸に、自分以外の他者の存在を必要・必須としていました。
そんな私に、彼の言葉は斬新で、不思議な説得力があるものでした。
彼の絵を見ていたからかもしれません。
私もそんな風に生きてみたいと、自然に思えるようになりました。

私 + 人がくれた言葉 = 生きていく

ずいぶん前になりますが、NHKの番組のとあるコーナーで、お坊さんがこのようなお話をされていました。
「人はいなくなります。でも、その人の言葉はなくなりません。その人がいなくなってしまっても、その言葉を胸に生きていくことはできます。」

その人に依存するのではなく、その人がくれた大切な言葉を自分の力、生きる上での血肉にしていくことはできる。

これから先、もし彼がいなくなったらとても悲しいでしょう。
でも、それでも生きていけるよう、今の配偶者の言葉を自分のものにして、今度こそ自分の足て歩いていきたいと思っています。
実際、彼の言葉を受けて、私は全てに一生懸命になることを少しずつやめています。
完璧を目指していた自分を、優しく微笑ましく笑うことができるようになってきた。
これは彼がくれた言葉のおかげです。
それでもまだ2人で歩く道のりは長いだろうし、それを望みます。

「女の人生狂わせんのは、いつの時代も男なのよねぇ」
違うよ小寿々さん。狂ったんじゃない、一緒に生きて来たんだよ。その道を歩くと決めたのはその人自身だったんだ。
そしてその人は、たまに大切な時間や言葉をくれる。
それを自分の宝箱にいれて、また自分で道を探して、自分で歩いていくんだよ。

いろいろな人生があるなかで、今この道を歩くと選択した私。
たまに悩み、もがきながらも、楽しみながらしっかりと歩いていくよ。

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