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日記:ぼくはこんなことを考えている 8・9月編



2023年8・9月にあったことを振り返る日記です。なんでこの時期の日記を2024年春に更新するんだというツッコミは、ナシで頼むわ……

この時期は赤丸健康優良児な自分にしては珍しく病院へ定期受診していたので、いつもとは違う体験が出来た月でしたね。

ちなみに通院とはいっても、結果的に大したことはなかったのでご心配なく。





8月2日 病院にて、同人音声のリアリティに感嘆するの巻


身体にちょっと不調があり、色んな検査をした1日だった。結果も出てない今の時点では、不安が募るばかり………なんてことはなく。

普通に『ガールズ&パンツァー』がサブスク配信に戻ってきたのが嬉しくて1日中小躍りしていた!最高の美少女アニメだ!!!
「これが本当のアンツィオ戦です!」は特に傑作なので、アニメファンは要チェック!!


今日は喉あたりを検査したのだが、それがめ〜ちゃくちゃハードだったのだ。もうキツいっす。しばらく病院には行きたくない!

インフルとかコロナを検査する時の"アレ"を思い起こして欲しい。鼻にぶすーーっと刺すやつ。

アレをゆうに超える不快感の奔流がドドドドドドーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!!!!!!!と押し寄せるんだから。


そういえば人間というのは追い詰められた時に笑ってしまう…みたいなツイートを見たことがあるが、まさにそういう現象が自分に起きたのだ。


喉の奥までカメラや得体の知れない機会をグリグリーーーーーっっっっとされる地獄のような時間が終わり、看護師さんにうがいを促される。

この看護師さんが『月曜日のたわわ』に出てくるcv.能登麻美子の看護師だったらよかったのに…などと思いつつ、疲労困憊の私はコップでガラガラうがいをしようと試みるのだけども…

おバカなお色気アニメの癖して、大沼心イズムを継承しているのがニクいね

そこで違和感に気づく。なんか喉……いや、口腔全体の質感がおかしい。
いつものうがいと、明らかに何かが違う!

その原因はすぐに分かった。口内の唾液が普段では考えられないほど粘性を帯びているのだ。うがいするために吐くだけでも一苦労!

「なんで俺ばかりこんな目に遭わなければならないんだ!喉を××××された後なのに、もう耐えられないよ!!!!」

そこでふと思った。

同人音声でパイズリとかする時に
唾液で粘性を帯びさせるやつ、
やろうと思えば本当に出来るんだ………………!!


同人音声のおかげで、キツイ検査も乗り切れたゼ。
というわけでパイズリ音声を聴くときは、喉にカメラを押し込んでから聴くと臨場感があって良いかもしれません。

さんきゅーな、Dlsite!1年中何かしらのセールやってくれてありがとう!



24日 夜歩く、誰と?コンビニの脇の道を……


夏休みということで、我々学生はフリーダムだ。普段はけっこう真面目クンだから躊躇してしまいがちなことであっても、この時期ならば堂々と出来る……とか言っとく~!(YOU THE ROCK☆)

…というわけで勇気を出して深夜0時に散歩をしたのだった。割と浅い時間じゃねーかと突っ込んでくるアナザー・藤吉なかのにぺこりと一礼。

許してや~いつもこういう深めの夜はアニメ見てる時間だから、こういう時間の外出は慣れてないんだって。


Lamp『恋人へ』に最近ハマっているので、聴きながら歩く。
自分の大好きな70's邦楽ロックから影響を受けてそうな、それでいて異国情緒もあって独特のノスタルジーに溢れるサウンドが好きだ…


コンビニで春巻きを買って歩きながら食べていると、流石の自分も「こういう体験はカッコいいかも…!」みたいな自己陶酔が出てきて、恥ずかしくなってきた。

しかしこの時間のコンビニはなんだか普段利用しているコンビニとは全く違う世界だ。
また同時に「夜」と「深夜」のあわいが目に見える形で存在していて、これも面白い。


今日応対してくれた若者はまさに文化系陽キャという感じで、お辞儀も声もハキハキしている。「ありがとうございましたー!」からの深いお辞儀!今どきこんな店員さんおるかね。

「そこまできちんとしてくれなくて良いよ」と思いつつも、いざ丁寧なサービスを受けるとバイトの疲れがスッキリする。

でもそれは「俺にひざまづいてやがる!」てな感じの、気持ち悪い征服欲とかではない。
あんま店員さんに注目することもないので、そんな支配欲を抱く隙間もないんだよな。

たぶんこれは、深夜のコンビニというミスが目立たなそうな時間と場所においても、自分の信じるサービスを欠かさない、理性と爽やかさを兼ね備えた真正の善人と対面した喜びなのかもしれない。

掛け値なしに良い人だ、そんな人に出会えた今日はのっけから良い日だ。
深夜を1日の「のっけ」と取るか「ケツ」と取るかは、まぁ諸説あるかな……


ちなみにさわやか兄さんの横では髭を生やしたお兄さんが気だるげに商品を補充していて、この人は「省エネ」かつ「深夜の高給」を狙っていることが容易に窺い知れる。

これはこれで最高だ。今度は凄い人を見た喜びとはベクトルが違う、「生活」するために働く大人へ感じる共感の喜び!

しかし深夜に働いている皆さんを見ていると、自分という学生がいかに楽して暮らしているかを突きつけられるようで申し訳なくなってくるぜ。


楽させて貰っているなら、せめて「夜歩くアニメーション人間」としての矜持を全うしようと思った。初めての深夜徘徊はさっさと切り上げて、そそくさ帰ってから『けいおん!』「冬の日」を観た。

山田尚子のフィルムは初めて見たときからいつまでも美しいけど、今日は訳もなく切なかった。



9月15日 オタクくんは言及が大好き……?それでいいのかお前らはぁ!?!?


自分は学生同人サークル・萌研のメンバーとよく喋っている。インターネット内弁慶気味な自分としては数少ない交流で、ありがたい限りだ。

きっかけとしては『もえけん!』主催が自分のMOSAIC.WAVを語る記事(↓)を読んでくれた事がきっかけなので、もう4ヶ月か。……まだ4ヶ月か?


萌研のメンバーとよく喋る内に、いわゆる学生評論・批評界隈の人たちとも少し交友を持つようになった。自分とは全く違う嗜好をしているオタクたちのツイートには、日々良くも悪くも刺激を貰いっきりだ。


ただこうした「界隈」に所属したことがない自分にとっては新鮮なことも多い。1番驚いたのが、誰がが提示した刺激的なトピックに全員が示し合わせたかのように意見を表明することだ。

どんなトピックであろうと大体の人が意見を表明したり、皮肉るユーモアを言ってみたり、何かしらの言及をする。

Twitter自体が「つぶやき」の場なのでそれ自体は好きにしてくれや……という感じなのだが、しかしみんな自分の予想以上に言及が好きで好きでたまらないようだ。


もちろん他ならぬ自分だって、タイムリーな話題についてのツイートはする。僕はTwitterで頻繁にアニメの感想をツイートしているので、今放送されている話題作に感銘を受けたようなことがあれば、ためらわす「○○は最高!」と長文ツリーを放出するだろう。

それが「言及」でない訳がない。そう考えてみると、僕だって野暮ったい「言及族」の立派な一員だ。


しかし多くのオタクは割と手当たり次第に言及を繰り返しているように見えてしまうのだ。これは歪んだ自己正当化で、意味のない意見なんだろうけど、実際にこう思うのだからしょうがない。

声優のスキャンダル、「セカイ系」「文化資本」「誠実さ」などの単語についての議論……言及されがちなテーマを挙げだしたらきりが無い!

挙げ句の果てには、ちょっとキャッチーな診断メーカーみたいなのを恥ずかしげもなく利用してキャッキャッとしてみたり。
プライドとか、矜持とか、みんなはそういう所をもうちょっと気にしても良いんじゃないかと思う。

↑ こういうの、1番ダサいっす……


せっかくインターネットという「自分の一側面のみを見せることが出来る」都合の良い窓があるんだから、その窓から映る自分の像くらい格好付けても良いんじゃないだろうか。
まぁこういう発言そのものが既にダサいといわれれば、もう閉口するしかないのだけれど。


言及が意見交換として生産的であるという考えもあるだろうが、個人的にはインターネットでどれだけ壁打ちの議論を繰り返したってしょうがないんじゃないかと思ってしまう。

140文字以内で意見をまとめることがデフォルトとして設定されているサービス上で生産的な議論をしようつったって、無理があるよ。

「言及」が本質的に議論の進展を生むとは思えない。
自分とは違ってフォロワーがたくさんいる人なんかは、言葉尻を捕まれるリスクも跳ね上がるのだから、いくら真摯な反論を試みても暖簾に腕押し・糠に釘。ドツボにハマってしまうのがオチだろう。


かといって「インターネットは無意味だから全ての言及を止めろ!!」というのは、無慈悲が過ぎるという気もするから不思議だ。

みんなも「心地よく睡眠する方法」って調べたときにさ、「寝る1時間前からはスマホを見ない」とか、ナメたこと抜かしてるサイトに苛ついたことあるんじゃないか?

正論が人を救うわけではないから、あくまで問題解決で必要とされているのは等身大の感覚に合った方法を考案・選択することだと思う。

そして時には正解ではないと分かっていても、自分が絶対に信じたい括弧付きの「正解」を貫き通すことも必要だ。


自分は意識的にアニメ本編の内容や演出以外の事には言及しない姿勢を固持することで、「言及族」特有のなんとも貧しくさもしい雰囲気から距離を取っている。…………つもりなんだけど、どうです?出来てます?

本当に自分が「譲れない」と感じる分野で何かが話題になったときだけ、心に正直に言及しようよ。それがいちばんカッコいいよ。
俺にとってはそれがアニメだ。君にとってのそれはなんだ?

いつも何かしらに言及している輩の方が、やり慣れてるだけあって読みやすい言及ツイートをするかもしれない。きっとそうだろう。


でもそういう悪食の「言及マン」が発するツイートよりも、君のその言葉は研ぎ澄まされた輝きを持つはずだ。
虚空に投げ込むツイートという表現形式で文章のうまさなんてのを気にする時点で、そもそも何かが間違っているんだよ。

みんなが話しているから……と話題にいっちょ噛みする姿勢は、みんなが嫌っているインターネット・ゴシップそのものなんじゃないだろうか。
インターネットのみんなは、もっと自分の腰に提げた切れ味鋭いポン刀のような日本語を大事に生きて欲しいところだ。


ちなみに、この日記そのものが陳腐かつ貧しい「言及」に他ならない!!
僕も偉そうなこと言っておいて、結局「言及」我慢できてないってことですわ。哀れなり!



18日 評論を書き終え、万歳!と喜ぶ


ついに!ついに!同人誌に寄稿する原稿を書き終えた~~~!

自分は硬派な学術論文や社会的な知見?を下地にした評論・批評は書けない(し、書きたいとも思っていない)。

だからこそ今回の原稿ではアニメの映像読解と作品を愛するエッセイ、この2要素を自分なりにブレンドして「読みやすく・深い」論考に仕上げたいと考えていた。

書き終えた今の時点で自分の論考を読んでみると手前味噌ながら、その試みに成功しているのではないか?と思う。

いかんせん20000字の大ボリュームなので、若干の読みづらさはつきまとうだろう。しかし語り口もnoteの延長という感じに仕上げられているし、我ながら画面の読解も悪くない切れ味だ。
伊達に時間かけて、全カットをひとつひとつ分析していない。

稚拙だけど、頑張りました


少なくともこの作品について、こうした映像表現の面から掘り下げた論考というのは存在しなかったはず。たとえ歴戦のオタクから「未熟だね」と言われようとも、その新規性には価値があると胸を張れるのではないか。

それはそれとして、歴戦の批評オタクからの推敲とか指摘は欲しい所なんだよな~~!!絶対に自分で気づけていない「穴」みたいなのはそこら中にあるはずだし。

頼む、みんな感想をくれ~~~~!!!!!!!!!!!


というわけで、書き終えたので主催と通話した。なんか雑談とかするのはさ、書き終えるまではちょっと申し訳なさがあるもんね。
彼とネット上で関わりが出来てから3~4ヶ月しか経っていないのだが、もうずいぶん長く付き合いがある気がしてしまうな~

割と(出不精な自分の中では)高い頻度で通話なり遊びに行ったりなどしているし、同い年で趣味も話も合うので、ありがたいことだ。


自分のここ数年を振り返ってみれば、学校では同好の士と巡り会えなかったし、オタクサークル的な集団にも一切縁がなかった。でもまぁ、それも当たり前なんだよな……

声優によるリアルライブとか、「キャラ推し」みたいな感覚が全然分からない自分みたいなオタクが、現在のオタク・ファンダムの中で立ち位置を見つけるのは不可能に等しい!

まぁ何が言いたいかというと、少ない友人をしっかり大事にしたいということ!!!!そして周りの雑音にめげず、今日もひとりでアニメを見ていかねばということ!!

(ちなみにこの日に書き終えた原稿が載った同人誌は現在売り切れていて、入手できないみたいです。いずれこの評論を読めるようにネットへ投稿すると思うので、そのときはよろしくお願いしますね。)



25日 女を1000人抱きたい男 VS 『ひだまりスケッチ×365』視聴中の男


大学が非常に家から遠いので、往復の移動時間は恰好のアニメタイムだ。
移動時間に寝ることを我慢してアニメを見れば、2日で1クールくらい見れてしまう。

てなわけで今日も今日とて『ひだまりスケッチ×365』を見るぞ〜!!と、オタクはワクワクしていた。


そんなとき、隣にふとやってきたのは背は低めながらもおしゃれな恰好をした男子3人組。
彼らはバスに入ってくるなり、車内全体に響くこともいとわない大声で会話の口火を切った。

「俺さー、死ぬまでに1000人は女を抱きたいんだよな~」
「いや、分かるわ!1000人いきてーよなー」


……………………なんというか、見上げた根性だ。すごすぎる。

『アフロ田中』の登場人物を低脳さは据え置いたまま、そのままイケメンにして三次元に持ってきたような輩!
ここまで頭が肉欲まみれの人間が現実にいるのか、と頭がクラクラしてくる。


いや、欲に関しての追及は同人音声を毎日欠かさず聴いている俺も同罪なのでやめておくか…………実際の人間との会話を介していない分だけ、肉欲勝負だと俺に不利すぎる……


この発言のキツさは、決して性欲云々によるものではない。「こういう話も俺ぁ開けっぴろげにしちゃうぜ〜」という中坊みたいなイキリが透けて見えることにあるのだ。

そこを見誤ると、俺を含めた多くのDLsiteヘビーユーザー諸共を爆破させる悪口になってしまう。悪口は言うならば的確に発射しなくてはいけない。


しかしまぁ、こっちゃあ『ひだまりスケッチ×365』視聴中である。数あるアニメの中でも癒し特化の傑作を見ているうちに、悪口を言う気もだんだん失せてきた。

コイツらは、なんだか可愛いやつらだよ。


大体コイツらのぶち上げている「1000人を抱く」という目標は、僕たちが幼い頃から親しんできた「ともだち100人」と何が違うというのか?

敢えてここでは、本質的にゃ何も変わりはしないだろ!と言い切ってしまいたい。


「ともだち100人」・「エチ友100人」・「抱いた女1000人」などなど……………そのどれもが人間関係を「数」という失礼千万な指標で測っていることには変わりない。


しかも「ともだち100人」と同様に、夢だと一笑にふせることが出来るようなスケールの大きさだ。1000人抱く(笑)という持ちネタみたいなものなのだろう。


俺たちオタクが「気になるアニメ(映画・漫画)全部観てぇわ〜」と目標をぶち上げるようなものなのだ。

「積みゲー消化してぇ」も非オタクからしたら現実的な目標に見えるだろうが、オタクからしたらそれはもう達成不可能な「祈り」の域でしょ?

コミュニケーションの為には方便も必要だし、それがアニメか性行為かという違いでしかないじゃないか。多分そういうこと…という風に納得しようじゃないか。

しかし1000人とは、あまりにもおバカな響きだ。せめて50人とかにしといたほうがいいんじゃないかな、俺にだけは言われたくないだろうけど。


そう思って吉野家先生のフリーダムな言動にクスクスと笑っていると、ちょうど現在の停留所で先ほどのおしゃれボーイズがバスを降りて行くようだった。

なんとはなしに、ふと席の隣をドアへ向かい歩く彼らの会話に耳を傾けてみる。届くことのない千の女体の夢を見る阿呆な彼らに、僕は短時間ながら親愛の情がわいてしまったのだ。


「いや、ここ1年半で104〜5人抱いたからさ!1000人!1000人!死ぬまでにはマジで狙いてぇよな〜」





「いや、十分"1000人"を狙えるペースなのかよ」とひどく動揺させられた、秋の夕暮れ時。

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