見出し画像

カフェにいる道化師

 とある喫茶店に、一人の男がいました。
 男は流行に敏感で、とてもスタイリッシュな格好をしていました。若くて容姿端麗で、歯は白いし、笑ったらこっちまで、ふふ、つられて笑ってしまいそうになるほどです。一定数の女をとりこにする、爽やかな色っぽさがあって、輪の真ん中にいるタイプの人でした。
 ただ、男は一人で喫茶店にいました。紅茶を飲み、ケーキを食べ、本を読むのです。
 一日なら不思議ではないでしょう。来る日も来る日も、彼は紅茶、ケーキ、本、この三拍子でした。ときどき、ペンを胸ポケットからぬいて、なにやら本に書き込みはじめて、にこにこ、頬をもちあげて笑うのです。男はうつくしい外見をもって、誰とも話さず、いつも一人でいるのです。
 そんな男の、ある日の話です。
 この不可解な男に、一人の女性が話しかけてきたのです。女性は水色のワンピースをまとって、レモンの香水がふわり舞いました。色白の肌と泣きぼくろが印象に残る美少女でした。
 女性はおずおずと男の目をみました。
「も、もしよかったら、相席してもよろしいでしょうか」
 男は何も言いませんでした。男は怪訝に女性をみつめているだけでした。
「ごめんなさい。変人ですよね……。本をじっくり読みこんでいる姿に惹かれてしまって、つい、話しかけてしまいました」
「いえいえ、突然でびっくりしました。よかったら坐ってください」
 男は立ち上がって、女性のために椅子を引いてあげました。女性は上気した頬のまま、食いいるようにみています。
 男の行動の変化に、店内の常連客はにやりと笑うしかありませんでした。興味ありげに視線を送るほかありません。
 男はそれに気付いて、ため息をもらしていました。
「あの、すいません、いきなり」
「全然いいですから。むしろうれしいくらいです」
 男は愛想良く笑いました。
 女性は一瞬きょとんとしつつも、ふふ、笑みを浮かべて、
「ありがとうございます。わたしもうれしいです。その、ところで、一体なにを読んでるのでしょうか?」
「古い本です」
「古い本?」
「十六世紀のイタリアで生まれた古典仮面喜劇。その台本です」
「台本……?」
 女性は小さく首を傾げました。
 その本は色褪せて、題名も霞んでいました。新しく印刷されたものではなく、十六世紀から引っぱりだした原本の風格でした。
 男は見定めるように女性をみつめました。
「どうやら自分の先祖が、仮面喜劇をやっていたようなんです。実は先日、祖父から自分宛に小包が届きまして、その中に入っていたモノがこの台本でした」
「はあ、仮面喜劇……」
 女性はなにか気が抜けたように相槌をうちました。
「で、どうやら自分には先祖の道化師の血が入っているようでして。こうして人と対面すると、衝動が抑えられないことがあるんですよ」
 男がふくみのある笑みを浮かべました。
 一方で女性は、引き攣った顔をしていました。
「じゃあ、あなたは道化師なんですか……?」
「そうです」
 にっこりと男は笑いました。テーブルの紅茶を口へ運び、悠然とした態度でした。
「ところで一曲、いかがですか?」
 男は鞄から、なにかを取りだしました。美しい木製のフルートです。
「いいですけど……」
 女性は時計を見たり、周囲を見たり、そわそわとしていました。
 男は椅子から立ち上がり、フルートを構えます。 
 周りの客は驚いている人もいれば、笑っている人もいました。店内はいつの間にか、楽しげな雰囲気が漂います。
 ただ同じテーブルの女性は、どうも予想が外れたような、帰りたそうな様子でした。
 けれどそんなことにも感付かず、男は笑顔のまま演奏を始めます。
 そしてその音色は、素晴らしいものでした――
 ぐったりと蕩けるような音色に、店内が一瞬静寂に包まれます。
 男は演奏だけに留まらず、ダンスのようなものまで始めました。
 店内は盛り上がります。女性も少し見惚れたような様子さえありました。
 だがだんだんと盛り上がりに違和感が芽生えます。
 男のダンスは、どうも滑稽でした。笑っている人もいましたが、意想外に目を見張る人もいます。
 ダンスの一番盛り上がりそうな局面でミスしたり、不協和音を奏でたり、屁をこいたり、変顔したり、高笑いしたり……男は骨のある風変わりな演技をしました。
 しかし道化師とは滑稽な格好、行動、言動をして人を楽しませる人です。実際、演技に狂いはありませんでした。
 けれど周囲の人はそれを知りません。急展開のあまり、理解が追いつきません。
 それに容姿端麗な男が滑稽に演奏しているのは、どこか女性の理想と食い違うものがありました。
 男と同じ席に座っていた女性は一歩ずつ後ずさり、しまいには走って店内を出て行きました。何とも言えない思いになって、目に涙をためていました。
 男は女性が逃げたことも知らず、演技にのめりこんでいきました。
 理解できる観客だけが集まり、拍手喝采、演技は長く続きました。その喫茶店の客は増え、少しばかり繁盛しました。
 いつの間にか、夜になりました。
 男は汗まみれの体で、ぐったりと椅子に腰掛けています。
 彼の周囲を囲むように観客がいて、賞賛とねぎらいの言葉を投げかけていました。
 男は満足していました。とても爽快な表情でした。
 けれど、男は同じ席に座っていた女性を思い出しました。さて、女性はどこにいったのでしょう。ああ、どこを見渡しても、いないのです。
 男は物憂いな表情になり、やれやれ、肩をすくめました。
「またフラれてしまった……」
 男から小さなつぶやきがもれました。
 店内の開け放された窓から、サーッ、南風が吹きこみます。
 テーブルの上の古い本、古典仮面喜劇の台本がパラパラ風にめくれました。
 台本には様々なメモが書きこまれていました。男の新しい筆跡はほんの一部で、古びた走り書きが隙間なくありました。男の先祖が書いたものでしょう。そしてメモの位置から、先祖と男は〈メズタン〉というキャラクターを演じていたようでした。
 古典仮面喜劇の〈メズタン〉は演奏はとにかく上手いが、女にはまるでモテないトロイキャラクターだそうです。
 男の容姿は端麗でしたが、ひょっとして、変な演技精神を遺伝したのでしょうか。
「なんでかなあ」
 男は疲れた表情で、ただ呆然とため息をついているのでした。

 明くる日の、とある喫茶店。
 今日も一人で、男は紅茶をすすっています――


読んでくださり誠にありがとうございます。サポートしていただけますと幸いです。すべて、創作の原動力にします! 会社に勤めることだけが、人生じゃない、創作に生きる人間でありたい、常に、つよく想っています。