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愛に報いるだけの生き方

最近、江國香織の小説をよく読み返している。

部屋の床上面積の3割を占めている「積読」から文庫本を引っ張り出してせっせと読んでいるのだが、先日手にした「こうばしい日々」の中でこんな言葉が印象に残っている。

「人はね、誰かに愛されたら、その愛に報いるだけの生き方をしなくちゃいけないのよ」

こうばしい日々『綿菓子』

さて、愛に報いるだけの生き方とは一体どんなものなのか。気づけば僕はこの台詞にページを捲る指を止められていた。

愛は責任を伴うものらしい。それも、愛した側ではなく愛された側に。愛されたのち、充足感を抱きながらただ幸福を貪っているだけではダメだということだ。なんとなくわかるが、なんとなくわからない。
それだけ誰かを愛する行為には覚悟がいることを愛される側から逆説的に言及しているのだろうか。

僕自身、生き方を改めようとするほど愛されたことはない。こう書くと悲しくなってくる。だが、周りを見渡してみても20代そこらでこれほど覚悟のもったカップルは皆無(のよう)だ。

なんと言っても「生き方」である。一時の愛のお返しとは訳が違う。
花に触れても、仕事をしていても、寝転んでも、買い物をしていても、受け取った愛が思考、そして行動の節々に滲み出てそれがずっと続くのだ。

自分なりの愛に報いるだけの生き方を悶々と考えながら、果たして自分も報いる価値のある愛を誰かに注ぐことができるのかしら、と思わず顔を上げる。
これも悲しいことに僕の愛を受け取って、それに報いるように生きてくれた人は今のところ存在しない。(報え!!!)

愛に報いるだけの生き方を実践できる人たちが愛し合えば世界はずっと平和になるだろうな。僕も早くその1人になりたいと思う。


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