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最大公約数的な美しさと個性について


※私の偏った意見です。

骨格診断、パーソナルカラー、似合わせカット、中顔面短縮メイクなどなど

私はそれらを最大公約数的な美しさを目指す行為だと思っている。少し偏見が入り混じっていることは否定できないが、異性に可愛いと思われたい、モテたいという美意識が目指すところという認識だ。

モテるモテないという観点で言うと、最大公約数的な美しさを目指すのが経済的に思える。なぜなら、モテるのゴールを”付き合う”と仮定した時、異性のお眼鏡にかなう容姿を持ち合わせていることが圧倒的に有利だからだ。

その点で、容姿を磨くという自分磨きに、世の女子が注力するのは理にかなっている。(私も含めて)

だがしかし、ここで不安な点がある。最大公約数的な美しさを通して得たお付き合いのその後が、必ずしも幸せなものになるか分からないからだ。

なぜなら、容姿だけを男性が求めていて、身体目的だったケースがその一つ。
そして、もう一つが、男性が最大公約数的な美しさを求める心理に”俺はみんなが認める美人と付き合っている”という優越感である点を否定できないからだ。
みんなが最大公約数的な美しさを目指すと、恋のライバルが増えるシステムが出来上がるのだ。

美容を頑張れば頑張るほど、容姿で差別化出来なくなってしまうことに、私は1人絶望した。
世に出回る美容法などで必死に自分を磨いたところで、最大公約数な美が好きな男は、最大公約数の美を持つ他の女でも事足りるのだ。

おい酷い話だぜ。

では逆にみんなで個性的になろうぜ!と各々が奇抜な服装やメイクをするとどうなるか。

それはその中で、最大公約数的な美しさが自然発生するだけだと思う。

じゃあやっぱり異性モテをしたい人は最大公約数を目指すのが手っ取り早いと言う話になる。

ぐるぐるぐる(思考は巡る)

ではどうするか。付き合うゴールを果たした後の、ハッピーエバーアフター(?)を目指すには。

中身で勝負するのだ、乙女

外見以外での差別化を図るしかないという、お母さんが説教で言ってきそうなありきたりな正論に辿りついてしまった。

コイツしかいねぇと思わせるには、結局刺さる内面で魅力するしかないのだろう。

今日もこうしてあーだこーだ思考を巡らせ、アイブロウスタイリングのサロンを探す。あぁ、美容はお金がかかるのぉ。

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